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荒北くんと猫を助ける


…いやあ、なかなか壮観な眺めですなー…。

ほら、こう、高い視点から自分の学校を眺めることってあんまり無いじゃん。通い慣れた学校の新しい一面を見ている感じがして、私は今最高に胸が高鳴っている。

そう、最高に高鳴って…………。

最高に…………………。

………………。


(いくらなんでもそれは無理があるぜ、私よ…………)


まあ、ある意味では間違ってない。高鳴ってるといえば高鳴ってる。……が、最悪な方向にだ。

腕の中で縮こまっている小さなぬくもりを撫でつつ、私はため息をついた。現実逃避してみたって状況は何も変わらない。てか、学校の全体が見渡させるほど高い視点でもないし、そもそも木の枝とか葉っぱであんまり見えないからね。

そう、木の枝、葉っぱ………。

なんと、今私がいるのは木の上である。どうしてそんなところにいるんだって、その質問に簡潔に答えるとしたら、「木の上で降りれなくなっていた猫を助けようと登ったところ、私も降りれなくなった」って言えばいいんだろうか。冗談みたいな話だけど、これが冗談ではない。私だって齢18にしてまさか木登りをするとは思ってなかったし、齢18にしてまさか木の上から降りられなくなるようなことになるとは思ってなかったよ。私だって冗談だと思いたいんだよ。

「ミャア」

「おお、よしよし……」

私の腕の中で、小さく猫が鳴く。こいつはまだ子猫のようで、おそらく、遊びで登ってしまったら予想外に高いところまできてしまって、そのまま降りられなくなってしまったのだろう。そして、か細い声でミャーミャー鳴いているところを、私が偶然通りかかったわけで。

まあ、なんていうか……あんな風に小動物が困っているのを見かけちゃったら、なんとかしなくては!と思うのが可愛いもの好きな女の子の性ってやつだ。人がいないのをいいことに、私は大きく足を開いて、「よいしょ!」「よいこらしょ!」「よいせ!」「よっこらせ!」……と自分にエールを送りながらその巨木と格闘して……そしてその子猫にたどり着いた時の達成感といったら! 自分の新たな可能性を見出した瞬間だった! 私、やるじゃん! これならハリウッドのスタントマンのオファー来ちゃうわ! ……と、調子に乗りまくって、そう、そこまではよかったんだ。

ただ問題はそこからだ。私は、猫を抱えたまま降りることを全く想定していなかった。つまり、片腕は猫を抱かないといけないので、降りる際にもう片方の手しか自由に使えないのだ。両手が使えたとしてもかなり怖いというのに、片手で、しかも猫に負荷をかけないように降りるなんて、そんなのハードモードすぎる。

……そんなわけで、私は非常に困り果てていた。

先程の余裕はどこへやら。焦りと不安でいっぱいな胸中を、腕の中のぬくもりだけがわずかに癒してくれる。ずうっと背中を撫でてあげているけど、あやすためというよりかは自分を落ち着かせるためになってきた。本当にどうしよう……。ここ、人通りもあんまりないし、誰か通ったとしても知らない人に助けを求めるのは少し気が引ける……。ううん……。

と、そこで私ははっと思い出した。そうだ、私には文明の機器が味方についているではないか! 何で今までそれに気がつかなかった…!!

私は、猫を抱えたままなんとかポケットからその長方形の最強装備を取り出した。よし、これで勇者を召喚しよう!







「―――で、ナァニやってんだよオメーはァ………」

「ハロー勇者荒北靖友!! 何やってるって、見て分からない? 木に登って降りられなくなってしまったんだー!」

「どーしたらンなことになるんだよ………」

呆れ顔でこちらを見上げてくる荒北に、ちゃんと届くように大声でこれまでのいきさつを説明する。と、彼はますますげんなりとした顔になった。

「フツーそこで木に登るかァ? 女が」
「登るよ。女だって木登りぐらいしますよ。それでさーー、ほんっとーーに申し訳ないんだけど、ちょっと助けてください勇者荒北靖友サマぁ……!!」
「ったく………」

