短編 | ナノ


▼ やさぐれ少女と傍観少年

10歳の誕生日。
あの日も真っ白な雪がひらひらと舞い落ちてきていた。

大きめのミリタリージャケットを着込んだ男は自分だってチビのくせに生意気にも私の背に合わせて跪いてみせた。私はそれ以上近づけば噛み付いてやるとでもいうように威嚇したが、男は怯むことなく私の手をとると悲しげにこう呟いた。

「遅くなってすまなかった…」

その言葉の意味が分からなかった私はただ訝しげに目の前の男を見つめた。どんなに記憶を辿ってみてもその男を見たのはその日が初めてだったからだ。




【やさぐれ少女と傍観少年】




「おい、偽りの優等生」

それは一人きりだったはずの屋上に突然響いた声。

吐き出した煙と共に振り返れば自分と同じ制服を身に纏った少年が立っていた。突き刺さるくらいの真っ直ぐな視線を受けて、思わず苦笑いを浮かべる。

「お前…またそんなことやってんのかよ」

屋上の柵に寄りかかったまま、ふぅっと細く長く煙を吐き出してみせればそれは薄暗い空へと消えていく。そんな様子にエレンはますます顔を顰めた。




リヴァイに引き取られてから七年という月日が流れた。

高校生になった私はつねに優秀な成績をキープし、生徒会役員を務め、先生からの信頼も厚い。模範的な優等生を演じるそんな毎日。時にはこうして息抜きが必要なのだ。

唯一本当の自分に戻れる場所はこの屋上だけ。そしてそれを知っているのは目の前に立つエレンだけだった。

「なぁ…こんなこといつまで続けるんだよ…」

「分からない。でも悔しいの…私だけ知らないなんて」




最初は幸せだった。

目の前で両親を失って孤独だった私にも迎えにきてくれる人がいる。それだけで満たされていた。だけど、リヴァイが迎えにきたのも本当の意味で"私"なんかじゃなかった。言うなれば、私の中にいる私によく似た"誰か"だ。

引き取られてしばらくし経ってからリヴァイが電話で話しているのを偶然聞いてしまった。

『あぁ…ようやく見つけたが…まさか、あんなガキだとは思わなかった』

その言葉に頭の先からつま先まで硬直した。

『それに、あいつには過去の記憶がない』

やっぱりそうだ。
変だと思っていたのだ。

過去の記憶がどうのより、自分がこんな風に誰かに受け入れてもらえることのほうが信じられなかった。

それは最初に引き取られた家と同じだった。本当の子供を失ったばかりの両親は「この子は違う」と、すぐに私を施設に返したのだ。

そしてリヴァイもまた私じゃない誰かを探してる。
それが分かった瞬間、感じていたわずかな幸せは音を立てて崩れていった。

例えば私と同じ顔の人間が現れて、その子がリヴァイの求める記憶を持っていたとしたら私はまた捨てられてしまうのだろうか。そんなことばかり考えて育ったせいか、私はすっかりやさぐれてしまった。ひたすら本当の自分を隠して、偽りの自分を演じる。

