▼ 嘘と約束【前半】
847年
奪還作戦から数ヶ月が過ぎ、街はようやく以前のような平穏な日々を取り戻そうとしていた。そんな王都ウォール・シーナの穏やかな午後、人通りの多い市街地を花束片手に歩く男の姿はかなり目立っていた。向けられる視線を物ともせず無表情で進む男はとある更地の前で足を止めるとその中央に立つ女へと視線を向けた。
「おい、花はこれで問題ないか…?」
その声に振り返った女は一瞬驚いたように目を見開き、すぐに儚げに微笑んだ。
「うん…ありがとう、リヴァイ」
今では建物の跡形もなくなってしまった緑の生い茂るそこへ花を置くと静かに目を閉じる。
「父さん…来るのが遅くなってごめんね…」
この10年におきた出来事を心の中でひとつひとつ伝えていく。そっと目をあければ隣にいたリヴァイもまた同じように目を瞑っていた。その意外な行動に驚いて固まっていればそれに気付いたリヴァイが訝しげに眉根を寄せたので慌てて首を横に振った。
「ここがお前の生家があった場所か…」
「うん…今は何もないけど本当だったらここが庭でね、あそこに玄関があって…」
まるで昔を懐かしむように更地になった土地を見回していれば、ふいに甦ってくる父との記憶に胸が熱くなる。もう二度と戻ることのない時間。冷たい風が吹き抜けていく。
「もう10年、経つんだね…」
しばらく前だけを見て走り続けてきたせいか、すっかり時の流れに置いていかれたような感覚に陥る。そんな私に気付いたリヴァイが私の後頭部に手を回して自分の方へと引き寄せた。
「…そろそろ行くぞ」
「うん…」
リヴァイの肩口に顔を埋めたまま小さく頷けば、引き寄せるその腕の力がさらに強まった。
――――――
キース・シャーディスの元へ異動が決まった私は、調査兵団を離れ訓練兵団へと移る前に数日の移動期間が与えられた。それを利用して二日だけ休暇のとれたリヴァイと共に地下街を目指していた。こんな風に二人して内地を訪れるのはこれが初めてのことだった。
内地の蹄洗場に馬をあずけた後、市街地を並んで歩く。ちらりと隣を盗み見れば、制服を脱いだリヴァイは白いシャツに黒のジャケットを羽織っていた。見慣れないその装いについ見入っていれば、そんな視線に気付いたリヴァイも私へと視線を向ける。
「なんだ…?」
「いや、どうしてリヴァイまで私服なのかなと思って…」
訓練兵団の制服がまだ支給されていない私が私服でここを訪れるのは当たり前だったが、リヴァイまで制服を脱ぐ必要はなかった。地下街で制服を着ていれば多少目立つことにはなりそうだが、元々リヴァイは目立つのだ。
暫く考えるように視線を流したリヴァイは珍しく口をつぐんだ。
「なに…?」
「いや…特に理由はないが、こうして私服で歩いた方がお前と私用でここを訪れたようだろ」
「え、それだけ…?」
「なんだ、問題でもあるか…?」
「ううん…ちょっと意外で驚いただけ」
まるで私とプライベートな時間を共有したいとでも言ってるようなリヴァイの口ぶりに驚いて固まる。そんな言葉が出るとは思わなかったのだ。同時に沸き上がるくすぐったいような気持ちに小さく笑みを浮かべる。
もうすぐ地下街の入り口にさしかかるというところで、思い出したように足を止めた。
「あ、そうだ…私セスたちに何か買っていきたいんだった…」
「必要ねぇだろ…」
「ううん…この前セスが来てくれた時だってろくに何も出せなかったし…今回は何か買っていきたいの」
お願い、と縋るようにリヴァイを見つめれば呆れたようにため息をついて足を止めた。
「…なら俺が買ってくる。お前はここで待ってろ」
「え…うん、分かった…」
商店の並ぶ路地へと方向を変えたリヴァイの背中を見送る。花の時もそうだが、内地に入ってからリヴァイは率先してあれやこれやと動いてくれる。一体どういう風の吹き回しだろうかとそんな事を考えていれば、通りすがりの夫婦が訝しげに私のことを見つめていた。
