▼ リヴァイ兵長は最強ではない【後編】
外に出ると辺りはすっかり暗くなっていて、吹き付ける風の冷たに今にも凍えそうだった。川辺につくと馬鹿でかい風呂敷を下ろして、うわああんと近所迷惑も考えずに泣きわめいた。
本当は行く当てなんかなかった。
だけどそれで涙が出てきたわけじゃない。
あの人はなんでいつもああなのだと、そう思わずにはいられなかった。
リヴァイ兵長はずっとそうだ。来る者だって拒むくせに、去る者だって追わずだ。少しは私のことだって必要としてほしい。
「へいちょおお…」
辺りに人がいないことをいいことに子供みたいに泣きわめいていれば、遠くからよく知った顔が近付いてきた。ひどく顔を歪めて近付いてくるその人は、昼間にも偶然この場所で出会った男で。
「おいおい、お前…こんなとこで何やってんだよ」
「ナイル師団長…!」
「だからその師団長ってのはいい加減やめろって言ってるだろ」
いつもだったら謝るところだが、私はキッと男を睨みつけた。よくよく考えれば、昼間この男にさえ出会わなければこんなことにはならなかったのだ。涙でぐちゃぐちゃな顔のまま唇を噛み締めると、ナイルは驚いたように私の手元を見つめた。
「その荷物…まさかリヴァイんとこ出てきたのか?」
まさかの図星で押し黙る。咄嗟に視線を逸らしたが、昼間には見覚えのなかった包帯が師団長の手に巻かれているのに気付くと顔を戻した。
「どうしたんですか、その手…」
「ああ、これな…あいつの馴染みの店とやらでえらい目にあったぜ」
「え…」
兵長の馴染みの店と聞いてズキリと胸が痛む。その話は出来ればもう聞きたくなかった。
「あいつのお気に入りが俺のこと引っ掻きやがってよぉ…」
「兵長のお気に入りが…ひっかく…」
体がわずかに震えだす。一体どういうプレイを扱ってる店だというのだ。
「まさか、兵長…そっちの趣味でしたか…」
「あ?何言ってんだよ…俺を引っ掻きやがったのは猫だ!」
「…ね、ねこ?!」
「ああ、あいつの馴染みの店ってのは猫カフェだったんだよ、猫カフェ」
「ねっ…ねこカフェ?!」
師団長はまったくひどい目にあったもんだと頭を掻きながらことの全てを説明した。リヴァイに連れられて向かった先、可愛い女の子が待ち構えていると思えばそこにいたのは沢山の猫達だったと。
「大体、俺は猫アレルギーだってのにひどい目にあったぜ…まぁその店は捨てられた猫なんかの里親探しもしてるみたいだがな」
「里親…探し」
そこまで聞いて思い出した。数日前に兵長が突然拾ってきた子猫のことを。ここでは飼えないと強く言えば、知り合いに引き取ってもらったと言っていたが、まさか…
「そ、その兵長のお気に入りってどんな猫でした?」
「あ?なんだよ突然…」
勢いよく縋りつけば、師団長は驚いたように後ずさった。その両腕を逃がすもんかと掴む。
「いいから教えてください!!」
「ああ、分かった…分かったから少し落ち着け…確か、まだ子猫の…三毛猫だったな…」
「やっぱり…」
全身から力が抜けたようにその場にへたり込む。私はとんでもない勘違いをしていた。兵長は如何わしい店なんかじゃなくて、あの子猫に会いに行っていたのだ。
恥ずかしくて、申し訳なくて、今すぐ頭を地面に打ち付けたい衝動にかられていれば、ナイルは盛大なため息をついて同じ高さに屈んだ。
「まぁ、よく分からんが…誤解は解けたんだろ?だったらさっさと家に帰れよ」
その言葉に頭を両手で抱えたまま首を横に振る。
「いえ…これはいい機会かもしれません。私もう辛いんです…あんな兵長見てるのが…」
「どういうことだよ」
「昔は人類最強だった兵長が…今は窓の外ばかり見て…あれじゃあエレンが言うように昼行灯みたいで」
そこまで言うと、急にナイルは顔つきを変えた。
「おい、ナマエ…お前、本気であいつが毎日何もない景色をただぼんやり見つめてるとでも思ってんのか?」
「え…」
その言葉の意味がすぐには分からなかった。だって私はいつも兵長の横顔ばかり見つめて、その視線の先を追うことは一度もなかったから。
目をつむると、兵長がいつも見ていたであろう景色を心に思い浮かべる。あの人はいつも決まって同じ時間にベランダに向かった。赤く染まった夕焼け、ほんのりと赤く染まった街並、目の前にぽつんとあるのは古びたイェーガー商店だけで…
「あ…」
そこまで思い浮かべてあることに気がついた。そうだ、兵長の視線の先にはいつもエレンがいた。夕方、面倒くさそうに店番を任されたエレンの姿が…
「まさか、兵長はずっとエレンを…?」
「ああ」
「どうして、そんな…」
