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▼ リヴァイ兵長は最強ではない【前編】

記憶というのは不思議なもので、自分でも知らない間に書き換えてしまうことがある。大事なことを忘れて、まるで上書き保存でもしてしまうかのように。


「リヴァイさん、ご飯できましたよ」

六畳一間のアパートに備え付けられた狭い台所で二人分のうどんを作った私は、それを唯一の家具と言っても過言ではないテーブルに運びながら、いつもの位置に座ったその人へ顔を向けた。

窓枠に背をあずけ、夕焼けに赤く染まった街を眺める横顔はもうすっかり見慣れたものだった。そして一度声をかけただけじゃ振り向かないこともよく知っていた。それでもその視線の先に何があるのか知らないのは、私も兵長の横顔を見つめるのがすっかり日課になっていたからだ。

「リヴァイさん…おうどん…伸びちゃいますよ…」

さっきよりも静かに声をかければ、ようやく私の存在に気付いたように顔を向けてくれる。それが嬉しくも、なんだか寂しい瞬間でもあって、ふいに心に吹いた隙間風を誤摩化すように立ち上がり背を向けた。

「あ…そうだネギ…ネギ買い忘れたみたいなんで、ちょっと買ってきますね…」

捲し立てるように早口で言い切ると、台所に置いてあった財布を素早く手に取りエプロンをつけたまま玄関に向かった。背後から兵長の声が聞こえた気がしたが、それを振り払うように外へ飛び出す。後ろ手に扉を閉めると背中に体重をあずけたまま大きく息を吐いた。

寂しい、
どうしてこんなにも寂しいのか…

リヴァイ兵長はすっかり変わってしまった。

そんな感情を胸の奥へと押し込めると、溢れ出した涙をゴシゴシとエプロンの裾で拭った。



――――――



私がリヴァイ兵長の家に転がり込んだのはかれこれ半年以上も前のことになる。お互い過去の記憶を持ったまま再会したのはなんてことない道端だった。会社からの帰り道、いつものようにスーパーの袋を片手に人気のない路地を進んでいると、向かいから覚束ない足取りで一人の男が歩いてきた。今にも倒れそうなその人に慌てて駆け寄れば、顔をあげたのはかつて人類最強と謳われていた人だった。

どういう経緯があって行き倒れそうになっていたのかは知らないが、一人じゃまともに歩けそうもない兵長の体を支えながら部屋まで送り届けると私はしばらく立ち尽くした。

「兵長…本当にここに住んでるんですか?」
「ああ…」

お世辞にも広いとは言えないその部屋は想像していた兵長の部屋とはまるで違った。

玄関から繋がる狭い台所、その先に広がる六畳一間の居間には物なんてほとんどなかった。あんなに綺麗好きだったのが嘘じゃないかと思うくらい埃っぽくてカーテンさえ開いてない薄暗い部屋。居間の中央にあるテーブルの上には空っぽの花瓶だけが置かれていた。

(こんな寂しい部屋に、一人で住んでるの…?)

覚束ない足取りのまま部屋にあがった兵長はそのまま黙ってベランダまで移動すると、窓枠に背をあずけ外を眺めた。まるでいつもそうしているのが当たり前のように自然に見えた。前髪が風に揺れる兵長の横顔を、私は黙って見つめていた。

(──兵長に、一体何があったんだろう)

かつて人類最強と呼ばれ、凛々しい横顔をしていたその人が、今ではまるで抜け殻のようにぼんやりと外を眺めている。その事実を私はすぐには受け入れることが出来なかった。

その後、体調が戻るまではと食事を作るようになり、その内兵長の家から会社に通い始め、気付けば転がり込むような形で今に至る。兵長は時々ふらっと出掛けることがあったが、それ以外はぼんやりと外を眺めることが多かった。そんな姿に慣れるまでしばらく時間がかかった。