「あんた、あれだよ…ほらシガンシナに火を放った」
耳に届いたその言葉にハッとする。数ヶ月前に行われた審議会ではシガンシナに火を放った女を一目見ようと連日多くの人々が傍聴へ訪れていた。ここ内地で顔を知られていてもおかしくないのだ。
「一人だけ助かろうと街に火を放った卑怯者か…!」
叫ぶようにして投げかけられた言葉に思わず俯く。通りを歩いていた人々が何事かと集まってくるのが分かった。人々がこんな風に怒るのは当然だった。審議会の後に内地で出回った回紙には私の許しがたい所行があることないこと書き綴られていた。そしてそれが誰の仕業であるかは容易に想像ができた。
「このシガンシナの魔女め…!」
誰かのそんな言葉をきっかけに堰を切ったように暴言が投げかけられる。咄嗟に自分の手首を掴む。そこには拘束された際に嵌められた手錠の痕が今でもくっきりと残っていた。次第に向けられる敵意の中で一人の男が近づいてきたが、すぐにその腕は何者かによって掴まれた。
「おい、そいつに指一本でも触れたら命はないと思え」
辺りに響いた怒りに満ちた声に誰もが動きを止める。リヴァイの視線はまっすぐ男を射抜き、怯んだその隙に私の手を取った。
そのまま足早にそこから離れる。
「うっ…」
引かれていた左手に痛みを感じて小さく声をあげれば、リヴァイは心配そうに振り返った。
「まだ痛むのか…?」
「ううん、平気…」
できるかぎりの笑顔を作ってそう答える。そして目の前に立つリヴァイのジャケットを再び目にしてようやく全てに気がつく。この人の優しさにはいつも後で気付かされるのだ。
「制服を脱いできたのってこれが理由だったんだね…」
「………」
「ごめんね…いつも気付かなくて」
「馬鹿が…俺の前で無理して笑うんじゃねぇよ…」
リヴァイは不機嫌そうに小さく舌うちすると、静かに私を抱き寄せた。その温もりに心から安心する。
こんな風にリヴァイと一緒にいれる時間は残り僅かだった。
――――――
「リヴァイさぁああん!!!」
地下街に下り、リヴァイがまとめていたゴロツキ集団の住処へと辿り着けば入り口で待っていたジェスが感極まって飛びついてきた。リヴァイがそれを一蹴すれば今度は隣に立っていた私を目にしたジェスがわなわなと震え始めた。
「ナマエ!!」
「ジェ…ジェスさん…!」
感動の再会といわんばかりに抱き合おうとした寸前、再び蹴られたジェスが地面へと倒れ込んだ。
「な、何するんスか…リヴァイさん…!!」
頬を押さえながらジェスがそう叫べば、眉根を寄せたリヴァイがはっきりとした声で言い放った。
「おいジェス…人の女に手出すんじゃねぇよ…」
「ええっ!?二人ってそういう関係なんですか…!?」
「ちょ、ちょっとリヴァイ…」
「なんだ、間違ったことを言ったか?」
「いや、そういうわけじゃ…」
何と言えば良いものかと立ち尽くしていればふいに懐かしい声で名前を呼ばれる。振り返れば笑顔で立つセスの姿があった。
「セス…!!」
思わず駆け寄って抱きつく。セスは相変わらず大きな体で私を包んでくれた。
「ちょっと…!なんでセスはよくて俺はダメなんスか!?」
「馬鹿が…あいつは弟で、お前はただの男だろ」
「ただの男ってなんスか!リヴァイさん!!」
「うるせぇ…相変わらず騒がしい奴だなお前は…」
煩わしげにリヴァイがそう言えば、ジェスは泣きながらリヴァイに縋り付く。そんなやりとりを見ながらセスと笑いあう。こんな風に過ごしていれば不思議と離れていた時間が嘘のように感じた。一瞬にして当時に戻ったような感覚に心がじんわりと温かくなる。
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