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荒北くんと勉強会


彼女の家、彼女の部屋で二人っきりで勉強会、なんて。
そんなシチュエーションで、期待しない男なんていねーと思うんだ。

しかも、彼女の部屋は二階。そしてこの家にいるのはオレと彼女、あと一階でのんびり茶をすすってた彼女のばーちゃんだけ。……やべーだろ。ショージキ、それを言われた瞬間キタなと思った。こんな好条件がそろうことなんて今後あるんだろうか。ねェよな。財布にゴムを入れてきて正解だった、マジで。


「あーらーきーたーくん! ちょっと、聞いてんの!?」


ぼんやりと、丸い座卓の向かいに座る苗字チャンのさらに奥にある、可愛らしい水色のドットのカバーがかけられたベッドを見ながらそんなことを考えていると、むすっとした顔の彼女が迫ってきてはっとする。

「アー……ごめん、ンだっけェ?」
「もー、集中してよ! ほら、ここ! ここ見て!」

苗字チャンは、オレの目の前に置いてあるプリントの問題のひとつを、持っているシャープペンでビシッと指す。

「この値を、ここのXに代入するの! ほら、この公式通りにして……。ね、簡単でしょ?」
「ウーン……」

もう正直勉強どころじゃねーんだよな。Xに代入よりも、セックスで挿入したい……なんて、数式すら煩悩にすり替わってしまう始末だ。でもそんなこと口が裂けても言えない。言った暁には、手が出やすいオレの彼女の鉄拳が炸裂するにちがいないだろう。付き合いだしてから、オレは手加減を知らねェ女の拳ほど怖いものは無いと、知った。(知りたくなかったけどォ)

……やー、でもよ。無理無理。ぜってェ無理。オレが悪いんじゃねーだろ。こんな好条件が整った部屋に招き入れた苗字チャンが悪い。

「ねえ。さっきからあまりにも集中力に欠けてない? やる気あるの?」
「……実は、腹が減ってしょーがないんだよネ」
「あ、そうなの? じゃあ、何か一階からお菓子でも持ってくるね!」

「いや、じゃなくてェ……オレ、苗字チャンが食いたいなァ」

頬杖をつきながらそう言うと、彼女の目がすうっと細まる。

「荒北くん、人間は食べられないんだよ? 生物の勉強に切り替える?」
「いやいやそーいうことじゃねェよ、ほら、その」
「なぁに?」
「………例えだよ、例え」
「へぇ、荒北くん国語が得意なんだっけ? 暗喩? 直喩? メタファー? でも今は数学の勉強してるから、こっちに集中しようね」

……口元だけがにんまりと笑っているものの、その目の奥は凍てついる。なるほどこれが絶対零度の視線ってやつだな……。

「自分から男連れ込んどいて、それは無いんじゃナァイ? 苗字チャン」
「何が言いたいんです?」
「オレがこの状況で苗字チャンに何にもしないほど大人しい男だと思う?」
「………成程」

苗字チャンは持っていたシャープペンを机に置く。口元から笑いが消えた。

「つまり荒北くんは、私とエッチがしたいってわけ?」
「お……おお、まあそーいうことだけど……」
「なに? 違うの? そうでしょ? インターハイに出れるか出れないかがかかってる大事な大事な追試験の勉強中にも関わらず、私とエッチなことがしたいって、そう言ってるんでしょ荒北くんは。ねぇ違うの?」

オレを追い詰めるように早口で言ってのける苗字チャン。すげー淡々にエッチとか言っちゃうからビビる。っつか、何で女ってこーいう回りくどい責め方すんのかね……。フツーに怖いんだけどォ……。

