短編 | ナノ


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たまに視線を感じるくらいだった。

ほとんど会話も交わしたことのないその人が突然、意を決したように立ち上がり近付いてきたのは、図書室で試験勉強をしていた昼休みのこと。

「お前、バイトする気はないか?」
「バイト…?」

思ってもみない言葉に私はシャープペンシルを持ったまま視線を泳がせた。頭の中では、何のバイトなんだろうとか、何で私を誘ったのだろうとか、同時に色んな疑問が飛び交っていたが、目の前にある真っ白なテキストが目に入るとわずかに息を吐いて首を横に振った。

「ごめん、今は試験勉強に集中したいから」
「そうか…」

予想以上にあっさりと引き下がるその人を自分でも気付かないうちに呼び止ていた。

「待ってリヴァイくん…!」

静かに振り返ったその顔をまじまじと見つめる。三年間も同じクラスだったのに、こうして正面から顔を見つめるのは初めてのことかもしれない。

「バイトって一体何の?」

好奇心からだった。どうして私なんかを誘ったのか、リヴァイくんの誘うバイトとは一体どんなものなのか、それが知りたくて呼び止めた。しばらく何かを考え込むように黙り込んだリヴァイくんは、再び私の前に立った。

「喫茶店の手伝いだ」
「喫茶店…?」
「ああ…最近、馴染みの店が人手不足で困ってるようでな」
「リヴァイくんが手伝えばいいじゃない」
「俺に接客が出来ると思うか?」
「………」

その言葉に思わず口を噤む。笑顔でいらっしゃいませなんて言う彼の姿はどう頑張っても想像できない。そんな考えが顔にも出ていたのか、リヴァイくんが眉根を寄せたので慌てて咳払いをする。

「でも、どうして私なの?」
「店の空気を壊したくないからだ」
「空気…?」
「ああ、静かな店に騒がしい奴でも来たらたまらんからな」
「………」

確かに私は口数が少ない方だと思う。お昼休みはこうして一人で勉強していることも多い。でもそれは単にネクラだと言われたようで正直複雑な気持ちだった。

「だがまぁ…お前が忙しいっていうなら無理強いするつもりはない」

そう言い残して立ち去ろうとするリヴァイくんの腕を私は咄嗟に掴んだ。不自然なほどぎょっとして振り返ったリヴァイくんは掴まれた腕を視界に入れた後に訝しげに眉根を寄せた。

「なんだ…」
「いや、ちょっとだけだったらいいかなって…リヴァイくんのお気に入りの喫茶店も気になるしさ」
「………」

再び考え込むように視線を彷徨わせたリヴァイくんだったが、わずかに息を吐いてからじろりと私を見下ろした。

「なら、今日の放課後…その店に来れるか?」
「え、あ…うん」
「16時にここで…」

消え入るような声でそれだけ呟いたリヴァイくんは掴まれていた腕を強引に離すと、どこかよそよそしくその場を後にした。私は瞬きも忘れてその背中を見つめた。まさか話しかけられるとは思ってもみなかったのだ、ずっと近寄りがたいと思っていたリヴァイくんに。



***



放課後、電車をいくつか乗り継いで辿り着いたのは人も疎らな商店街だった。口数の少ないリヴァイくんを追いかけるように静かな路地裏を進んでいく。

「でも意外だな…リヴァイくんて珈琲好きなんだね」
「俺が飲むのは紅茶だ」
「へぇ…それはもっと意外かも」
「…ここだ」

突然、足を止めたリヴァイくんの背中に勢い余って鼻をぶつける。わっと鼻を押さえて顔を上げれば、こちらを睨みつけるリヴァイくんの背後にレトロな外観が見えた。レンガ造りの壁には昔ながらの木製看板が掛かっており、本日のメニューがやわらかなフォントで書かれている。隠れ家的なその店を食い入るように見つめていれば、リヴァイくんが店のドアを開けた。カランコロンと懐かしいドアベルが辺りに響きわたる。

「やぁ、よく来たねリヴァイ」

中から聞こえてきたのは人当たりの良さそうな声。背中を追うようにして覗き込めば、カウンターの向こう側に立っていたマスターらしき人が驚いたように私を見つめた。

「あ、あの…初めてまして、私はリヴァイくんの…」

そこで言いよどんだのは私たちの関係をなんと説明すれば良いか分からなかったから。友達、顔見知り、なんだかどれも違う気がする。ぎこちない笑顔で固まっていれば隣に立っていたリヴァイくんがめんどくさそうに口を開いた。

