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▼ ケニーさん家のリヴァイくん【後編】

「おい、ケニー生きてるか…」

その夜、会社の歓迎会を早々と抜けてきたリヴァイは久し振りにケニーのアパートを訪れた。相変わらず建て付けの悪い扉を乱暴に開けると、部屋にいたのはケニーだけじゃなかった。台所に立って食器を洗うよく知った姿に眉根を寄せる。

「何でお前がここにいる…」
「あ、あの…それは…」

自分が思っていた以上の低い声が出たことに舌打ちすると、それに反応するようにナマエは肩を揺らした。居間に座って酒を傾けていたケニーはそんなナマエを庇うように口を開いた。

「そりゃ、俺に何かあればお前が悲しむからに決まってんだろ」
「あ…?」
「健気じゃねぇか…海外に出たっきり音沙汰なくなったお前を心配して、何かこっちに連絡がないかって通ってたんだぞ」

リヴァイは台所に立つナマエの腕を強引に掴むと、そのまま引きずるようにしてアパートの外へと連れ出した。ここで待ってろと短く言い聞かせてすぐに部屋に戻る。ケニーはニヤニヤと口元に笑みを浮かべてリヴァイを見ていた。

「なぁ、俺の想像してた通りいい女に成長したことだし、お前がいらねぇって言うんだったら俺が…」
「黙れ…」

リヴァイは感情のまま近くの壁を殴りつけると、目の前の男を睨みつける。

「ケニー…てめぇ、歳とってついに頭までイカれちまったか…」
「恩知らずな奴じゃねぇか…大学まで出してもらったのによぉ」
「馬鹿言え、全部俺が死にものぐるいで手に入れた奨学金でだろうが」
「ああ、そうだったな…」

酔っているのかゲラゲラと笑って酒を傾けるケニーにリヴァイは呆れたように息を吐いた。

「とりあえずあいつを家まで送ってくる…もう二度とこんな薄汚ねぇ場所にあいつを入れんなよ」
「ああ、わかったよ…」

そう言ってひらひらと片手をあげるケニーを目の端で捉えたリヴァイは、すぐにアパートの外へ向かった。そこで不安気な顔をして待っていたナマエの腕をとると、無言のまま歩き出した。

「あの…リヴァイくん…」
「お前…二度と俺の家に近付くな。俺のことも二度と名前で呼ぶんじゃねぇ」
「…どうして?」
「言っただろ、俺とお前は住む世界が違いすぎると」

ナマエの家はケニーのアパートから歩いて五分ほどの場所にあった。相変わらずの豪邸を黙って見上げる。やっぱりこの女にはこういう場所が似合っている。そんなことを考えながら振り返ると、ようやくナマエが涙を流していることに気が付いた。

「ナマエ…」
「分かった…もう近付かないよ。二度と名前で呼んだりもしない。でもケニーさん、ここのところ肺の調子が悪いみたいだから、これからはなるべく家に帰ってあげてね」

そう言い残して背を向けたナマエの、その寂しげな背中にむかって今にも手を伸ばしそうになるのをリヴァイはぐっと堪えた。

(まただ…俺はあいつを泣かせることしかできねぇのか…)

そんな思いで拳をきつく握りしめた。



――――――



リヴァイがアパートに戻るとケニーは相変わらず居間で酒を傾けていた。テレビから賑やかな笑い声が聞こえてくるとそれに反応するようにゲラゲラと笑う。肺が悪いようには到底見えない。

「ケニー…てめぇ肺の病気ってのは本当か?」

単刀直入にそう切り出せば、ケニーはテレビに視線を向けたままわずかに目を細めた。

「リヴァイ、お前は何年経ってもガキのままだな」
「あ?」
「好きな女いじめて楽しいか…」

ケニーは飲んでいたビールの空き缶をぐしゃりと潰すとテーブルの端に置いた。

「いや、こうなっちまったのは全部俺のせいだな」
「一体、何のことだ…」
「ガキの頃からお前を疫病神扱いしちまったからな…そのせいでお前、自分の近くにいる奴はみんな不幸になるとでも思ってんじゃねぇのか?」
「………」
「…悪かったな」

