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荒北くんに罵られる


※暗くて救われない話です。苦手な方は注意してください。


「―――罵って。なるべく口汚く」


ねっ、靖友、お願い?

柔らかい声音で、わざとらしく小首を傾げて。にこりと微笑んでそうオレに頼む名前の仕草は、まるで恋人に甘える時のそれだった。

(はっ。肝心の内容がこれじゃどーしようもねーケドォ)

ちっ、と舌打ちしてベプシ一口すすると、オレは目の前の女を見据えて口を開いた。


「――ブス!」

「うん」

「まァた別れやがって、この淫乱ビッチが」

「うん」

「ったく同情しちまうなァ、おめーみてェなメンヘラクソビッチに捕まって散々弄ばれて捨てられる男にはよ。死んでもそうなりたくねェな」

「ふふ、うん」


大体、この辺りで胃液が逆流してきそうになって、オレは言葉をやめてしまう。いつものことだ。

ああクソっ、とガシガシ頭をかいて、オレは苛立たしさのまま再びベプシをすする。このファーストフード店で飲むベプシは味がしねェ。氷がたくさん入ってるのに、ぬるい。これもいつものことだ。そしてその原因は、あんなこと言われたってのに「いやー、やっぱり、いいね。靖友の罵倒は」なんて言って相変わらずニコニコしてるこの女にあるってのも分かってる。


「嫌悪感がびしびし伝わってくるいい罵倒だよ。小説なら絶対〈吐き捨てるように〉っていう表現がつくね」

「……はっ。そーだろうね。ま、事実だしィ?」


ある一点だけは、な。心の中でそうぼやいて、鼻で笑った。

嫌悪感は抱いてるさ。他でもねぇオレ自身にだが。
……だってそーだろ、好きな女を貶して平気でいられる野郎がいるかよ。あんなの本心じゃない、言いたくねェのに無理やり腹の底から吐き出してる。そりゃ、〈吐き捨てるように〉って表現もつくだろう。


「あ、でも一つだけいい? 私まだ処女だからさ、淫乱ビッチはしっくりこないんだよね」

「…………。」


この女、こーゆーことを平気で言う。


「……っせーなァ肉体じゃなくて精神がビッチならビッチなんだヨ、いちいち文句つけてくんな」


頬杖をついたまま、横目でちらりと睨んでやると、名前は「なるほどね。精神ビッチか〜」と感心したように頷いている。それで納得すんじゃねェよバァカ。

と、そこで名前は「あ、でもね靖友、」となにか思い出したように手を打った。


「私ね、この前とうとう分かっちゃったんだよ。大発見! これで精神ビッチも卒業できるかもしれない!」

「ハァ? ……ンだヨ」


眉を顰めてそう問えば、ヤツはんふふ、と頬を緩めて、嬉々として口を開いた。


「私ね、自分が好きじゃないんだよ。だから、私のことを本気で好きになる男の人を全く理解できないし、私のことを好きになる男の人なんて、絶対無理! って引いちゃうんだよ」

「……………」

「つまり、自分から追いかけるのはいいんだけど、追われるのは無理なの。追いかけてた人が私に振り向いちゃったら、もうその時点でその人無理なの。だから誰と付き合ってもうまく行かないんだよ!」

「……………。」


名前は「ね、これは世紀の大発見じゃない!?」と目を輝かせる。同意を求められて、嘲ってやろうと口を開いたが、喉からはただ息が漏れるだけだった。

―――もし言葉に形があって、それが見えるとしたら。きっと今のは、刃物の類いだ。


「まぁ、だからそういう意味で、私のことをはっきり嫌いだって言ってくれて、罵ってくれる靖友は、一番信頼できるし、一番一緒にいて落ち着くよ」

「……………、バァカ、嬉しくねーよ」

「ふふ、そうだよね、嫌いなやつにそんなこと言われても嬉しくないか」

「……………ああ」


―――頭が割れそうに痛い。

もう何回好きだと言ってしまおうかと悩んだんだろう。案外言っちまえば向こうも満更でもなくトントン拍子に事が進むんじゃねェか、なんて楽観視して、淡い妄想を膨らませたことだろう。
だがそんな宙に浮いた妄想は、会う度にことごとく奈落のどん底まで叩き落とされてきた。今日も、こーやって。

『告白してコイツから嫌われるぐらいなら、コイツを嫌いなフリをして好かれる方がましだ』、そう割り切れるようになったのはつい最近で、―――いや、まだ割り切れてねェんだろうな、だって一言「嫌い」と言うだけで、未だに胃はひっくり返ったみてえに痛くなるし、冷や汗が出る。本能が、身体が、それを拒んでんだ。

言ってやりてーさ、好きだって。どこが好きなのか、具体的に一つずつ挙げてもいい。少々恥ずかしいだろうが罵倒するよか全然いい。


「………でも私は靖友のこと、好きだよ」


思わず目を見開いた。


「ほら、なんだかんだ優しいしさぁ、こうして付き合ってくれるじゃん」


名前はのんびりと何でもないように言葉を続けている。

なんつーこと言ってくれんだ。ふざけんなよマジで。どんな思いでオレがここに座ってんのかも知らねェで。

畜生、畜生、チクショウ、



「オレは………オレは、オレはおめェのことが、」


「ん?」


「っ、―――嫌いだよ。大ッ嫌いだ……!」



吐き出した言葉は、かすかに震えていた。

嫌いだよ。世界で一番嫌いだ。オレの心を奪っちまったおめーが、告白の権利すら奪っちまったお前のことが、心から憎い。

憎くて、憎くて、なのにどうしようもなく、好きだと思ってしまうから、相反する感情に心がねじ切れそうに痛む。

全部全部、おめーのせいだ。


「あはは、だよね〜。ていうか靖友、なんか顔色悪いよ? もしかして体調悪いの?」

「……ああ、気分わりィから帰る」


そう言って乱暴に立ち上がった。「え? 大丈夫?」と言ってこちらを心配げに覗き込んでくる名前の艶々とした黒目に、また何か要らぬ期待が芽生えそうになって、自分の浅はかさに舌打ちしたくなった。


「じゃあ、お大事にね。今日は本当にありがとう」


――またね、靖友。

背中に投げかけられたその一言に、思わずクッと笑っちまった。
全く、上手いもんだよなァ。最後にこうやって、男を繋ぎ止めておく一言を忘れねーんだから。



「………また、な」



多分、オレは一生この女に囚われ続けるのだろう。

コイツが世界中のあらゆる男に絶望してオレに縋るしかなくなるのが先か、それともオレの心が崩壊するのが先か。終わりの見えない泥沼のようなチキンレースは今後も続く。どちらかが、地獄に落ちるまで。

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