「こいつが前に話してた奴だ。この店に合いそうだと思って連れてきた」

なんだか随分と雑な紹介ではあるが愛想笑いと共にぺこりと頭を下げる。皺一つない白シャツにループタイをつけたその人はすぐに優しい笑顔で私を迎え入れてくれた。

「やぁ、よく来たね。私はエルヴィン・スミス、この店のマスターだ」
「ナマエです…よろしくお願いします」

綺麗なブロンドに青い瞳、加えて笑った顔があまりに綺麗だったので、すっかり見惚れてしまった私は頬を染めて差し出された手を握り返した。隣に立っていたリヴァイくんの制服をこっそりと掴むと耳元に顔を寄せる。

「ねぇ…すごいイケメンだね」

そう耳打ちをすれば、じろりと横目で睨まれた。どうやら癪に障ることを言ってしまったらしい。

カウンターに並んで座った私たちにエルヴィンさんはとっておきの珈琲と紅茶を淹れてくれた。なんだか懐かしい気持ちがするのはきっと珈琲の味のせいだけではない。店に流れる空気はとても心地よくて以前にも感じたことがあるような気がした。ふいに壁に飾ってあるエンブレムに目が止まる。白と黒の重ね翼を見ていると不思議と胸が締め付けられるような気がしたが、エルヴィンさんの笑顔にそんな思いも吹き飛んでいった。

結局、そのお店をリヴァイくん以上に気に入ってしまった私は、試験勉強なら寝る間をちょっとばかし削ればいいと結論づけて、週末だけアルバイトさせてもらうことになった。



***



それから数週間ほど経った土曜日。

朝から豆の仕入れに出掛けたエルヴィンさんの代わりに初めて一人で店番をしていた。お昼を過ぎたらお客さんはそんなに来ないよと言われていたが本当に誰も来ない。掃除も仕込みも終わらせて、特にやることもなかったのでカウンターに座って足をぶらぶらとさせる。

そういえば、
今日はまだリヴァイくんの姿を見ていないな。

いつも働いてる時間には必ず顔を出してくれていたリヴァイくん。自分が紹介した店だからと少なからず心配してくれていたのかもしれない。それでも学校でこの店のことを話したりはしなかったし、私もそれを望んでいた。どこか二人だけの秘密を共有しているようで嬉しかったのだ。

カチッと音がして古い時計が時刻を知らせる。あたたかな午前。

昨夜は遅くまで方程式と戦っていたせいか、徐々に瞼が落ちてくるのを感じて机に突っ伏す。珈琲の香りに包まれながら、うとうと微睡んでいれば遠くでカランコロンとドアベルが聞こえた気がした。ゆっくりとカウンターに近付いてくる足音、頬を撫でる優しい感触にわずかに身を捩る。

「ナマエ…」

誰かに優しい声で名前を呼ばれた
───次の瞬間。

「いたっ!」

額に走る衝撃にまどろんでいた意識は一気に覚醒した。

「おい…なに店番サボって寝てやがる」

おそらくデコピンされたであろう、痛むおでこを押さえながら体を起こせば、不機嫌そうに立っていたのはいつもの制服ではなく白のシャツに黒いパンツというシンプルな服装をしていたリヴァイくんだった。

「だ…だってお客さん誰も来なかったから…」

少しだけ休憩するつもりがいつの間にか夢の世界へ旅立ってしまったようだ。しかもそれをリヴァイくんに見られてしまうなんて最悪じゃないか。

「エルヴィンはどうした?」
「あ、今日は朝から豆の買い出しに行ってて」
「チッ…」

舌打ちをするリヴァイくんの横顔をじっと見つめる。ふいに頬に触れた感触を思い出した。

「ねぇ…さっき私のこと名前で呼んだ?」
「あ?まだ寝惚けてやがんのか…」

その鋭い視線から逃れるように立ち上がると、皺になったエプロンを伸ばしてカウンターの向こうへ回る。

やっぱり夢でも見ていたに違いない。
あんな優しい声でリヴァイくんが私の名前を呼ぶはずないじゃないか。

頬を撫でるあの優しい感触が、愛しさに満ちたあの声が、リヴァイくんであればいいな…なんて、そんな馬鹿みたいな考えを頭から追い払うように首を横に振ると、そっと本日のメニューを差し出した。常連のリヴァイくんには必要ないものだったが、今日はエルヴィンさんがいないのだ。