聞こえるか聞こえないかの声で呟かれたその言葉は、すぐにテレビの雑音に掻き消された。それでもリヴァイはそれを聞き逃すことも、それに答えることもできないまま立ち尽くした。



――――――



その後、リヴァイはすぐに長期の海外出張へ向かった。本当は自ら行かなくても問題ない案件ではあったが、胸に広がるモヤモヤとしたものをどうにか振り払いたかった。数年ぶりに育った街へ戻り、ナマエを見ていれば、必死に忘れようとしていた何かを思い出しそうで恐ろしかった。

あの女は初めて会った時から変な奴だった。俺のことを守ると言い、怪我する度に心配そうに駆け寄ってきた。そんなあいつを煩わしいと思いながらも、どうしても放っておくことができなかった。それどころか子供の頃に差し出されたハンカチを今でも大事に持っている。

ああ、そうだ。
こんなものを持ってるからか…

リヴァイは色々考えた結果、子供の頃から大事に持っていたハンカチを本人に返すことにした。そうすれば、この謎の感情も振り払うことができるだろうと。

そう決意すると、一秒でも早く帰国したくなった。ナマエに会いたいわけじゃない。馬鹿みたいに大事に持っていたハンカチを返して、もう二度と関わらないのだと…

そう伝えるために、三日三晩寝ずに仕事を終わらせて帰国すると、その足で会社に向かった。だが、肝心のナマエが見つからなかった。各部署を渡り歩いていれば、一人の社員が心配そうに近付いてきた。

「部長、どうしたんですか…顔色が悪いですけど」
「いや、何でもねぇ…それよりあいつは…ナマエはどうした」
「ああ、彼女なら辞めましたよ?」
「あ?どういうことだそりゃ…」
「家の都合でって言ってましたけど、もしかしたら寿退社かもしれませんね」

そう言ってにこやかに笑う社員から顔を背けると、すぐに会社を飛び出した。何故こんなにも腹が立つのか分からなかったが、いてもたってもいられなかった。

フラつく足のまま地元へと向かうと、二度と関わりたくないと思っていた近所の奴らからナマエの情報を聞き出しある場所へと辿り着いた。

そこは、あいつからは想像もつかない古びた弁当屋だった。

遠くから中の様子を窺うと、弁当屋のエプロンをつけて笑顔で接客をするナマエの姿が見えた。何故、あいつがこんな場所で働いているのか。ゴミ袋を抱えて店から出てきたナマエに気付くと足早にで近づいた。

「お前、なんでこんな所で働いてやがる…」
「ぶっ…部長!?」

リヴァイに気付いたナマエは、恐怖で顔を引き攣らせた。そんな姿に舌打ちすれば、ますます震えて後ずさるナマエを逃がすまいと壁に手をつき退路を断つ。

「俺に分かるように説明しろ…」

しばらく俯き視線を彷徨わせていたナマエだったが、諦めたように息を吐くとことの次第を語り始めた。

父親が亡くなったこと。その父が経営していた会社が倒産し、借金の返済のために家を売ることになったこと。母親は心労で倒れ、その看病をしながら働きたいから会社を辞めたのだと、そう苦笑いして話すナマエにリヴァイはわずかに目眩を覚えた。