本当の自分を拒絶されることほど痛くて恐ろしいことはないのだから。




ひらひらと落ちていく雪をフェンス越しに眺めていればエレンが神妙な声で言い放った。

「なぁ…お前さ、本当は兵長のこと…」

言いかけたエレンの言葉を強い視線と共に遮る。

「それ以上言わないで。言ったらエレン…あんたでも許せなくなる」

突き刺さる視線に耐えきれないように顔を逸らしたエレンは呆れたようにため息をついた。

「俺はそのままのお前のほうがよっぽど好きだけどな…」

「そんなこと言う物好きはエレンくらいよ」




初めてエレンと出会った日。
それもこの屋上だった。

新入生代表の挨拶を終えて完全に油断していた私は、突然現れたエレンに固まってしまった。右手に持った煙草を隠すのも忘れて。

真新しい制服を身に纏ったエレンは大きな目をさらにまん丸とさせて私を見つめた。まるで穴が空くんじゃないかと思う程に。

最初は主席で挨拶までした私がこんなふざけたことをしているから見られているのだと思っていた。

でも違った。

エレンは覚束ない足取りでゆっくりと近づくと、教えてもいない私の名前を呼んだのだ。

「ナマエ、さん…?」

その目には見覚えがあった。リヴァイが私を迎えにきた日にも同じ目をしていた。それに加えて同級生の少年がまるで年上に呼びかけるように私の名前を呼ぶ。

それだけでピンときた。

咄嗟に綺麗に微笑んでみせると真っ直ぐにエレンを見つめて言い放った。

「ねぇ、その記憶…私にも分けてくれない?」




初めて記憶が戻ったとリヴァイに嘘をついた日。
馬鹿みたいに足が震えた。
それでも止めることができなかった。

エレンから聞いた過去の私は今の自分とかけ離れていた。優しくてひた向きで周りにいる人を自然と笑顔にさせるような穏やかな女性。リヴァイが私越しに見ている女性がどんな人なのかようやく理解すると同時に、激しい感情が胸の中で渦巻いた。

震える手でリヴァイの服を掴んで自分の方へと引き寄せる。案の定、リヴァイの顔は忌々しげに歪んで私を睨んだ。

「なんのつもりだ…」

「私…もう子供じゃないから…」

「言ってることの意味が分かってるんだろうな…?」

小刻みに震える両手をぎゅっと握りしめると小さく頷く。リヴァイは両手を壁についてわたしを逃げられないようにした。

「あとで後悔するなよ…」

「するなら調査兵団に入った時にしてる」

その言葉に忌々しく細められていた目がわずかに見開かれた。

「今、何て言った…?」

「後悔なら調査兵団に入った時にしてるって言ったの」

「思い出したのか…?」

「…ほんの少し。でも全てじゃ」

言い終わる前に口を塞がれた。

キスというのはこんなに胸が痛むものなのか…
私は絶対にこの人を好きになったりなんかしない。絶対にだ…。

一筋の涙が頬を流れた。

その日から偽りの自分を演じる日々がはじまった。エレンはそんな私に協力しても干渉はしてこなかった。ただ黙って傍観するだけ。それが私には不思議と心地よかった。そのままの自分でいられる唯一の場所、それが私にとってのエレンだった。




――――――




「やぁ…すっかり成長してあの頃の君だな」

チャイムの音で玄関のドアをあければいかにも高級そうなスーツを身に纏った男が現れた。エルヴィンと会うのは子供のころ以来だった。

「久しぶり、エルヴィン」

「記憶を取り戻したんだってな」

にっこりと微笑んでみせる。

彼こそが調査兵団を率いていた団長で非常に頭の切れる人であることはエレンから聞いていた。今夜は絶対に油断できない。何かあればすぐに携帯からエレンにSOSを送る準備はできていた。

リヴァイと一緒に作った手料理を口に運びながらエルヴィンは始終楽しそうに話しをしていた。リヴァイと会うのだって久しぶりなはずなのに、少しもそんなことを感じさせない。過去から続く二人の親密さが窺えた。

「そういえば、数日前にミケに会ったよ…」

「そうか…懐かしいな」

『ミケって誰?』

二人の会話を聞きながら、テーブルの下で素早く携帯に文字を打ち込む。返信はすぐに返ってきた。

『ミケ・ザカリアス。調査兵団分隊長。巨人の存在を匂いで察知出来る。寡黙で初対面の人間の匂いを嗅いでは鼻で笑うといった変わった癖を持つ、お前とはそんなに関わりなかったかもな』

そんなやりとりを続けながら二人の会話についていく。ふいに視線を感じて画面から顔をあげれば、向かいに座ったエルヴィンがじっとこちらを見つめていた。

「ごめんなさい…食事中に」

「いや、君も今は学生だからな…学生には学生の繋がりがあるんだろう?」

そう言ってエルヴィンは笑顔を浮かべてみせたがその瞳の奥は笑っていなかった。私はこの人が苦手だ。すべてを見透かしたようなこの目も。




食後のコーヒーを飲みながら取るに足らない会話をした後、エルヴィンは腕時計を確認して徐に立ち上がった。

「ナマエ、良ければ下まで送ってくれないか?」

「えぇ…もちろん」

その突然の申し出に嫌な予感がした。それでも断る理由がなくてエルヴィンの半歩後ろを黙ってついていく。案の定、マンションのエントランスを出たところでエルヴィンは険しい顔をして振り返った。

