▼ 初めてお留守番します!【後半】
リヴァイが任務で城を空けて数日。
心にぽっかりと穴が空いてしまったような毎日を過ごしていた。こんな風にリヴァイと離れるのは実家に戻った時以来だった。喧嘩をしたままなのもあってか、寂しさは募るばかりだ。
何よりリヴァイがいないと怪我人も少ないし、医務室に逃げ込んでくる兵士達もいない。正直、手持ち無沙汰なのである。
「はぁ…」
「ねぇ、ナマエ…一体何度目のため息なわけ?」
部屋をすっかり研究室代わりに使っていたハンジは顕微鏡から顔をあげるとげんなりとした表情を向けてくる。分かってはいるけど止まらないのだ。このままではハンジの邪魔になると、徐にソファから立ち上がった。
「ちょっと、どこに行くの?」
「兵長に会ってくる…」
「え、兵長って…リヴァイ?まさかカラネス区に行くわけじゃないよね?ナマエ!?」
ハンジの騒がしい声をぼんやりと背中で受け流しながら部屋を出る。寂しさを紛らわすために向かった先は兵長のいる馬小屋だった。相変わらず私の気持ちを察したようにすり寄ってくる優しい愛馬の首に抱きついた。
「兵長は優しいね…」
そのまま一人で乗馬の練習でもしようと手綱を握って歩き出せば、いつも綺麗に手入れされているペトラの白い馬がいないことに気がついた。
「あれ…ペトラさんの馬は?」
馬を管理する兵士に話しかければ、驚いたように振り返った。
「え…ご存知ないんですか?ペトラさんは兵長と共に任務に向かわれましたけど…」
「…ふ、二人で?」
「はい…」
思いもよらない事実に衝撃を受ける。分かっていた。これが馬鹿げた嫉妬だということくらい。それでも二人並んだ姿が頭に浮かぶと突き刺すような痛みを覚えて胸を押さえる。
「だ、大丈夫ですか…?」
「だ、大丈夫…」
心配そうに近づく兵士に無理矢理笑ってみせると、なんとか平常心を保ったまま馬を連れて外に出る。さっきから頭がガンガンうるさかった。米神を押さえながら小高い丘につけばふいに涙が滲む。
馬鹿みたい…
リヴァイが迎えにきてくれた時、どこかで期待していた。もしかしたらリヴァイも私のことを必要としてくれてるんじゃないかと…そんな自分に都合のいいことを。
リヴァイには最初から大事な人がいるのに、なんて馬鹿な期待をしてしまったんだろう。
溢れ出した涙を拭おうとすれば、握っていたはずの手綱の感触がふいに消えた。
「え…兵長…!?」
叫んだ声もむなしく、愛馬は広い草原に向かって走っていった。
――――――
「兵長、まだ時間ありますよね…少し二人で歩きませんか?」
兵士達の隊列を見直し、実戦さながらの訓練を終えた午後。やけに深刻な面持ちでペトラが声をかけてきた。言われるがまま歩き出したはいいものの、ペトラは一向に口を開こうとはしなかった。こうやって二人の時間を過ごすのは随分久しぶりな気がしたが、今では違和感しか感じなかった。
「兵長、変わりました…」
突然の言葉に顔を向ける。
「なんだか明るくなりましたし…」
「バカ言え、俺は元々明るい」
「ふふ…そんなことないです。自分じゃきっと気付かないんですね」
「どうだかな…」
ふいに風がペトラの髪を揺らした。それを耳にかけたペトラは悲しげに呟いた。
「兵長が私のことを…あんな風に見てくれることはなかったですもん」
その言葉にわずかに目を見開く。隣を見ればペトラは悲しげに笑ったままだった。
「すまないペトラ…俺はきっと自分が思っていた以上にお前を傷つけていたな」
「いえ…」
元々ペトラの気持ちを受け入れた理由から酷いものだった。それを含め全てを話すべきだと口を開きかければ、遮るようにしてペトラが顔をあげた。
「兵長、覚えてますか…?私のことを朝まで看病してくれたことを」
「………」
「兵長…?」
「ペトラよ…お前はひとつ勘違いしている」
「え…」
「あの日、お前を朝まで看病したのは俺じゃねぇ」
ペトラの大きく見開かれた瞳がみるみる驚きの色で染まっていく。カラネス区の乾いた風が二人の間を吹き抜けていった。
――――――
「兵長っ…!どこに行ったの?」
気付けば森の奥まできていた。一人でこんな所まで来るのは初めてだったが、どこを探しても兵長の姿は見当たらなかった。せっかくリヴァイが手配してくれた馬なのに、もう二度と会えないのだろうか…
「ニンジンあげるから…お願いだから出てきて…!」
どんなに叫んでみてもその声は虚しく響くだけ。空にはうっすらと月が現れ、辺りはどんどん暗くなってきていた。ぶるりと身震いして後ずされば、木の根っこに引っかかり勢いよく地面に尻餅をついた。
「きゃっ…!」
その衝撃で泥が飛び散り、頭から全身泥まみれになる。本当に踏んだり蹴ったりだ。
早く戻らなければ古城の皆が心配する。だけどもう…どうやって帰ればいいのかも分からなかった。リヴァイはきっと助けにきてはくれない。再び涙で視界がにじんでくれば、よく知った声が遠くから聞こえてきた。
「ナマエ…!」
「え…エレン…?」
颯爽と馬から下りたエレンは心配そうに駆け寄ってきた。
「どこも怪我してないか?」
「どうして、ここに…?」
「厩舎でお前の様子が変だったって聞いて…」
「それで探しに来てくれたの…?」
鼻の奥がツンとして思わず唇を噛み締める。今はそのエレンの優しさが逆に痛かった。
「なんで…一人で泣いてんだよ…」
「泣いてない…」
ぐっと袖口で涙を拭おうとすれば、その手はエレンに掴まれる。
「お前の泣き場所は昔から俺のとこだっただろ?」
顔を上げれば、エレンは今にも泣きそうな顔で笑っていた。思わず視線を地面へと落とす。
「兵長が、いなくなっちゃったの…」
「ペトラさんとだろ」
エレンの言葉に驚いたように顔をあげると声を荒げる。
「ちがう…!その兵長じゃなくて…私が言ってるのは馬の兵長で…」
「嘘つくなよ!お前はリヴァイ兵長がペトラさんと二人で任務に行って泣いてるんだろ!?」
「ちがう…!なんでそんな酷いこと言うのエレン」
首を横に振って必死に否定する。気付けばぼろぼろと涙が溢れていた。認めたくなどなかった。なのに何でわざわざそんなことを言うのかと後ずされば、エレンは凄い力で私の両肩を掴んだ。
「お前が好きだからに決まってんだろ!」
大きく目を見開く。
その言葉の意味をすぐには理解できなかった。
「俺だってお前がずっと幸せそうに笑ってさえいたら…諦めたんだ…」
「エレン…」
あまりに突然の言葉に固まったまま見上げる。エレンはそんな私の腕をとると強引に歩き出した。古城とは逆の方向に向かって。
「ちょ、ちょっとエレン…どこに行くの?」
「探しに行くんだよ…お前の兵長を」
エレンは強い力で腕を引っ張り進んで行く。もうすぐ日没だ。私たちが勝手にいなくなれば古城はきっと大騒ぎになるだろう。
だけど何度エレンに声をかけてみても振り返ることはなかった。
その後ろ姿は子供の頃から知ってるエレンじゃないみたいで…次第になんと声をかけていいのか分からなくなっていった。
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