「…べっつに、そこまで大げさなモンでもねーだろ…」
「でもこれで落ちたら再試インハイに被るんだよ。出れないんだよ」
「そこは先公と掛け合えばなんとでもなるし…」
「はぁ〜〜〜なるほど〜〜〜福富くんに頭下げさせる気なんだ。ウチの馬鹿をインターハイに出させてやってくださいって、福富くんに頭下げさせるんだ〜〜〜へェ〜〜〜」
「ぐっ………!」
「大体さ、先生と掛け合ってもどうにもなんなかったらどーすんの? なんで出させてもらえると思ってんの、そういう前例はないんだよ? もしかしたら本気で出場できないかもしれないんだよ? そーなったらもう荒北くんここまで何のためにやってきたって話じゃん。せっかくゼッケン勝ち取ったってのに、試験に落ちたから出れないなんて王者箱根学園の看板が泣くよね」
「…………」
「しかもその試験に落ちた理由が彼女と一発ヤってたからとかもう最悪でしょ。野獣荒北なんて呼ばれてるけど、それはアレなの? 本能のままに盛ってヤリまくる卑しいケモノっていう意味なわけ?」
「……っ、ンだとォ!?!?」

わかる、こいつの言いたいことはわかってっけどよ、さすがにここまで言われたら腹が立つ。そしてこのせせら笑って軽蔑する感じの顔がクソムカつく。っつか、ここで一発ヤったからってなにがどー変わるワケでもねェだろ。たった数時間の話だ。
ぜってェ泣かしてやる、と意気込んだオレは座卓に手をついて膝立ちになると、思い切り怖い顔を作って苗字チャンの方へと迫る。とその時、苗字チャンが自分の首元をごそごそとまさぐったかと思うと、パーカーの下から予め首にかかっていたと思われる銀色のホイッスルを取り出して、


「止まりなさい荒北靖友!! このホイッスルが目に入らぬか!!!」


―――それを例の勧善懲悪の時代劇に出てくる印籠のごとく、オレに突き出した。その本家さながらの気迫溢れる言い方に、思わず動きを止めてしまう。


「無理やり襲おうったって無駄だから。あのね、このホイッスルを思いっきり3回強く吹くと、一階からおばーちゃんが薙刀持ってこの部屋に殴り込んでくる手はずになってるの。いい荒北くん、そこから私に一歩でも近づいたら容赦なくこれ吹くから」

「……そんな、馬鹿な」

ばーちゃん? コイツの? 一階で茶を飲んでて、オレを見ても和やかに微笑んで挨拶してくれたあのばーちゃんが、薙刀だァ?

「マジだよ。試しに吹いてみてもいいけどね。ウチのおばーちゃん現役バリバリでまだ私より全然力強いし薙刀振り回してるし護身術もやってたから、下手したら本気でスパッ……!ってやられるよ。スパッ……!って」

「……っ!!!」

擬音と共に、手刀を勢いよく横に滑らせる苗字チャンを見て、ヒュッ、とオレの中のリトル荒北が縮こまる。膝立ちのまま足を閉じたオレを見て勝ち誇った顔の苗字チャンは、「荒北くん、戻りなさい」とホイッスルをちらつかせて告げた。くそっ……!!!

「……あのね荒北くん。なんで私がこんなにキツくいうのか、わかる?」

すごすごと戻ったオレに、苗字チャンがそう問いかける。

「なんで…って。わーってるよ、オレのこと考えてくれてんだろ」
「うん、それもそうなんだけどね」

そこで彼女は一旦言葉を切ると、ふっと表情を和らげた。

「……私さ、荒北くんが走ってるとこ見るの、すごい好きでね。走ってる荒北くんが大好きなんだよ。正直、走ってる時の荒北くんは、世界で一番かっこいいと思う。ジョニデやブラピとか目じゃないぐらい」

「! 苗字チャン……」

「ああ、もちろん走ってない時の荒北くんも好きだよ? 盛ってる荒北くんはイヤだけどね。だから私、インターハイで走る荒北くん、すっごく見たい。荒北くんの一番かっこいいとこ見たい。そのためにも……荒北くんには胸を張って堂々とインターハイに出てもらいたいの。こんなテストにつまづいてて欲しくないんだよ」

途中から真剣な顔になってそう訴えかける苗字チャンを見て、オレは胸のキュンキュンが止まらない。こいつ、口うるさいしムカつくけど、ほんとにいい女だと思う。こんだけの言葉でオレをやる気にさせちまうんだからな。色々すっ飛ばして嫁にしちまいてーぐらいだ。