「そろそろ教えてもらおうか…どうしてこんな馬鹿げたことをしているのか」

「っ……」

「君は過去のことを思い出してはいないね?」

私を見下ろすエルヴィンの顔はさっきまでの穏やか表情とは別人のようだった。時に非情で冷酷なところもあると、エレンから聞いていた。向けられる鋭い視線を正面から受け止める。

「だったら何…?」

「リヴァイを傷つけるつもりか」

その言葉に視線を逸らす。奥歯を噛みしめればギリッと鈍い音がした。

「君は…大事な人を失うのと同じくらい辛いことが何か知っているか?」

「……」

「それは忘れられることだ。その苦しみを二度も味わわせないでやってくれ…」

エルヴィンは悲痛な顔でそう言い残すと振り返ることなく去っていった。その背中を見つめていればポケットの中で着信を知らせるバイブが鳴った。

そんなのは最初から分かっていた。
こんなふざけた嘘をつく前から。

リヴァイは時々私を悲しげな表情で見つめてきた。本を読んでいるときや紅茶を飲んでいる時、ふとした時にいつも悲しげな顔で私をじっと見つめる。

この顔が嫌で嫌でたまらなかった。だけどこの顔じゃなければリヴァイは私を迎えにきてはくれなかった。たった一度だけでいい、彼女になってみたかったのだ。

決して傷つけたかったわけじゃない。




――――――




翌日。

なんとなく授業を受ける気分にはなれなくて朝から屋上にいた。今にも雨が降り出しそうな空をぼんやりと見上げながら両膝を抱えて座り込む。ポケットを探れば煙草がない。

しまった…部屋に置いたままかもしれない。

そう思って立ち上がろうとした瞬間、屋上の古びた扉がギィっと音をたてて開いた。不機嫌な面持ちで入ってきたのはやっぱりエレンだった。

「なんでメール返さないんだよ。心配しただろ…」

「ごめん…」

視線を逸らして謝れば、エレンはしばらくの間じっと私を見下ろした。

「…で、昨日はうまくいったのかよ?」

俯いたまま首を左右に振ってみせる。

「やっぱりな…」

「私の居場所なくなっちゃうかも…」

自嘲気味に笑いながらそう呟けば、エレンの顔つきが変わった。

「なぁ…それ、誰が悪いんだよ?」

「え…」

「悪いのはお前だろ?」

エレンがこんなことを言うのは珍しかった。驚いて顔をあげればエレンは捲し立てるように続けた。

「馬鹿みたいに自分偽って…お前が寂しいのは全部お前自身のせいだろ」

「でもっ…例え偽りだとしても…リヴァイは今の私を見てくれる」

「それで愛されたとしてお前は満足なのかよ?」

「どんな形であれ…蚊帳の外じゃないなら…私は幸せよ」

それは本心だった。私だけ知らないなんてもう耐えられない。寂しくて仕方ないのだ。

「大バカだな…お前」

その掠れた声に驚いて顔をあげれば、エレンは今にも泣きそうな顔をしていた。

「エレン…なんであんたが泣きそうなのよ…」

ゆっくりと立ち上がると、一歩一歩エレンまでの距離をつめる。目の前に立つと踵をあげてその顔に近づいた。頬に手をそえ冷たい唇にそっと触れるように口付ければエレンは私の体を勢いよく突き飛ばした。

