短編 | ナノ


▼ 紅茶 after story

夕食の支度を終え、お風呂を沸かして、そわそわといつもの時間がくるのを待っていた。テレビをつけてもチャンネルを切り替えるばかりで、すぐに消しては時計を見上げる。何度かそんなことを繰り返していれば、2LDKの部屋いっぱいにチャイムが鳴り響いた。すくっと立ち上がると玄関まで走って勢いよく扉を開ける。

「おっ、おかえりなさい」

スーツの上に紺のトレンチコートを羽織ったリヴァイの姿を視界に入れると自然と笑顔になる。いつものように鞄を受けとり玄関へと迎え入れるがいつまで経っても返事がない。

「リヴァイさん…?」

珍しく疲れた顔をしていることに気づいた瞬間、強い力で引き寄せられる。逞しい腕に包まれ全身が強張った。外の冷えた空気とわずかな金木犀の香りが鼻を掠めていく。

「ど、どうしたんですか急に…」

「胸クソ悪いことがあってな…」

「…会社で何かあったんですか?」

「いや、大したことじゃない…」

お前の顔を見たら安心した…と、そう続けるリヴァイの背中をぽんぽんと撫でてやる。いつも大人で冷静なリヴァイだが時々こんな風に弱いところも見せてくれるようになった。それが嬉しくてほんの少し照れくさい。



――――――



「えええええ!!」

食後の紅茶を差し出しながら私はあまりの衝撃に思わず声をあげた。

「エルヴィンさんって…あのエルヴィン団長ですか!?」

珍しく疲れた顔をして帰ってきたリヴァイにその理由を聞けば、今度の人事異動でニューヨーク支店から赴任してきた上司の中によく知った顔がいたらしい。それもあの調査兵団13代団長を勤めたエルヴィン・スミス団長だというのだ。

「あいつも昔のことは覚えてるみたいで話しは早かったがな…」

「だ…団長にも過去の記憶があるんですか!?」

私は興奮していた。だってあのエルヴィン団長だ。独立した指揮命令の権限を持ち、壁外調査では先陣を切って果敢に戦う名実ともに調査兵団のリーダー。一般兵からしたら憧れの存在なのだ。

お盆を抱えたまま向かいの席に座ると、リヴァイをじっと見つめる。

「駄目だ…」

「まだ何も言ってませんけど…」

「お前のその顔見てりゃ分かる」

「お願いします…どうしても会ってみたいんです」

顔の前で手を合わせて必死にそう続ければ、ティーカップを持ち上げていたリヴァイは眉根を寄せて私を見た。

「…なんでそんなに奴に会いたい」

「だってあのエルヴィン団長ですよ!?今の時代で言ったらオバマ大統領に会えるみたいなもんなんですから…」

「おい…さすがに持ち上げすぎだろ、そりゃ」

「リヴァイさんは当時の団長の人気を知らないからですよ。ある意味、兵長よりレアキャラでしたからね、団長は…」

「あ?」

「そうそう、兵長は団長と人気を二分してたんですよ?多かったな…兵長派と団長派の女性兵士たち」

「くだらねぇな…」

「またまたぁ…本当は嬉しいくせに」

にっこりと笑ってそう言えば、リヴァイは面倒くさそうに舌打ちしながらも、ちらりと私を見た。

「…で、お前はどっちだった」

「は?」

「お前は俺とエルヴィンどっち派だったんだ」

「なっ…なんでそんなこと言わなきゃいけないんですか」

一気に頬に熱が集まっていくのが自分でも分かると、咄嗟に抱えていたお盆で顔を隠す。

「おい、答えろ…」

「い、嫌です!!」

「…なら、エルヴィンと会わせるのもなしだな」

「もちろん兵長派に決まってるじゃないですか…!そんな分かりきったこと言わせないでください」

「チッ…それはそれで胸クソ悪いな…」

「はぁ!?もう…さっきからなに訳の分からないこと言ってるんですか」

珍しく拗ねたようにそっぽを向く姿に瞬きを繰り返す。兵長だと答えたにも関わらずこの態度だ。まったく訳が分からないと立ち上がった。

「そんなことよりお風呂沸けてますよ…?」

キッチンに備え付けられた給湯パネルに向かって歩きだせばリヴァイの横を通り過ぎようとしたところで、腰に腕が巻き付いた。

「一緒に入るか…?」

「入りません!!」

これ以上、顔を赤くさせられてなるものかと強引にその腕を振りほどいた。



――――――



それから数日後。

リヴァイはいつもと同じ道を進みながらスマートフォンをチェックしていた。仕事で遅くなると連絡はしていたが、連れがいることは伝えていなかった。今さらながら連絡すべきかと悩んでいるうちにマンションの前に辿り着いた。

「ずいぶん綺麗な所に住んでるんだな…」

「まぁ、それなりにな」

エントランスに備えつけられたオートロックに鍵を回して自動ドアを開ける。エレベーターを待っている間、ちらりと隣に視線を向ければ、相変わらず腹が立つほどに長身の男はご機嫌に笑みを浮かべていた。

「お前…何を笑ってやがる…」

「リヴァイご自慢の細君に会えるんだ…楽しみに決まってるだろう」

小さく舌うちしながらもエレベーターを降りて共有スペースを進んでいく。引っ越したばかりのマンションは新築でどこもかしこも綺麗なままだった。部屋の前まで辿り着くとチャイムを鳴らしてエルヴィンに向き直った。