そして、今でも時折寂しくなる。
記憶の中の兵長に会いたくてたまらなくなるのだ。



ボロアパートの向かいにある、これまたボロい商店の野菜コーナーに立ち尽くしていれば、急に背後から声がかかった。

「おい、そんな所でぼーっとされたら営業妨害だろ」

振り向いた先、呆れたように腕を組んで立っていたのは店のエプロンをつけて片手にハタキを持った少年。その大きな瞳は真っ直ぐに私を捉えていた。

「エレン…」

そう、もう一つ驚くことがあった。

兵長の住むアパートの目の前にある商店にあのエレン・イェーガーがいた。店主の一人息子であるエレンは夕方になると決まって店番を任されているようで、会社帰りに顔を合わせることが多かった。

「なんだよ、お前…泣いてんのか?」
「べ、別に…泣いてたわけじゃ…」

慌てて涙を拭うと、忌々しく顔を歪めたエレンから視線を逸らす。そんな私にエレンは面倒くさそうにため息をついた。

「お前さぁ…もっとまともな恋愛しろよ」

突然の言葉に固まる。まさかエレンは私が兵長に泣かされたとでも思ってるのだろうか。慌てて誤解を解こうと口を開きかけたがそれより先にエレンが続けた。

「あんな昼行灯なんかにつきまとってるとろくな恋愛できないぞ」
「昼行灯って何よ…まさかリヴァイさんのこと!?」
「他に誰がいんだよ…」
「あ、あの人は…本当は…!」

そこまで言って拳を握りしめると、口を噤んだ。

エレンには前世の記憶がない。

そして過去については絶対に打ち明けてはいけないと兵長から言われていた。何故かと聞けば、あまり良い記憶じゃないからだと…そう言っていつも以上に寂しげな顔をした兵長に、私は黙って頷くことしかできなかった。

「あの人は、なんだよ…」
「べ、別に…それにリヴァイさんと私は、恋愛とかそういう関係じゃないから」
「はぁ?家に転がり込んでる奴が何言ってんだよ」
「そもそも、へいちょ…リヴァイさんは私にとって雲の上の存在だし…三十路でニートだし…」
「さりげなく俺よりひどいこと言ってるからなお前…」

エレンは片手で額を覆うとさっきよりも盛大に息を吐いた。

「あの人も変わってるけど、お前も物好きだよな」
「失礼な…私のことは好きに言っていいけど、リヴァイさんのことを悪く言うのはやめてよエレン」
「だってよ…あの人、今日もずっとベランダがら外眺めてただろ?俺ここで店番しててよく目が合うんだよな…気まずいからやめて欲しいんだが」
「別にエレンを見てるわけじゃないから」

そう言いって背を向けると、色とりどりに並ぶ野菜の中からネギを掴んでレジまで進んだ。その後ろを呆れたようについてくるエレン。

「まぁ、そこまで好きなら一生面倒見てやるんだな…あの昼行灯の」
「なっ…!私はただ、前世で命を救ってもらったお礼に…」
「前世…?」
「なんでもない!」

慌てて口を閉じると、持っていたネギを乱暴にエレンの胸へと押しあてる。そのまま会計して店を出るまで私は一切口を開かなかった。これ以上エレンと話していれば、兵長との約束を破ってしまいそうだった。



――――――



部屋に戻った頃にはすっかりうどんは伸びていた。手付かずの二つの丼に瞬きを繰り返す。

「もしかして食べずに待っててくれたんですか?」
「作った奴を差し置いて先に食べるわけないだろ」
「先に食べてても良かったのに…」

急いで台所に向かおうとして、私は一つの違和感に気付いた。兵長の腕の中に何やら見慣れない生き物がいる。にゃーと可愛らしい声で鳴く子猫に驚いて動きを止めた。

「ど、どうしたんですか、それ…」
「裏で鳴いてるのを見つけてな…どうやらコイツは捨てられたらしい」
「だからって拾ってきたんですか!?ダメですよ…ここペット禁止じゃないですか」
「ああ…」

