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▼ 駆逐大学附属病院【前半】

まったく冗談じゃない。

暗くなった廊下を私はそろりそろりと進んでいた。時刻は深夜二時。病棟が消灯してからすでに五時間が経過していた。看護師の見回りがこの時間一番少ないということはここ何日かですっかりリサーチ済みだったし、逃げるなら今しかないのだ。

物陰からナースステーションを盗み見れば、パソコンに向かって大きく欠伸する看護師が一人。それ以外の人影は見当たらなかった。

千載一遇のチャンスである。

ぐっと拳を握りしめ走りだそうとした瞬間、背後からガシッと肩を掴まれた。

「……………ッ!!!」

口を塞がれたことよってそれは声にならない叫びとなる。ようやく解放されて息も絶え絶えに振り返れば、これでもかという程の黒いオーラを放ちながらにっこり微笑んだエレン看護師の姿があった。

「ナマエさん、こんな時間に何やってるんですか…?」

「ちょ、ちょっと…トイレに…」

「はは…トイレは逆ですよね?それとも俺に駆逐っとされに来たんですか?」

ぶんぶんと激しく首を横にふる。
相変わらず言ってることの意味がよく分からないが、その黒い笑顔からそれが恐ろしいことであるのだけは確かだった。

「とりあえず、説教ですね…」

すっと笑顔を消したエレンは面倒くさそうに私の首根っこを掴んでずるずると廊下を引きずっていった。

「いやぁあああ!家に帰してーー!!!」

そんな私の叫びは空しく深夜の廊下に響き渡った。



――――――



一般人である私がどうしてこんなスパイさながらの大脱出を試みたのかというと、それなりに理由がある。

遥か昔、私はとんでもなく大きな失恋をした。それは半端なく胸を抉るやつだ。そして現代、またしても同じ過ちをおかすことになるとは思ってもみなかった。

男にふられて自暴自棄になった私は酔ってゴミバケツを蹴飛ばし、転んだ拍子に頭を強打するというとんでもない失態をおかしてしまった。意識が途切れる瞬間、遠くから聞こえてきたのはサイレンの音。

あぁ…こんな恥ずかしい患者がいるだろうか。

できることならさっさと退院して、運ばれた病院に知り合いが誰もいないことを切に願う。

そう思っていたというのに…
運命とは時に残酷である。

ぼんやりと意識が戻る瞬間、ぐるっと囲うようにして私を覗き込んでいたのは思いっきり見覚えのある面々だった。それも遠い過去のお知り合い。

「これ、どう見てもナマエだよね…?」

「あぁ、間違いなくナマエだな」

「酔って転んで運ばれるあたりがナマエさんらしいですね…」

「どうする…?リヴァイにも教える?」

「いや…今の兵長はナマエさんに会うの嫌がるんじゃないですかね」

「まぁ、確かにな…」

そんなやりとりを聞いて、私は決めた。

よし、私は知らない。
こんな人たち全然知らない。誰も知らない。

そんな事を頭の中で繰り返しながら再び意識を手放したのだ。



――――――



目が覚めて私が最初にとった行動はとぼけることだった。強い力で肩を掴まれゆっさゆっさと揺すられてもその笑顔は絶対に崩さない。

「ナマエさん…!!俺です…エレンです!本当に覚えてないんですか?」

「ごめんなさい…私たち、どこかでお会いしましたっけ?」

小首をかしげてできる限りの笑顔で微笑む。とぼけるにはこれが一番である。大きな瞳を更に見開いて私を見つめていたエレンはみるみる悲しげに顔を歪ませていった。なんだか可哀想な気もするが仕方ない。

