▼ 囚われた身の上で【後半】
数年がかりで奪いにいった「兵士長」というポジションはある日あっさり奪われ(それもクソチビに)、代わりに私に用意されたポストは「兵士長補佐」というなんともお粗末なものだった。
「補佐ってなによ…!!」
調査兵団団長の部屋であるにも関わらず、ノックもせずに扉を蹴破る。
「だから…もう少し静かに入ってこれないのか、君は…」
頭を抱えながらそう呟いたエルヴィンがいたのはいつもの執務机ではなく、向かいに用意された高級なソファだった。
「なんだ、俺の補佐役じゃ不満か…?」
聞き慣れないその声に思わず眉を寄せる。入り口を背にするように座っていたその男は私から兵士長というポジションを奪ったまさにそのクソチビだった。我が物顔でエルヴィンのソファに腰掛け優雅に足まで組むその姿に大きく舌打ちをする。
エルヴィンはそんなリヴァイのことを、まるで昔からの知り合いのように受け入れていた。
そこはちょっと前まで私の場所だったのだ。
「なんでクソチビがここにいんだよ…あぁ?」
「やめないか、ナマエ…」
今にも掴み掛かりそうな勢いで近づけば、呆れた表情でエルヴィンが制する。リヴァイは振り向くことなく言い放った。
「お前こそ、口の利き方に気をつけるんだな…補佐の分際で」
その言葉をきっかけにリミッターが外れたように抑えていた感情が溢れ出す。あまりの悔しさから、体だけが小刻みに震えていた。見兼ねたエルヴィンがいつものように私の背中をさすったが、そんなものじゃもう、落ち着きを取り戻すことなどできなかった。
「…表に出ろ、クソチビ」
「望むところだ…馬鹿は痛い目に合わなきゃ分からないようだからな」
「おい、二人とも…」
やめないか、とエルヴィンが言い終わる前に私の体は動いていた。
装備していたブレードを勢いよく抜いてリヴァイに向かって振り上げたが、それよりも早くリヴァイの蹴りが飛んできた。咄嗟に左肘で防いだつもりだったが、予想外の力に入ってきた扉付近まで飛ばされる。
(なんてスピード…)
驚いている暇はなかった。
相手の場所を確認しようと顔をあげた瞬間、床から突き上げる第二撃が見えた。今度こそ避けようと上体をあげれば、下からの蹴りはフェイクだったとでもいうように上から後頭部を思いっきり蹴りつけられる。
「ッ……!」
床に思い切り叩き付けられて、口いっぱいに鉄の味が広がった。
「なんだ、威勢がいいのは口だけか」
「はっ…チビの足で蹴られたって痛くもかゆくもないね…」
私はここがエルヴィンの執務室だというのも忘れて口に広がった血液を床に向かって吐き出した。ぐっと袖口で口元を拭いながらリヴァイを見上げれば、薄く笑ったリヴァイの顔に影が落ちる。
「…だといいな」
「やめないか、二人とも…」
いつもより低いエルヴィンの声が響きわたったが、もうそんな声は私の耳には届いていなかった。壁外で戦うときの様な集中力で全身が殺気立つ。
力、では勝てないかもしれない…
だがスピードならこっちだって負けはしない。
誰よりも強く、誰よりも速く、あの人の隣に堂々と立つことだけを目指してきたのだ。こんなパッと出の奴なんかに負けてなるものか。
そんな捨て身のプライドを糧に訓練でも見せないスピードで相手に向かって行く。腕を組んだまま動こうとしないリヴァイの後ろに回り込み、ブレードを振り上げた瞬間。
またも飛ばされたのは私の方だった。
宙に浮きながら振り向いた時にはもう遅かった。リヴァイの貫くような眼光がこちらを捉えると、背中に衝撃が走る。カランと乾いた音が自分の持っていたサーベルだと分かるまで数秒かかった。
そこからは防ぐ間もなく、腹に、背に、右頬に、次々に蹴りをいれられる。
「やめないか…!もうそれくらいで気が済んだだろう、リヴァイ…」
