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▼ クリスマスの日はいつも奇跡【前編】

息が白くなるこの季節は、何か特別なことが起こりそうでいつも胸が高鳴った。だから冬が好きだった。特にクリスマスが。街は色とりどりのイルミネーションで彩られ、どこへ行っても賑やかなクリスマスソングで溢れている。

だけど今年だけは違った。クリスマスという大切な日に私はある決意をしていた。



******



「で、お前はどうしたいんだ…」
「別れたい、です…」

向かい合っているのは喫茶店の狭いテーブル席。人通りの少ない路地裏にあるこの店は昼時だというのに人も疎らだった。有線ラジオから聞こえてくるのは昔ヒットしたであろう懐かしいクリスマスソング。女が選んだのはカウンターから離れたやけに狭い席だった。その距離でさえ聞こえるか聞こえないかの声でぼそぼそと呟くナマエにリヴァイはめんどくさそうにため息をついた。

「そもそも俺たちはそんな関係じゃねぇだろ」
「そう、でした…」
「ならこの時間も無意味ってことになるな」

クリスマスとはいえ年末、仕事は山積みだった。本来なら昼休みなどとっている暇はないリヴァイだったが、深刻な顔をしたナマエに呼び出されて渋々会社から出てきていた。俯いたまま黙り込んだ相手に立ち上がろうとしたリヴァイだったが、それを引き止めるようにナマエが顔をあげた。

「無意味じゃないです…」
「あ?」
「最後にちゃんと、顔を見てさよならが言いたかったから」
「…本気で言ってんのか」
「今回ばかりは本当です」

悲しげに笑ってそう告げるナマエの瞳には薄らと涙が溜まっていた。この女はいつも嘘ばかりだった。もう二度と会わないと言ってみたり、嫌いになったと言ってみたり…全部リヴァイの気を引くためだと分かっていながらも、なあなあに続いてきた関係。

「理由はなんだ」
「え…」
「あるんだろ、理由が」

しばらくの沈黙の後、ナマエはテーブルの下で握りしめていた拳にさらに力を込めてから口を開いた。

「リヴァイさんと同じくらい…大切な人ができました」

その言葉に自分でも驚くほどの衝撃を受けたリヴァイはそれを隠すように立ち上がると懐から財布を取り出した。

「そういうことか…」

こいつだけは自分から離れないだろう、そんな自信があった。同時に一回り以上も年下の女、いずれ若い男に目移りするんじゃないかと、そんな不安もあった。だからあえて思いを言葉にするようなことはせず、縛らないでおいた。その結果がこれだ。自分はやはり間違えてなかったとリヴァイは自嘲気味に笑った。

「まぁ最初から分かってたことだ…」

テーブルに二人分のお茶代を置いたリヴァイが数歩進んだところで、前を向いたままナマエが口を開いた。さっきまでの消え入りそうな声ではなく、はっきりとした声で。

「リヴァイさん…ちゃんと幸せになってくださいね」
「お前、それをこのタイミングで言うか」
「お誕生日、おめでとうございます…」

有線ラジオから聞こえていた古いクリスマスソングは終わり、やけに明るい声でパーソナリティが今日の日付とクリスマスであることを伝えた。

ああ、そうか…
今日、自分は誕生日だったのか。

リヴァイは振り返ることなく足を進めると店を後にした。狭い路地裏から大通りに出ると街はクリスマス一色だった。賑やかに行き交う人々。それを横目で見ながらふとナマエの言葉が頭を過った。

幸せとは一体何だ。
あたたかな家があって、飯が食えたらそれで幸せなのか、
分からない、ずっとそうだ。

それでも確かに分かるのは今自分が大切な何かを失ってしまったということ。こんなに寒い冬は初めてだとリヴァイは思った。どんなに厚着をしていようと、内側から冷えていく感覚に息を吐きだせば、白い息はどこまでも澄みきった空へと消えていった。



*******



その日、ナマエはどうやって家まで帰ったかほとんど覚えていなかった。部屋に辿り着くなりベッドに倒れ込みシーツを被って泣いた。リヴァイとは恋人同士というわけではなかった。だからこそこの中途半端な関係に終わりを告げなければならなかった。

自分はちゃんと言えただろうか
あの人にさよならを。

ひたすら泣いていれば、ピンポンピンポンとうるさいくらいにチャイムが鳴り響いた。もしかしたら近所の人が苦情を言いにきたのかもしれない。泣き腫らした目をそのままに玄関のドアを開けると、そこに立っていたのは犬猿の仲ともいえる同僚の姿だった。