切実な声を出してそう言うと、彼はやれやれといった感じで深いため息をつく。

私が彼にヘルプを求めた時、彼はちょうど学校に残って勉強をしていたらしい。その邪魔をしてしまったことは本当に申し訳ないが、こっちとしても頼れる人が荒北しかいなかったんだ。そう、荒北は、確かに口はちょっと悪いけど……。

「……で、どーすりゃいいんだヨ」

―――ほらね。なんだかんだこうやって助けてくれるんだ。荒北って、本当にいいヤツだよな。何で女の子からの人気出ないんだろうっていつも思う。まあいいんだけどね、人気なんか無くても。私だけが知ってればいいなんて、まあ、私のエゴなんだけど。

「オイ、なにニヤニヤ笑ってんだァ?」
「あ、ごめん……ふふ、何でもないでーす! それよりありがとね!」
「ハァ? ンだよそれェ……」

怪訝な顔をされたけど、私は軽く笑ってそれを受け流す。

「ええっと、じゃーねー……とりあえず、猫を先に降ろしてあげたいかな。うーんと、なんとか手を伸ばせば届かないかな……荒北、とにかくこっちまで来てよ。あっ、スカートの中覗いちゃダメだからね!?!?」
「バッ……の、覗くわけねェだろボケナス!!!」
「でも一応下にスパッツ履いてるからパンツは見えないよ!!」
「いらねェよそんな情報!!!」

やはり、荒北の切り返しの速さはさすがであるな……。
なんて、私よ、しみじみしてる場合ではないぞ。私は頭上にある枝を握り締める手にぎゅっと力を込めた。改めて地面を見下ろすと、結構自分が高いところにいるとわかる。うーん、やっぱりこれちょっと怖い……。

「荒北、じゃあちょっと両手伸ばしててね。行くよ……!」

猫の様子を確認しながら、私はまたがっている太い枝から身を乗り出した。「オイ、気をつけろよ……!?」と荒北が心配げに声をかけてくれている。
枝を握りしめている片腕がプルプルしてくるまで身体を曲げたところで、背伸びして両手を伸ばしてくれていた荒北が、私の腕から猫を取り上げた。そしてそのまま大事そうに抱えるのを見てほっとした私は、今度はこわごわと身体を起こしていく。何とか先程までの体勢にもどると、ふう、と息をついた。

「アッ」

とその時、荒北が突然声を上げたと思ったら、彼の腕の中からするりと猫が飛び出した。そして、そのまま私達の方を一切振り返ることなくトコトコとどこかへ去ってしまう。

「……………」
「……………」

本当に一瞬のことだった。

「………野生の動物ってたくましいね」
「………そだネ」

二人でその背中を見ながら、ぽそりとやり取りをする。このなんともいえない気分は何だ。私の腕の中にいた時はあんっなに縮こまって、ふるふると震えていて、そんな姿を見て私は「ああ、このか弱い命は私が絶対に守るんだ!」とメラメラと使命感に燃えていたというのに。何事もなかったかのようにすたこらさっさと走り去っていくその様は、先程とはまるで別人……別猫だ。これが野生のしたたかさってやつなのか……。

「―――で、苗字チャンはもう大丈夫なのォ?」

荒北は今一度私の方に向き直る。
私は改めて、自分のいる位置とか木の構造とか、色々確認して。

「うーーーむ………」
「どうした?」
「降りれないこともないけど、着地が不安……」

もう両手が使えるので、登ってきたルートをたどれば途中まではなんとか降りられると思うけど……足をかける場所が無くなったら、そこから飛び降りなくてはいけない。登る時、新体操かってぐらいに足を上げて無理矢理しがみつくように登ってきたことを思い出した。今度はあれの逆をやらなくてはいけないのだ。