そう言って分かってるのか分かってないのか、兵長は子猫を抱き上げ目を細めた。ネギを持ったまま物言いたげに見つめていれば、兵長はわずかに息を吐いて顔をあげた。

「安心しろ、知り合いに引き取ってもらうつもりだ」
「なら、いいんですけど…」

その言葉に肩を下ろすと今度こそ台所に向かいネギを切る。ちらりと振り返れば、静かに子猫を見つめる兵長の姿。

別にいじわるで言ってるわけじゃない。兵長はここを追い出されたらきっと行くあてなんてないだろうから心配して言ってるのだ。なんて考えごとをしていたからか、包丁の鋭い切っ先が左手の人差し指を掠めていった。

「いたっ…」

溢れ出す血にしまったと立ち尽くしていれば、いつの間にか背後から一つの影が伸びた。

「見せてみろ」
「え…」

兵長はすっかり変わってしまったようで、変わらないところもあった。怪我した左手を握った兵長は傷口をじっと見つめた。

「これくらい舐めときゃ治る」
「舐めときゃって…現代社会でそんなこと言うのは兵長くらいですから」

苦笑いして絆創膏を取りに行こうとすれば、再び腕を取られる。驚いて振り返った時には傷口ごと私の人差し指を口に含んだ兵長の姿。

「ッ…」

全身に怪我した時以上の熱が走る。恥ずかしくてたまらなかったが、血が止まったのを確認した兵長は何事もなかったかのように背を向けた。不器用だがあれが兵長の優しさ…だと思う。こればかりは何千年経っても分かりにくいけど。

子猫を抱えたまま窓際に座るその横顔をいつものようにこっそり見つめる。

遠い昔からリヴァイ兵長の横顔を覗き見るのが好きだった。凛として迷いのないその眼差しを見ていれば、自分も強くなれるんじゃないかと馬鹿みたいなことを考えたりもしていた。憧れていたのだ…いつも前だけ見つめた兵長に。

言葉は厳しいけど誰よりも強くて、何人もの兵士を救ってきたその人に私も命を救われた。

その返しきれない恩義を、いつかは返したいと思いながらも、当時兵長の為に私が出来ることなんてやっぱりなくて…

いつの間にやら2000年、
まさかのチャンスが訪れた。

いつか人類最強と謳われた頃の兵長に戻ってほしくて、放っておけばろくにご飯も食べない抜け殻のようなその人を、今度は私が守るのだと、そう勝手に決意していた。



――――――



数日後、家に引きこもってばかりでは良くないと兵長を散歩に誘った。近所にある河川敷を歩きながら、天気が良いですねーとか、もうすっかり冬ですねなんて老夫婦のような会話をする。

兵長は相変わらずぼんやり景色を見つめたまま適当に返事をした。その瞳に私が映ることはない。気付かれないようにため息を漏らしていれば、向かいからよく知った男が歩いてきた。

「よぉ、リヴァイ…なんだ今日はナマエも一緒か」
「ナイル師団長…!」
「その師団長ってのはやめろって言ってるだろ」
「すみません…」

元憲兵団師団長。このくたびれた男もまた前世の記憶を持った一人だった。たまにお酒を持って訪ねて来ては兵長に無理やりお酒を飲ませようとするので、あまり良い印象は抱いていなかった。

せっかくの二人きりの時間に現れた邪魔者に口を尖らせていれば、師団長は馴れ馴れしく兵長の肩を抱いた。

「たまにはこんな辛気くさい顔した小娘ばかりじゃなく可愛い子の揃った店にでも行こうぜ」
「なっ…なにを…!」

反射的に拳を握りしめる。その失礼な物言いに食ってかかろうとすれば横からスッと伸びてきた兵長の腕に止められる。じっと師団長を見ていた兵長はしばらく無言だったが、ゆっくりと口を開いた。

「ああ、そうだな…なら俺の馴染みの店にでも行くか」
「あ?お前、馴染みの店なんかあんのかよ」
「俺のお気に入りがいる店だ」
「なんだって?ははっ…興味なさそうな顔して隅に置けねぇ奴だな…よし、だったらエルヴィンの奴も誘ってやるか」