「っ……!」

「喜ぶと思った」

袖口で口を覆っていたエレンはキッと私を睨んだ。

「ふざけんな…」

「そっか…あんたもあれだもんね…過去の私が好きなんだもんね」

「なんだよそれ…」

「みんな幻想を追い求めて反吐がでそうよ!」

鋭い視線を向けたまま一息でそう言い切れば自然と頬を冷たい何かが流れていった。慌ててそれを拭うと逃げるように駆け出す。

「違う…俺は…」

屋上に残されたエレンの声は薄暗い空へと消えていった。




――――――




マンションに戻ればすでに鍵があいていた。
驚いて扉をあければ見慣れた革靴がきっちりと揃えて置かれていた。嫌な予感に靴を脱ぎ捨てると部屋まで走った。

「ない…」

机の上やその下、ベッドの上を隈無く探していく。どうして今日に限って忘れてしまったのか。

「おい、お前が探してるのはこれか…?」

背後からかかった声に動きを止めて固まる。振り向かなくてもリヴァイの手に何が握りしめられているか容易に想像ができた。

「未成年がふざけたことしてんじゃねぇよ…」

ぐしゃりと音がして振り返れば、握りつぶされた煙草の箱はそのまま床に落とされた。

「リヴァイ…これは…」

「俺が気付いてないとでも思ったか…」

それは煙草のことだろうか。それとも記憶が戻ったと嘘をついていたことだろうか。入り口に立つその顔を見て、それがどちらのことでもであると理解すると茫然とその場にへたり込んだ。

バカバカしくて涙が溢れそうになる。

「…もうこんな茶番は終わりだ」

「わたしを…」

「あ…?」

「私をこんな風にしたのは誰よ!?」

叫ぶようにそう言い放てばリヴァイは面食らったように目を見開いた。すぐに立ち上がるとリヴァイの脇を抜け玄関まで走る。靴を履こうとしたところで強い力で腕を引かれた。

「待て…落ち着け」

「離してっ…」

「悪かった…俺がお前を追いつめていた」

首を左右に振るとその手を振り払う。

「そんな言葉が聞きたかったんじゃない…」

今度こそ靴も履かずに玄関から飛び出した。




――――――




12月の雨は冷たくて痛い。

外に出ればすでに雨が地面を叩きつけていた。
濡れるのを覚悟で近くのコンビニまで走るとコンクリートブロックに腰をおろした。

どうして皆、過去の記憶に捕われているのか私には分からなかった。私は記憶なんて取り戻したくない。今の私を受け入れてほしい。ただそれだけなのに、どうしてこうなってしまったんだろう。

空を見上げれば、雨が雪に変わる気配はなかった。
冷たい雨は規則的に地面を叩く。

違う。エレンの言う通りだ。
自分の居場所をなくしてるのは自分自身だ。

ふいに目の前に影が落ちた。

顔を上げずともそれが誰かは分かった。本当の私が助けを求められる相手は一人しかいなかったからだ。

「エレン…私もう疲れた。誰かの顔色をうかがって過ごすのも、何かを失うのを恐れて生きるのも」

独り言のように呟けば、エレンは黙って私を見下ろした。いつものようにただ傍観するだけ。それが心地よかったはずなのに今は何でもいいから言葉が欲しかった。催促するように顔を上げれば、急にエレンが私と同じ高さに屈んだ。

「なら俺を選べよ」

「え…」

「俺なら…前のお前じゃない、今のお前を選んでやる」

どうだ、と肩を掴まれて体を揺さぶられる。
エレンの言葉はまるで思春期まるだしの子供じみたものだったが、そんなのどうでもよくなるくらい真剣な眼差しが私を射抜いた。

ぽたぽたと滴が頬を流れていくが、あまりの衝撃に冷たさが感じられなかった。




――――――




それは2000年前に言えなかった言葉。




「ナマエさん…!」

目の前で血まみれになって倒れるその体を抱き上げる。

「俺…すぐに兵長を呼んできますから…」

そう言って立ち上がろうとすればこの瀕死の体のどこに残っていたんだと思うくらいの力で引き戻された。弱々しく顔を横にふるその姿に涙が溢れだす。

「なんでっ…なんでだよ…!」

「エレン…」

「なんであんたは最後までそうなんだよ…!そんなに兵長が大事かよ」

「ごめんね、エレン…」

「最後くらい…我が侭言えよ…」

「ごめん…」

動かなくなったその体を掴んで必死に揺さぶる。

「頼むからっ…!」




あの日と同じようにその体を掴んで揺さぶる。掴んだ肩から伝わる温かさに自然と涙が溢れた。

「頼むから…今度こそ…俺を選んでくれ」

ぼろぼろと泣きながら縋り付くようにそう言えば、ナマエは目を見開いたまま茫然と頷いた。

それは何年も何千年も前から黙って見ているだけだった少年が初めて傍観者でいることをやめた日だった。

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