エルヴィンの声でリヴァイの動きがぴたりと止まる。ぼやける視界で相手を見上げれば、汗ひとつかいてない涼しげな顔が私を見下ろしていた。リヴァイはゆっくりと屈むと、私の髪を掴んで自分の目線と同じ高さまで顔を引きあげた。
…こんな屈辱はない。
「おい、クソガキ…今後口の利き方には気をつけろ」
「…まさか…これで勝ったつもり…?」
耐え難い屈辱に耐えながら、リヴァイを睨み返す。
「まだ躾足りないようだな…」
握られた髪の毛にぐっと力が入り、切れた口端から鮮血が流れ落ちる。すぐに奪うようにして別の腕が伸びてきた。
「リヴァイ、やりすぎだ…仮にも女性だぞ」
「はっ…兵士に女も男もないだろうが」
解かれた手によってエルヴィンの腕に抱えられる形となった私は、悔しさと、不甲斐なさからその腕に顔を埋める。それを見たリヴァイは小さく舌うちして踵を返した。
「ガキが…いきがるんじゃねぇよ…」
胸クソ悪い、と…そう言い残してリヴァイが部屋から出て行くのを足音で確認すると、すぐにじわりと涙が溢れてきた。それを隠すようにして更に強くエルヴィンにしがみつく。
「ううっ…うっ…ぐやしい…」
「ナマエ、君も悪いぞ…」
「あいつマジ駆逐する…」
「だから…一体いつになったらその性格が直るんだ…」
頭上から呆れたようにそう呟かれて、さらに居たたまれない気持ちになる。結局、どんなに大口を叩いたところで、私はまだひ弱な子供で…それをはっきりと突きつけられたような気がした。
「ごめん、エルヴィン…」
「あぁ、もう分かったから…こっちで手当をしよう」
ぐっと腕を引かれて、初めて体中のあちこちの痛みに気がつく。だけどそんなものより圧倒的な力の差で敗北したことの方がよっぽど私を沈ませていた。立ち上がることなくその場でうずくまる。
「あいつ…足しか使ってなかった…」
私は迷うことなく剣を抜いて斬り掛かったというのにリヴァイは顔色一つ変えることなく腕を組んだままだった。それが圧倒的な力の差や、踏んできた場数の違いを思い知らせる。
「これで分かっただろう?君と彼の力の差が。悔しいのならリヴァイから学び更に強くなればいい。ただ、それだけのことだ」
「………」
「それとも、また前のような生活に戻りたいのか?」
その言葉に一瞬にして顔色を変えれば、すぐに優しく頭を撫でられる。
「分かったなら、明日からはちゃんと兵士長として扱うように。いいな、これは命令だ」
「はい…」
――――――
誰もが寝静まったのを確認すると兵舎を抜け出して壁上まで登る。月明かりだけが照らすそこは壁外から風が吹き付け、その冷たさに全身がカタカタと震えた。濃緑のマントを体に巻き付けるようにしてその場にうずくまる。
虚勢ばかり張ってきたが、本当の自分がちっぽけで弱いということを誰よりも理解していた。だが、エルヴィンに必要とされなくなれば、途端にそこらに投げ出されているゴミ同様生きる価値を失うのだ。
空を見上げればどこまでも終わりのない闇が広がる。
抱えた膝に顔を埋め、こうして人知れず涙を流すのは明日からまた前だけ見て歩けるよう立ち直るための儀式みたいなものだった。
「それがお前の本来の姿か…」
聞こえるはずのないその声に袖口で頬を拭って振り返る。そこに立っていた男は昼間と変わらずその顔に影を落として私を見つめていた。
「なんでここに…」
「鬱陶しい泣き声が聞こえてきたんで…巨人共が泣いてやがるのかと見に来てみたが…とんだ酔興だったな」
「はっ……」
「昼間にあれだけ啖呵切っておいて、このザマか」
「私は…あんたを信じてなんかいない…どんなに強くても、最後に身を挺してエルヴィンを守れるのはこの私だけよ」
誇らしげに、どこか勝ち誇ったようにそう言えば、リヴァイは分かりやすくその顔を歪めた。
「随分とあの男に心酔してるようだが…何故そこまで奴に囚われている」