「何だこれは…」
「何ってメニューに決まってるでしょ」

できれば紅茶以外のものをお願いしたかったが、リヴァイくんはすぐにいつもの…とメニューを突き返した。

「いつものってダージリンのストレートティー?」
「ああ…」
「無理だよ、紅茶の淹れ方はまだ教わってないもん」
「問題ない」

と言われても紅茶なんてティーバッグでしか作ったことがない。無理だと何度首を横に振ってみてもリヴァイくんは引き下がりそうになかった。諦めたように肩を落とすと、エルヴィンさんの淹れ方を覚えてる限り見よう見まねで淹れてみることにした。

「不味くても怒らないでよね」
「………」

確かエルヴィンさんは、茶葉を入れる前に必ずポットとカップを温めていた。お湯で温めたポットにダージリンの茶葉を入れると、なるべく高いところから叩き付けるようにお湯を入れる。そこから一分半、茶葉が上下に動いているのを確認するとリヴァイくんの前に温めていたカップを置いた。

「うん、こんなもんかな…」

なんて得意気に呟きながら傾けていたポットを戻そうとしたが、すぐにカウンターの向こうから怒号が飛んだ。

「おい、何やってる…紅茶は最後の一滴が──」
「ああ、ごめん…最後の一滴に美味しい成分が含まれてるんだよね」

笑ってそう答えると、リヴァイくんは珍しく驚いたように目を見開いて私の顔を見た。あまりにまじまじと見てくるもんだから、思わず首を傾げる。

「どうかした…?」
「いや…エルヴィンに教わったのか」
「え…いや、どうだったかな…」

そういえば、私…
誰に教わったんだっけ?

頭の中に靄がかかったような感覚だった。何か大切なことを思い出せないまま、最後の一滴をカップに落とすとそこに小さな波紋が広がっていく。しばらくそれを二人して見つめていたが、リヴァイくんはいつもの変わった持ち方でティーカップを持ちあげ静かに口をつけた。

「不味くはない…が、もう少し練習しろ」
「うん…」

紅茶を飲むリヴァイくんの姿は、なぜか少しだけ寂しそうに見えた。その姿を見ていると不思議と私の胸も締め付けられ、気付けば口を開いていた。

「ねぇ、後悔してない…?」
「あ…?」
「私をこの店に連れてきたこと」

別に何かに特別秀でているわけじゃない。紅茶ひとつだってうまく淹れられない、なんの取り柄もない私がリヴァイくんに声をかけられたのか未だに分からなかった。

「言っただろう…店の空気を壊したくなかったと」
「うん…」
「だが、本当はそれだけじゃない」

思ってもみない言葉に動きを止めてリヴァイくんを見つめた。

「俺がお前をこの店に誘ったのは、お前の淹れた紅茶を飲んでみたかったからだ」
「私の…紅茶を…?」

何故だろう。下手したら告白ともとれるその言葉には、もう少しだけ深い意味があるような気がした。私の知らない、深い意味が。

だけどそれを無理やり聞きたいとも思わなくて…

「…なら、もっと上手く淹れられるように練習しなきゃね」

笑ってそう答えれば、リヴァイくんは初めて見る柔らかな顔でああ…と答えた。その時私は、この店をすぐに気に入ってしまった理由が分かった気がした。なんとなく、ここはリヴァイくんに似ているのだ。居心地がよくてあたたかくて、まるで昔から知っているような安心できる場所。

その店の雰囲気を壊さない相手として選ばれたのが今更ながら嬉しくてくすぐったくて笑みが漏れる。まるで隣にいることを許されたみたいで───。

「まあ、店番中に居眠りする奴だとは思わなかったがな」
「なっ…今日のはたまたまで…!」

すっかり忘れていた失態に顔を赤くすれば、いつもの不機嫌そうな表情に戻ったリヴァイくんが舌打ちをした。

「二度とこんなとこで寝るんじゃねぇぞ」
「なによ、そんなに怒らなくても」
「無防備で可愛い寝顔を晒してほしくない、と素直にそう言えばいいじゃないかリヴァイ」

第三者の声に二人して振り返れば買い出しから戻ったエルヴィンさんが茶色い紙袋を抱えて裏口の前に立っていた。見たこともないようないようないじわるな笑みを浮かべて。

「…え、そうなの?」
「そんなわけあるか…」

あたたかな午後、リヴァイくんの大好きな紅茶の淹れ方をエルヴィンさんに教わる数分前の出来事だった。

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