「今はこのお弁当屋さんと、夜は工場でも働いてます。あ、でも心配しないでください…私、こう見えて力仕事は得意なんです」

そう言って笑うナマエの顔には疲れが見えた。傷一つなかった綺麗な手はあかぎれだらけで、前より痩せた細い体で気丈に笑う姿を見ていられなかった。

「やめろ…お前はこんな所で働くような人間じゃない」

片手で顔を覆って視線を逸らせば、落ち着いた声でナマエは言った。

「どこにいても、何をしてても…私は私だよ」

それは遠い昔に聞き覚えのある言葉だった。

『どこにいても、何をしてても…リヴァイくんはリヴァイくんだよ』

その時は何の苦労も知らない、金持ちの戯言だとばかり思っていた。

──俺は馬鹿だ、大馬鹿野郎だ。

激しい後悔と共に意識が遠のいていくのが分かった。全身から力が抜け、次の瞬間にはドサリと重たい体が倒れるのが分かった。

「部長…!部長…!!」

暗くなった世界に、ナマエの声だけが響き渡っていた。



――――――



『──リヴァイくん、リヴァイくん』

どこからか懐かしい声が聞こえる。
それはいつも耳にするだけで安心する声だった。

怪我をすれば、すぐに心配そうな顔で駆け寄ってくる姿。ひどい言葉を投げかけられると、自分よりも傷ついた顔で涙する馬鹿な女。

そうだ、あいつはいつも俺のことを心配してたじゃねぇか…

それなのに俺は馬鹿みたいなプライド掲げて、
一体、何度あいつを泣かせた…?

「部長、部長っ…!」

違う、そうじゃねぇ…
そんな風に俺を呼ぶな──。


瞼を開ければ、心配そうに覗き込むナマエの姿があった。

「よかった…もう二度と起きないんじゃないかって心配したんですよ」

その泣きそうな顔はガキの頃からちっとも変わっちゃいなかった。胸の奥がざわつく。

「少し働きすぎなんじゃないですか?」
「ああ…」

横になっていたソファからゆっくり体を起こすと、そこは休憩室のような小さな部屋だった。ナマエはすぐに立ち上がった。

「私、近くに知り合いのお医者さまがいるんです。私ちょっと呼んできますね」

そう言って駆け出そうとするナマエの腕を咄嗟に掴む。

「行くな…」

そのまま強い力で細い体を引き寄せると、どこにも行かないように腕の中に閉じ込める。更に力を込めれば昔からよく知った懐かしい匂いに包まれた。言いようのない感覚に胸は締め付けられ、言葉は考える間もなく溢れた。

「好きだ…」

その言葉に一瞬にしてナマエの体が強張ったのが分かった。

「だっ…誰かと、間違えてませんか?!」
「間違えてねぇよ…」
「部長…もしかして熱でもあるんじゃ」

そう言って額に伸びてきた手を掴むと、間近にある瞳をじっと見つめる。

「ちゃんと名前で呼べ」
「え…」
「名前だ」
「リヴァイ…くん?」

その懐かしい響きに、再び安心したようにナマエを抱き寄せた。肩口に顔を埋めたまま静かに口を開く。

「俺は多分、ずっとお前が羨ましかった。俺の持ってないもん全部持ったお前が」
「え…」
「きっとお前のようになりたかった、全てが欲しかった」
「……」
「だが、ここにきてようやく気がついた。俺が本当に欲しかったのは、最初からお前だけだったと」

そう言って顔を覗き込めば、ナマエはビー玉みたいに曇りのない瞳で俺を見つめた。本当はいつも触れたくてたまらなかった頬にそっと手を伸ばす。

「今まで泣かしてきた分、絶対に幸せにしてやる。だから…もう、俺を拒絶するな」

しばらく驚いたように固まっていたナマエだったが、すぐにいつもの穏やかな顔で口を開いた。

「拒絶なんてしませんよ…だって約束したじゃないですか」

もう以前のように綺麗な服も、化粧もしていないはずのナマエが、今までで一番綺麗な顔をして笑ってみせた。

「リヴァイくんのこと、ずっと待ってるって」





それからしばらくして、俺は大きな家を買った。ナマエとその家族と、ついでにケニーも一緒に住めるくらいのでかい家を。



【ケニーさん家のリヴァイくん・おわり】

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