「……わーったよ、やる。この追試、ぜってー合格してやンよ!!」
「よし、よく言った荒北くん! 私に任せて、全力でサポートするから!」
「…………と、その前に。苗字チャン、無事これが受かったら、何かご褒美ほしいなァ。ご褒美っつーか……苗字チャンが欲しいなァ」
「この期に及んでまだそんなことを言うか」
「ちょ、待て待て、ちげーよ今は何もしねーからとりあえずそのホイッスルから手を離せっつの!!」

オレの慌てっぷりを見て、苗字チャンはホイッスルを離す。その目は依然警戒心たっぷりだ。どんだけ信用されてねーんだよオレは……。

「じゃなくてェ、終わった後。ホラ苗字チャンも知ってんだろ、オレ、目の前に獲物ちらつかされるほうが燃えるンだよねェ」
「……ふむ。まあ、そういうことなら考えなくもない」
「お!?」
「うん。じゃあこの追試無事合格したら、チューなら許可してあげる」
「………ハァ?」
「ちなみに、ほっぺたね」

いたって真剣な顔でそう自分のほっぺたをつつく苗字チャンを見て、オレは思わず吹き出してしまった。

「いやいや、何の冗談だよ」
「冗談でもなんでもないよ?」
「ンでそんなにご褒美しょぼいんだよ!! そんなの別にいつだってできんだろが!」
「あのね。最後までしたいんなら、やっぱりそれ相応に点数取ってもらわないと」
「………どーゆーことだよ」
「そーだなー。80点。80点超えたらいいよ、何してくれても」
「はっ……、80点だァ!? っざけんな、そんなの無理に決まってんだろがァ!」

ガタっと立ち上がろうとすると、再び彼女が素早く首元のホイッスルを握り締めてこちらを睨みつける。うっ………。先ほどの「スパッ…!」のイメージが離れられないオレは、やはり唇を噛んで再びあぐらをかくしかない。

「無理じゃないよ! 追試は本試より全然難易度落ちるし、ここの範囲はそれほど難しい問題出てこないから。……それにさ、箱根学園の野獣荒北は、目の前の敵が強いほど燃えるんでしょ?」

そう言ってニヤリと挑戦的に笑う苗字チャン。…ンだよそれ、そんなこと言ったことあったっけかなァ、オレ。そんな少年漫画の主人公みたいな属性……ま、無いワケじゃねーけど。しかしコイツのこの顔は腹立つな。メラメラと、自分の中の獣性に火がつくのを感じる。

「ちっ、しゃーねェな!! 80点取ってやっから、その時はぜってーー約束守ってもらうからなァ!?」

「望むところだぁ! よーし、それじゃ気を取り直してお勉強開始!!」


躍起になる苗字チャン、多分こいつはオレがホントに80点取れるとは思っちゃいねー。まあでもそれでいい。80点の解答用紙を叩きつけて、驚いてるところをそのままぺろっと食ってしまおう。泣かして、鳴かして、その余裕な面を剥がしてやっからな。
それを想像すると思わずニヤニヤと口元が緩んでしまいそうだったので、気づかれないようにぐっと顔を引き締めると、オレは数式と格闘し始めた。





………さて。

今オレは、79点の解答用紙を握りしめて立っている。当然、余裕で合格の点数だ。これでインターハイ出場は本当に揺るぎないものとなった。だがしかし、そこは今問題じゃねェ。

79点。80点にはあと1点足りなかった。多分アイツのことだ、これを見せたら「おめでとう! でも約束は80点以上って話だったから、ご褒美はおあずけね!」ってにこにこしながら言うんだろう。脳内再生余裕すぎて腹が立つ。

…でもよ。これもういいだろ。ほとんど80点みたいなもんじゃねーか。正直おあずけくらいすぎてもう限界なんだよ。(だってこの間キスすらさせてもらってねェんだぜ。いくらなんでもヒドイと思う)足りなかった1点なんて、無理やり飛び越えてやる。さぁ、待ってろよォ、苗字チャン……逃がしてなんかやんねーからなァ……!!


しかしこの時、オレはすっかり忘れてしまっていた。手加減を知らねェ女の拳ほど、怖いものは無い、と言うことを。
………ま、結局どーなったのかは、今のこれで察して欲しい。


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