「………荒北、受け止めてよ」
「は?」
「着地失敗したら、受け止めてよ。私のこと!」
「―――ハァ!?!?」

荒北があんぐりと口を開ける。えっ、何その反応……。

「そ、そんなに嫌なの……」
「嫌っつーか………」

バツが悪そうにそっぽ向いて、なにかごにょごにょと言っている。聞こえないぞ。

「荒北、自転車競技部でたくさん鍛えてたじゃん。大丈夫だよ、私のことだって受け止められるよ」
「いやそーいうことを言ってるワケじゃねェよ……っつーか、それだったら新開のほうが適任だと思うけどォ……一緒にいたから呼んでくるか?」
「し、新開くん!? いや、いいよ!! 新開くんはダメだよ!! 恥ずかしいもん!!!」
「……ンだよそれ、オレだったら恥ずかしくねェの?」
「……………や、荒北でも恥ずかしいと思うけど……なんていうか……」

恥ずかしいと思うっていうか、絶対恥ずかしい、けど……。私だってそりゃ、大股で木に登っちゃうような女ではあるけど、男の子にしがみつくなんて、例え誰だったとしても恥ずかしい。

でも……。

下で、荒北が私の言葉を待っている。私は照れを隠すように、あえて大声で叫んだ。

「な、なんていうか、荒北が下にいれば、安心して飛び降りられる気がする!! 荒北なら、絶対受け止めてくれるって信頼してる、から…!!」

「!」

「その、だから………」

荒北がいいんだよ……、と、その最後のセリフは思い切り小声になってしまった。うわ、これ、何言っちゃってんだ私。体温がみるみる急上昇していく。本気で何言ってんの……。
小声になってしまった部分まで荒北に届いたかはわからなかったけれど、ヤツはそっぽ向いて「あーーー」と頭を掻いた。


「………わーったよ! 下で待ち構えててやっから、飛び降りてこい!! 受け止めてやンよ!!」


そう叫んだ荒北は……。

………あれ?

荒北、ちょっと顔赤い?

…………………。


「あ、――っ、ありがと!!! じゃあ今から降りるから、す、スカートの中見ないでよ!!!」

「だァから誰がンなもん見るかってのォ!!」

……う、うん。ほら、いつも通りの空気だ。だからさっきのは気のせい。気のせい気のせい、私視力悪いもんね。

自分からあんなこと言っておいてなんだけど、私と荒北の間に甘酸っぱい空気なんて広がるわけがない。さっきのは違うから……。ね、だから私、期待しちゃダメだよ。その分だけ、裏切られた時がキツイんだからね。そうだよ、ほら、だから心臓よ落ち着きなさい。うるさいぞ!

「じゃ、じゃーー名前、いっきまーーーす!!」

正直まだドキドキは収まってくれてなかったけど、私は降りはじめた。枝に掴まって、足を下ろして、違う枝に掴まって、また足を下ろして、また違う枝に掴まって……慎重にならなくちゃいけないのに、荒北に近づいていると思うとどうしても集中できなくて、何度か足が滑って、その度に「ぎゃっ!!」「わひゃ!!」「ひえっ!!」と馬鹿っぽい声を上げてしまう。その度に荒北にバァカ気をつけろって言われるけど、でもねこれあなたのせいなんだよ!!
足場が無くなるところまでなんとか降りると、やっぱり地面までの距離は結構ある。ここからぴょーん!って飛び降りて、無事に着地できる気がしない。っていうか、逆にこれ私どう登ったんだ……?

「あ、荒北……もしものことがあったら頼むよ……」
「……ここでスタンばっててやっから。まーーでも、オメーがあんまりにも重かったらオレまで潰れちまうかもなァ」
「そしたら荒北と心中かぁ………短い人生だった、およよよ」
「馬鹿言ってねェで、早く降りてこい」

いや振ってきたのはそっちでしょうが。
私は、幹に掴まったまま、片足だけを地面に向かって伸ばしていく。あ、やっぱダメか、ギリギリ地面にはつかない……。
荒北をちらっと見ると、目が合って、「早くしろヨ、ビビリかァ?」って。にへらって笑われて、ムカッ。