「だから言っただろ、お前とリヴァイさんが長続きするわけないって」

呆れたようにそう言うエレンは、連絡もなしに帰ったナマエを心配してここまで来たわけじゃなかった。その手にはどっさりと持ち帰られた書類の山。唯一、会社の中でナマエとリヴァイの関係を知るエレンはその泣き腫らした目を見てすぐに二人の間に何かあったんだろうと理解した。

「…そもそも付き合ってたわけじゃないから」

一番見られたくない相手に晒してしまった醜態に、痛む米神を押さえながら書類を受け取ると、強引に部屋まで入ってきたエレンの背中を玄関に向けて押した。

「もう、帰って…」
「どうしたんだよ…顔色悪くないか?」

珍しく心配そうにエレンが振り返った瞬間、突然こみ上げる吐き気に両手で口元を押さえた。抱えていた書類はバサバサと音を立ててフローリングに落ちていく。目の前でエレンの大きな目が更に見開かれたのが分かったが、それより早く走り出していた。

「おいっ…!」

流しにつくなり水を流しながら咳き込む。全てを吐き出そうとしたが、どうやっても胃の不快感が拭えない。げほげほと台所で咳き込んでいれば、大きな手のひらがそっと背中を撫でた。

「エレン…」
「お前、もしかして…」

エレンは思ったことをはっきりと言う。そしてやたらと勘がいい。だから喧嘩になることが多かった。リヴァイとのいい加減な関係に気付かれた時もエレンはいい顔をしなかった。尊敬する上司を困らせるよな真似はやめろと、そう注意されては俯くだけだった。その結果がこれだ。あの時エレンの忠告を聞いていればこんなことにはならなかったのだろうか。

「このことだけは、誰にも言わないで…」

手の甲で口元を覆いながら力なく顔をあげるナマエに、エレンは眉根を寄せた。

「お前、まさか…リヴァイさんにも黙ってるつもりなのかよ」
「………」
「あの人が、お前に産むなとか…そんな適当なこと言うとでも思ってんのか」
「そんなこと言うはずないって分かってる…」
「だったら…」
「だからこそ言えない」

シンクに寄り掛かるように体重を預けていたナマエは流しから手を離すとズルズルと床に座り込んだ。

「悲しい顔なんてされたら私、きっと耐えられない…」

ぼろぼろと零れ落ちる涙を隠すように自分の膝を抱き寄せるナマエにエレンはしばらく黙ったまま立ち尽くした。

「だって私…一人でも産みたいから」

いつも嘘ばかりついてきた。一緒にいたくて、気を引きたくて我が侭も沢山言った。だけど今回ばかりは本気だった。家族を作るつもりはないと言うあの人と、離れても守りたいもの。

「もう、帰ってエレン…」

再びエレンを玄関まで追いやろうとしたがすぐに力が抜けて体はよろける。それを咄嗟に受け止めたのはエレンだった。

「これから一人でどうすんだよ」
「………」

持っていたビジネスバックを乱暴に床に置いたエレンは、素早くネクタイを緩めるとナマエの体を抱き上げた。そのまま寝室まで足早に進んでいく姿をぼんやりと見上げる。

「エレンだけには頼りたくないって思ってたのに」
「ああ、俺もだよ…」

呆れたように笑ったエレンはまるで壊れものでも扱うようにゆっくりとナマエの体をベッドへと横たえた。クローゼットか取り出した分厚い毛布を何枚もかけていく。いつも喧嘩ばかりしていたエレンに優しくされるのはなんだかこそばゆかった。

「まさか眠るまでここにいるつもり?」
「ああ、だから帰ってほしけりゃはやく寝ろ」

まるで寝かしつけるように不器用に肩をたたくエレンにナマエは泣き腫らした瞼をそっと閉じた。安心したように眠りに落ちていくナマエの横顔をエレンはじっと見つめる。

「なんでだよ…なんでリヴァイさんなんだよ」

それはもう何十回と繰り返された言葉だった。意識がゆっくりと眠りに落ちていく中、いつもよりずっと悲しげに呟いたエレンの声が耳に届いた。



*******



翌日からエレンはお昼になるとナマエを会社の外に連れ出した。食べ物の匂いに反応してつわりを起こしてしまうのを周りから隠すためだった。エレンのおかげで誰からも怪しまれることはなかったが、その代わり違う噂が社内に流れ始めていることにナマエはまだ気付いていなかった。