その問いと共に向けられた漆黒の瞳が、私を暗い過去の記憶へといざなった。
それは人間…いや、家畜以下の生活をしていたころ。
ゴミクズ同然だった私を初めて人として扱ってくれた人。
『そこは寒いだろう』
そう言って手を差し伸べてくれた人。
「おい…さっさと答えろ。お前が何故そこまでエルヴィンに執着してるか知らんが、そんなに心奪われてるなら、奴の女にでもなってあいつのガキを産んでその帰りを待てばいいだろう」
その言葉に小さく笑う。まるで見当違いなその発言にさっきまでこの男に抱いていた敗北感が薄れたような気がした。
「あんた何も分かってないのね…」
「…………」
「エルヴィンは誰とも一緒になる気はないわ…あの人はいつだって前を見てるのよ。私たちじゃ到底追いつけない先をね」
言いながら壁外へと顔を向ければ暗闇に包まれた先に混沌とした世界が見えた。私は巨人が怖い、だなんて一度も思った事ない。奴らの胃袋に入ることよりも恐ろしいことを知っているからだ。
「それに私が欲しいのは…愛を囁かれる吐息でも、抱きしめてもらう温かな腕でもない。あの人の隣に堂々と立つ権利。ただそれだけよ…」
「…………」
「兵士長がダメなら、あんたを倒して更に上の地位を手に入れるまで」
「ほぅ…悪くない…」
リヴァイはブーツの踵をカツカツと鳴らしながら一歩ずつ私へと近づいてきた。
「だが、忘れるな…エルヴィンの為に死ぬと言ったが、今度ふざけた真似をしたらそれは出来なくなると思え」
伸びてきたた手は私の頬を掠めた。昼間、この男に蹴られて腫れた生傷が疼く。同時に頭に甦ってきたのはエルヴィンの言葉だった。
『明日からちゃんと兵士長として扱うように。』
おそらく既に日付はまたいでいるだろう。バツが悪そうにリヴァイから視線を逸らすと小さく頷いてみせた。
「分かった…」
そのまま闇夜に紛れようと踵を返せば、急に腕を取られた。その奇怪な行動に眉根を寄せて振り返る。
「なに…?」
「もう一つ覚えておけ…」
そう呟いたリヴァイの声は恐ろしいほど辺りに響きわたった。月明かりを背負った男の顔は青白い色をしていて思わず目を細める。
「お前はいずれ……奴のためではなく、俺のために死にたいと思うようになる」
「はっ……一体なにを…」
鼻で笑って顔を向けるが男の眼差しは真剣そのものだった。すぐに笑顔を消して真顔になる。
「…そんなの有り得ない。私は何があったってあんたのために死んだりしない」
「いや…俺には分かる。お前は俺にしか救えない。そしてそれが運命だ」
この男の口から出たとは思えないその言葉に大きく目を見開く。しばらく唖然と立ち尽くしていたが、その瞳を見ていれば不思議なことに涙が流れた。
それはよく知った色だった。
生まれた時から孤独を抱き、誰からも愛されず、この世の全てを恨み嫌悪する。それでも全てを捨てきれず、そんな自分が何よりも許せない。
皮肉なことに…この男も同じなのだ。
この憎くてたまらない男こそ唯一心から分かりあえる存在なのだと理解すると、わずかに後ずさった
おそらくこの男の言ってることは本当になるだろう。いずれ私は、こいつの為に死んでもいいと思うようになるのかもしれない。
それでも…
かつてゴミクズ同然だった自分と誓ったのだ。あの人の為に生き、そして死んでいくのだと。その誓いだけは運命だろうがなんだろうが消して覆すことはできない。
「忘れるな…俺は必ず、お前をすべてから解放してやる」
リヴァイは後ずさっていた私の腕を取るとすごい力で自分の方へと引き寄せた。顔と顔が触れるか触れないかまで近づいた距離。
間近に立つ男もまた、目に見えぬなにかに囚われているようだった。
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