「このやっろ〜〜〜〜ビビってないから!!! おりゃっ!!」

と、虚勢を張って勢いをつけて飛び降りたら、予定着地ポイントを思い切りずれて、運悪く木の根っこの部分に降り立ってしまった。

「あ、ひゃ、う、うわっ―――!!!」

そして思いっきりバランスを崩した私は、手をばたばたさせて、バランスを取ってこらえ、こらえ、こら………、いやこれ無理こらえきれな、

い!!!! と思った瞬間、倒れかかった私の身体はポスン、と私より一回り大きいその身体に抱きとめられていた。……荒北だ。かなりの勢いで飛び込んだと思ったのに、彼の身体はびくともしなかった。やっぱり、男の子だ。と意識した瞬間、思い切り彼にしがみついてること、腰にさりげなく手が回されてて、それが荒北のものだということ、一気に恥ずかしさが爆発した。とっさに彼の腕を掴んでいた両手を離して、一歩後退すれば、荒北もさっと手をどけて、私は解放された。

「……大丈夫かァ?」
「あ、ハイ、うん、だ、だいじょぶ、です」

彼から目を逸らして必死に平静を装ってそう言ってみるも、全然動揺が隠しきれてない。顔にも熱が集中していくのがわかって、これ荒北にもバレてる、と思うとますます恥ずかしくなってきて、耐えるようにぐっと唇を噛み締めて俯いてしまう。

「ンだよ、その顔………」

ザッ、と。俯いた私の視界で荒北の足が一歩私の方に近づいてきて、もともと距離が近かったのにさらに近寄られて、びっくりして顔を上げると、荒北の顔は赤くて。今度は見間違いとかそんなんじゃなくて。

―――ヤバイ、ヤバイヤバイ。

何か冗談でも言わなくちゃ。
何、この空気……!!

と、私が焦って何か言おうとしたら。荒北に先を越されて。


「……ンな顔されたら、期待しちまうっての」


ぼそりと低い声で呟かれたそれに、私は思わず固まる。

え?

期待??

―――なんの?


まさか、私が荒北に関して期待していることを、同じように荒北も期待している?

そんなわけ………。


思わず、どういうこと、と小さく問うと。荒北は一度私から目を逸らして、そして覚悟を決めたようにまた私の顔を見つめて、口を開いて――――


「ニャア」


………と、言った。………わけがなくて。


『!!!!!!!!』


その声にお互いビビって、そして双方慌てて離れる。見れば、私と荒北の横には、先程助けたあの子猫がいる。

「ね……猫、ど、どうして戻ってきたし……」
「ニャア」
「―――あ? 何か地面に置いてある………」

荒北がしゃがんだと思うと、猫の前から何か拾って、私にそれを見せた。

「! わーー、綺麗な紅葉……!!!!」

それは真っ赤に色づいた紅葉だった。傷んだ様子もない、とても綺麗な紅葉だ。猫に目を下ろすと、またすたこらさっさと私達のもとから走り去っていくところだった。

「……お礼のつもり、なのかな?」
「ハッ、猫の恩返しってやつかヨ」

その後ろ姿を見て、二人でなんとなく笑い合う。

あーーーあ、何か、雰囲気もなにもかもぶっ壊してくれちゃったな。それを残念だとも思うし、ほっとしてる部分もあって。だってあんなの、心の準備できてないもん。

「―――ね、荒北! 助けてくれたお礼に、ベプシおごってあげるよ!」
「あぁ? あーーーー……」

私が明るくそう言うと、荒北はちらっと困惑したように私を見て、そして「ハァ……」と目を逸らしてため息をついた。

「………じゃ、コンビニ行くかァ」

再びこちらに顔を向けた荒北は、いつもの荒北だった。それに嬉しくなって、私は彼の腕を取って、スキップで歩き出した。

「おーし! あ、ついでに肉まんも食べよ!?」
「……太るヨ」
「うっさいな、食べたい時に食べる! それが一番!」
「さっき、ちょっと重かったしィ」
「えーーー!? うっそだぁ!!」
「ホント」

―――うん、私、この距離感も大好きだ。

………だけど、今後ちょっと進展することに、「期待」してもいいのかなーなんて。

綺麗に色づいたその紅葉を見ながらそんなことを考えて歩いていると、荒北がまた「何ニヤニヤしてんだよ」って聞いてくる。なんでもないよーーと、私はその顔を見て笑い返したのだった。



【リクエスト:木に登った猫を助けたはいいけど降りられなくなってしまったヒロインと、荒北の話】

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