終業時間を終え社員も疎らになった頃、総務部から預った備品を倉庫まで運んでいる途中で背後からよく知った声がかかった。

「随分と乗り換えがはやいんだな…」

振り向かなくても誰だか分かるよく知った声。会わないように気をつけていたというのに、まさか向こうから声をかけられるとは思わなかった。

「そういうのを何て言うか知ってるか」
「……」
「尻軽だ」

突き刺さるような言葉に何も答えることができずに俯くと、ふいに目眩を感じてその場に踞った。咄嗟に壁に手をつこうとしたが、その手は強い力で掴まれた。

「どうした…」
「ちょっと体調が悪くて…」

口元を押さて立ち上がろうとした瞬間、急に浮遊感を感じて小さく悲鳴をあげた。ナマエの膝裏と肩に素早く腕を回したリヴァイは体を軽々と抱き上げ歩きだしていた。

「お…下ろしてください」
「少し黙ってろ」
「でも…」
「勘違いするな…上司として部下を運んでるだけだ」

そう言われてしまうと何も言えなくなる。誰かに見られると面倒だと思い顔を隠すように胸元へ顔を寄せれば、胸が締め付けられるほど懐かしい香りがした。泣きそうになるのを堪えていたが、階段を下りていくリヴァイに気付くと驚いて顔をあげる。

「あの…休憩室はあっちですけど」

てっきり社員専用の休憩室に運ばれているものだと思っていたが、リヴァイが向かった先は地下にある会社の駐車場だった。器用にスーツのポケットから鍵を取り出し助手席のドアを開けたリヴァイは、ゆっくりとナマエの体を下ろした。

「家まで送る」
「い…いいです。少し休めば帰れますから」
「そんな状態で一人帰すわけにいかねぇだろ…」
「だったらエレンに送ってもらいますから」

そう言って制服のポケットからスマホを取り出した瞬間、リヴァイは怖いくらい鋭い眼差しでそれを取り上げた。

「か、返してください…」
「ごちゃごちゃ言ってねぇで病人は大人しくしてろ…」

なんて強引だと思ったが、こんな所で揉めているのを誰かに見られるのも厄介だった。走り出した車の中でひたすら窓の外を見つめていたが、すぐに違和感に気付き声をあげる。

「あの…道、間違えてます…」
「向かってるのは俺の家だ」
「は…」

ここまできたら新手の誘拐なんじゃないかと思う。振り返るとちょうど信号待ちで車を止めたリヴァイも顔を向けた。かち合う視線に顔を背けようとしたが、伸びてきたリヴァイの手の甲がナマエの頬を優しく撫でた。

「少し痩せたか…」

そう、慈しむように触れられると途端に息が詰まりそうになった。逃れるように顔を背けるのと、唇を噛みしめる。

「やめてください…私、言いましたよね。もうこんなのは終わらせたいって」

リヴァイはすぐに何かを言いかけたが信号が青に変わったことに気付くと車を走らせた。気まずい空気がの中、人気のない路地に車を止めたリヴァイは独り言のように呟いた。

「お前は幸せになれと言ったな…俺はお前がいないと寒くてどうにかなりそうだ…」
「何で今さらそんな…いつも私たちの関係は特別なものじゃないって、そう言っていたのはリヴァイさんの方じゃないですか」

寂しさに押し潰されそうだった気持ちがようやく落ち着きはじめていた。それなのにこんな風に触れられるだけで、簡単に心は乱れてしまう。やっぱりこの人の傍にいたい…そんな気持ちになるのが怖くて、急いでシートベルトを外すとドアノブに手をかけた。

「そんなに大事か、エレンが…」
「え…」

振り返れば今まで見たこともないくらい必死な顔をしたリヴァイの姿があった。

「俺と同じくらい大事な奴が出来たってのはエレンのことだろ」

(エレン…?)

そうか、この人は勘違いしているのだとナマエはようやく気付いた。

だけど…
エレンには悪いけど都合が良かった。

つかなければ、
一世一代の嘘を

わずかに息をのむと、ナマエは今度こそ終わりにするために冷たい言葉を口にした。言い放たれた言葉に、目の前の人の顔からみるみる生気が失われいくのが分かった。今度こそドアノブに手をかけると逃げるようにその場から走り去った。

白い息が空へ消えていく。

頭の中では傷ついたように目を細めたリヴァイの顔が浮かんでは消えていった。何度も、ごめんなさいと胸の中で繰り返す。どうしても守りたかった。

お腹を抱えるように道端にしゃがみ込むとしばらくその場から動けなかった。

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