「俺もあいつの過去に何があったかは知らねぇが、エルヴィンの話じゃリヴァイは過去にエレンとの約束を守れなかったらしい」
「約束…」
「現世に生まれ変わってもなお、あいつはそれを律儀に守ってやがる…昔からそういう男だろ」
そうだ、兵長は昔からそういう人だ。一見、粗暴で近寄りがたい雰囲気をもってるけど本当は誰より仲間思いで優しい人。そして絶対に約束を破らない…
だんだんと視界が滲んでいく。私はなんてひどいことを兵長に言ってしまったんだろう。そんな私に気付いたナイルが慌てて近付いた。
「お、おい…泣くな…俺が泣かしてるみたいだろ」
「だって私、兵長にたくさんひどいことを…」
「ああ、分かったよ…分かったからお前、とりあえず俺ん家来い」
そう言って腕を掴まれたが、すぐにそれを振り払う。
「お、お断りします…」
「あ?」
「嫁入り前に男なんぞの家に転がり込めません」
「だったら今までリヴァイんとこに転がり込んでたのは何だったんだよ…!」
呆れたようにそう言われて口を尖らせる。
「兵長は私に手を出したりしません…!」
「俺だって頼まれても出さねぇよ…!」
夜の川辺でぎゃあぎゃあと言い合っていれば、歩行者に訝しげな視線を向けられる。それに気付くと二人同時に口をつぐんだ。
「はぁ…どうせ行くとこないんだろ…お前、朝までここにいるつもりか?」
「それは…」
確かにその通りだった。諦めたように差し出された手を取ろうとした瞬間、それは突然気配もなく現れた第三者の手によって遮られた。
「男の家に行くとは聞いてねぇぞ…」
「え…」
それは久しぶりに見る眼差しだった。いつもどこかぼんやりしていた兵長が、わずかに息を切らせて立っていた。
「あーようやく迎えがきたようだな…もう人騒がせな喧嘩するんじゃねぇぞ」
師団長はガシガシと私の頭を乱暴に撫でると背中を向けたまま手を振り去っていった。ぼう然とその姿を見送ると、ちらりと隣に視線を向けた。
「どうして…」
「やっぱり寒いだろうと思ってな」
そう言って兵長が私の肩に掛けたのは荷物に入れなかったあのダサい綿入りはんてんだった。
「有り難いですけど…こんなの着て外歩けません」
「ああ、だから迎えに来た」
その言葉に再び涙で視界は滲む。兵長は無言で私の手を取るとゆっくりと河川敷を歩き出した。その手はとても冷たい。一体どれだけの時間、私を探しまわってたのだろう。そう思うとやっぱり涙は止まらなかった。
「ナマエ…お前、変わった奴だな」
「え…」
「俺なんかのどこがいいんだ」
「…ぜんぶ、です」
「俺に幻想を抱きすぎだ…」
前を歩く兵長に、ぐずぐずと泣きながらそんなことありませんへいちょおおとその背中に抱きついた。兵長は一瞬ぎょっとして固まったが、すぐに呆れたようにため息をついた。
「俺に幻滅したんじゃなかったのか?」
背中に抱きついたままぶんぶんと首を横に振る。
「いいえ、兵長は何も変わってなんかいませんでした」
わずかに腕の力を緩めると、兵長はゆっくりと振り返った。月明かりに照らされたその瞳を真っ直ぐに見つめる。
「今も、昔も…リヴァイ兵長は…」
「………」
「人類史上、誰よりも優しい人です」
そう言って笑おうと思ったのに、ふいに溢れたのは涙だった。それを見た兵長はわずかに目を細めると優しくそれを拭っていった。その顔は相変わらず感情が読めないものだったけど、どこか満たされてるようで、私の冷えきっていた心はじんわりと温かくなった。
「リヴァイさん、帰りましょうか」
「ああ」
「帰ったらおうどん食べますか?」
「そうだな」
「卵はいくつ入れますか?」
「一つ…いや、二つだな」
冷たい手のひらを握りしめたまま川沿いの道を二人で並んで歩く。
確かに兵長はもうかつてのような鋭い眼差しをすることはなくなった。でも兵長は生まれ変わってもなお、自分のことより誰かのことばかりで…そんな不器用で優しい人を私は…きっと多分、ずっと好きだったのだ。
リヴァイ兵長、
あなたが自分の為に生きないというのなら
私があなたの為に生きます
心の中でそっと呟いた言葉は隣の人にはきっと届くことはない。だけどそれでいい。私にもようやく分かった。誰かの為に生きることはそんなに悪いことじゃないのかもしれない。
急に足を止めた兵長に驚いて振り返った先、月明かりに照らされたその人が見たこともないくらい優しい眼差しで私を見つめていたので、私はしばらくその瞳から目を逸らせなくなった。
それは二千年前にはない、穏やかな時間だった。
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