今はなんとしてでも早急にこの病院を脱出することだけを考えなければ。あの人に再会する前に。

「エレン、ナマエは頭をうったばかりなんだから…強引なことはしちゃダメだろ?」

そう言って部屋に入ってきたのは白衣のポケットに手を突っ込んだハンジだった。

「だってナマエさんが…俺たちのこと覚えてないって…」

「まぁ、そういうこともあるよ…大体、前世の記憶がある方がおかしいんだから」

「あの…私、もしかして記憶喪失なんでしょうか…?」

不安気な表情で俯いてみせれば、ハンジは安心させるように私の肩に両手を置いた。

「大丈夫、君は記憶喪失なんかじゃないから…」

我ながらアカデミー賞さながらの演技である。ハンジの言葉に、安心したように笑みを浮かべれば急にその頬を掴まれた。

「いっ…いひゃいんですけど…」

ハンジは昔からこうやって私の頬をつまんではその感触を楽しんでいた。何も変わってないその変態ぶりに訝しげに目を細める。

「うーん…この頬の感触…そしてその蔑むように私を見る目。すべてあの頃のままなのに本当に記憶はないんだよね?」

全部覚えてるわ、クソメガネ!!
…なんて言ってしまえば後の祭りである。

ぐっと言葉を飲み込んで視線を泳がせる。どうやら無意識に昔の癖が出てしまっていたらしい。小さく咳払いすると再び悲しげな面持ちで首を縦にふる。

覚えてないふりも大変である。

内心冷や汗をかいていれば、ノックと共に長身の男が部屋に入ってきた。忘れもしないその顔に一瞬にして体が強ばる。

エルヴィン・スミス。

この男は要注意人物である。騙すのも一筋縄ではいかないだろうと気を引き締めた。

「やぁ…ナマエ、何千年ぶりだな」

そう言って爽やかな笑顔で片手をあげる男に、愛想笑いを浮かべる。

「エルヴィン教授、ナマエさんは過去の記憶がないみたいで…」

エレンが控えめにそう言えば、エルヴィンは一瞬にしてその顔を歪めた。向けられたその視線は昔と変わらず鋭いもので、演技でなくてもぶるりと震えてしまう。

「そうか…それは残念だ」

「あ、あの…それよりもここ個室ですよね?私、個室とかそんなお金ないんで大部屋に移してもらってもいいですか?」

それは目が覚めた時から気になっていたことだった。用意された部屋はテレビや冷蔵庫完備の立派な個室だった。社会人数年目の私にとってその入院費はきっと馬鹿にならない。

「安心してくれ。これは病院からのサービスだ…」

サービスってなんだよ!ホテルかよ…!
思わず口に出しそうになった言葉をぐっと心の中で止めて続ける。

「出来れば仕事もあるので…早く退院したいんですけど…」

そう言い切ればエルヴィン達は困ったように顔を見合わせていた。

「今はまだ検査中だから、結果が出るまではここにいてもらうよ」

「そう、ですか…」

ハンジの言葉に小さくため息をもらす。

一日でも早くこの病院から離れたいのが本音だった。前世の記憶があるということがバレた日にはどんな仕打ちが待っているか分からないからだ。

そう、私はかつて何千年も前にこの人たちと共に戦っていた。

信じがたい話しではあるが、巨人という人類最大の敵に向かって。私は一介の兵士でしかなかったが、優れた聴覚を持ち合わせていた為、エルヴィン団長にいいように使われていたのだ。そして、その下につく人類最強の男にも。

正直、現代で再びこの人たちと関わる気などさらさらなかった。


文字通りわたしは、生まれ変わったのだから。



――――――



ある程度自由に行動できる昼間に病院を見て回っていれば、完全に迷ってしまった。自分の部屋に戻ろうにも部屋番号を思い出せない。そして何気なく開けてみた一つの部屋で私は完全に固まった。

それはまさに白昼堂々、白衣を着た医者がナースを壁に追いつめ迫る現場。

(ひ…昼ドラかよ!!)

心の中でそんなツッコミをしていたせいか、完全にドアを閉めるのを忘れていた。訝しげに振り返った男の顔見て一瞬にして血の気が引いていく。

それはエレンやハンジと同じように過去で共に戦った仲間。同時に、今一番会いたくないと思っていた人物で…

(リヴァイ兵長…!?)

すぐに激しい音をたててドアを閉める。

遥か昔、私は不覚にもこの男に恋をしていた。まさか利用されているとも知らないで。とんでもなく大きな失恋をしたというのはまさしくこの男にである。

まずいまずい…
一番会いたくない人の色事に遭遇してしまった…

向こうが私に気付いてないことを祈りながら必死に廊下を走る。何度も角を曲がり、ここまで来れば大丈夫だろうと振り返った瞬間、目の前にすっと影が落ちた。

「久しぶりだな、ナマエよ…」

「……ッ!?」

小さな悲鳴と共に肩を跳ねさせる。突然現れたリヴァイは両手を伸ばして私の体を壁との間に閉じ込めた。さっき見たばかりの状況が今、当事者となって繰り広げられる。

「あ、あなた一体…誰なんですか…!」

「……おい、何とぼけたこと言ってやがる」

(こわっ…相変わらずこわっ…)

その鋭い眼光に射すくめられると途端に体が動かなくなる。なんとか視線だけ動かして、近くを歩いていたエレンを見つけると声をあげた。

「エ、エレンくん…助けて…!」

リヴァイはその声に更に顔を歪ませ私を睨んだが、もう後には引けなかった。エレンが驚いて駆け寄ってくれば盛大な舌打ちが響き渡る。

「兵長…!やめてください…今のナマエさんには前世の記憶がないんですから!」

「あぁ…?どういうことだ…お前、こいつのこと知ってて黙ってやがったのか?」

目の前でぎゃあぎゃあと口論が始まり私は内心ため息をつく。もうこの人たちに巻き込まれたくないと思っていたのにどうしてこうなってしまったのか…。

その瞬間、今夜こそ逃げようと心に決めた。

そんな理由で大脱出を試みたわけだが、あえなく失敗。朝まで延々とエレンに説教をされることになったのだ。

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