そう言ってご機嫌にスマホを取り出した師団長を前に私は開いた口が塞がらないでいた。兵長の馴染みの店…そんなのは初耳だった。確かに時々、行き先も言わずにふらっと出掛けることがあったが、まさかそんな如何わしい店に通っていたというのか。

「い…いつからそんなお店に通っていたんですかリヴァイさん…」

今にも泣き出しそうな声で問いかけた言葉に、返事が返ってくることはなかった。押し潰されそうな胸の痛みに震えていれば、兵長は静かに振り返った。

「お前は先に家に戻ってろ…いいな?」
「え…で、でも…」

動揺を隠せないでいれば、私の肩に師団長の手が置かれた。

「たまには解放してやれよ…お前とばっかいたら息が詰まるだろ」

衝撃だった。そのままスタスタと去って行く二人の背中を無言で見つめながら立ち尽くす。河川敷に一人残された私は、さっきまで感じなかった寒さが突然身に染みるようだった。全ての思考回路は遮断され、もうどれくらい時間が経ったのかも分からない。

最低だ…

兵長なんて最低だ…

いや、もうあんな奴、兵長でもなんでもない。

昔は本当にかっこよかった。風を切って立体機動で舞い上がる姿も、先陣を切って巨人に向かっていく背中も、涼しげな顔で巨人を削いでいく姿も、いつだってその横顔を見るのが好きだった。

でも、もう…すっかり別人だ。

自分から転がり込んでおいてなんだが、もうあんな家、出ていってやる。兵長なんて勝手に飢え死にでもなんでもすればいいんだ…!

そこからは早かった。

大股でボロアパートまで戻ると、持ってきた荷物を風呂敷いっぱいにまとめていく。兵長と兼用で使っていたダサい格子柄の綿入りはんてんを持っていくかどうか悩んでいれば、玄関の鍵がガチャガチャと音を立てた。兵長が帰ってきたのだとすぐに分かったが、振り返ることなく荷物をまとめる手も止めなかった。

「何だ、旅行にでも行くのか…」
「こんな時間から旅行なんて行くと思いますか?」

昔だったら考えられないような冷たい声で返事をする。あんた馬鹿ですかと続けたかったが流石にその言葉は飲み込んだ。

「出て行くのか」

その声にほんのわずかな寂しさを感じとると思わず心が揺らいで視線を落とした。背中を向けたまま立ち上がると、振り向くことなく続ける。

「兵長は…変わりました」
「あ?」
「前は誰よりも強くて、皆からの憧れの対象で、かっこよかったのに…今じゃ何をやっても生気がないし何を考えてるのかさっぱり分からないし…挙げ句の果てには如何わしいお店に行くし…」
「………」
「正直、幻滅です」

ひどい言葉だと思ったが、溢れ出てくるものを止めることが出来なかった。

「俺は元々お前の思ってるような人間じゃねぇよ」

背後から聞こえるか細い声に大きく鼻をすすると、でかい風呂敷を背負って振り返った。

「だったら私の勘違いでした…!2000年越しの…なっがーい…馬鹿みたいな勘違いでした…!」

そう大声で言い放つと、同時に涙も溢れ出した。それを見た瞬間、兵長の顔が初めて歪んだ。本当に初めてだった。自分という存在が初めて兵長に影響を与えた気がした。

「お前…行く当てはあんのか?」
「ばっ…馬鹿にしないでください!私は兵長とは違って友達も多いし…行く当てくらいあります」
「そうか…だが今夜は冷える、行くなら明日の昼間にしろ」
「い、嫌です…もうこれ以上、一秒たりともこんなとこにいたくありませんから」

溢れ出す涙を拭いながら横を通り過ぎる瞬間、兵長は聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。

「…苦労かけたな」

その言葉に胸がぎゅっとなったが、小さく鼻をすするとそのまま振り返ることなく部屋を後にした。

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