「おい…これでも新婚だ。長居すんじゃねぇぞ」

「あぁ、分かってるよ…」

そんな会話をしている間にもガチャガチャと勢いよくドアが開いた。

「おかえりな……さ…」

いつものように笑顔でドアを開けたナマエは、隣に立つエルヴィンの姿を視界に入れると、大きく目を見開き固まった。

「夜分遅くに突然お邪魔してすまない」

「え…エル…ヴィン…団長!?」

ナマエはすぐに右手を握りしめそれを左胸にあてようとしたが、その手はエルヴィンによってやんわりと掴まれた。

「敬礼は必要ない。その心臓はもう、公に捧げるものではないからね」

「だっ…団長…」

「今はもう団長ではないよ…君さえ良ければエルヴィンと呼んでくれ…」

明らかに頬を赤らめ興奮したナマエの様子に大袈裟なくらい舌うちをする。自分の妻が他の男相手に興奮する姿など見ていて面白いはずもないのだが、ナマエがこうなるのも分からなくもない。ぐっと拳を握りしめるとその場は耐えた。

「あの、食事は…?」

「俺もこいつも仕事の席で済ませてきた」

「なら、お茶を淹れますね。だんちょ…じゃなくて、エルヴィンさんは紅茶とコーヒーどちらがよろしいですか?」

「なら、紅茶をお願いするよ」

「ちょうど良かった、今カップケーキも焼いてたんです。一緒にお持ちしますね」

そう言ってキッチンに消えるナマエを見送ると、エルヴィンが静かに口を開いた。

「可愛いな…」

「まぁな…」

「羨ましいよ、お前が」

「おい、もういいだろ…帰れ」

「まだ来たばかりじゃないか」

リビングよりも書斎の方が落ち着いて話しができるだろうとそのまま自室へと案内する。エルヴィンをソファに座るよう促すと自分は向かいの椅子へと腰を下ろした。

「ところで、お前達…子供の予定はないのか?」

「毎晩励んではいるが、生憎な…」

何気なくそう答えたが、すぐに悲鳴にも近い声が部屋中に響きわたった。

「ちょ、ちょっと…変なことを言わないでください…!」

開けたままにしておいた扉の向こうに、カップとポットをのせたお盆を持ったまま真っ赤になって立ち尽くすナマエの姿があった。



――――――



「お口に合えばいいんですが…」

来客用のカップに注がれていく紅茶を見つめながらエルヴィンは「楽しみだよ」と笑顔で答えた。この家の敷居を跨いでからずっといけ好かない笑みを浮かべていたエルヴィンだが、その紅茶を一口飲んですぐに表情を変えた。驚いたように動きを止めてカップを見つめる姿にナマエと顔を見合わせる。

「あぁ、そうか…なるほど、そういうことか…」

まるで独り言のようにそんなことを繰り返すエルヴィンにますます怪訝な顔を向ける。

「リヴァイ、なぜ言わない…彼女じゃないか」

「あ?」

「この紅茶を飲むまですっかり忘れていたよ…まさか当時からお前が何かとご執心だった紅茶の…」

「おい、少し黙れ」

ようやくエルヴィンが何を言おうとしているのか気付くと、咄嗟に立ち上がり胸ぐらを掴む。余計なことを言うんじゃねぇ…と睨みつければ、エルヴィンは誤摩化すように咳払いをした。ナマエはますます訳が分からないと首を傾げて口を開きかけたが、同じタイミングでキッチンからオーブンのアラームが鳴り響いた。

「あ、ケーキ…焼けたみたいですね…」

バタバタと走り去る背中を見送り、再び部屋の中に静寂が訪れる。

「彼女には言ってないのか…」

「…あいつは俺と言葉も交わしたことがないと思ってやがる」

「なぜ言わない…」

「…言う必要がないからだ」

視線を逸らしながらそう答えれば、エルヴィンは「そうか…」と顎に手を当てたまま黙り込んだ。頭の切れる男だとは思っていたが、油断していた。まさか紅茶を飲んだだけでナマエのことを思い出すとは思ってもいなかった。

「しかし懐かしいな…彼女の淹れた紅茶は昔から独特な香味が特徴的だった」

「あぁ…」

「お前たち、ようやく結ばれたんだな…」

感慨深げにそう言われると、柄にもなく笑みが漏れる。

「自分で言うのもなんだが、俺にしては必死だったからな…」

「…まったく想像がつかないな」

エルヴィンの言葉に記憶は遡っていく。



――――――



数年前。

ナマエの存在を知ったのは初めて言葉を交わした日よりもっとずっと前のことだった。まだ過去の記憶が曖昧だった頃、連日続く会議にうんざりしながら入ったカフェで何気なく注文したストレートティーを一口飲んで何かが変わった。

懐かしいような、胸が締め付けられるようなそんな味だった。

すぐに常連になり、出社する前に日替わりの紅茶をテイクアウトするのが日課になった。早い時は向いの公園で開店を待つこともあった。店先で野良猫にエサをやるナマエを見て、不思議と初めて紅茶を飲んだ時と同じ気持ちになった。

あいつの淹れる紅茶が好きなのか、あの女に会いたくて通ってるのか…そんな気持ちを曖昧にしていた頃、どうにか言葉を交わしてみたくて真夏にも関わらずホットティーを注文した。我ながら子供じみた行動だと思ったが、どうしても言葉を交わしてみたかった。案の定、驚いて手を止めたナマエは教えてもいない俺の名前を呼んだ。

そこからは意外な展開だったが、遠い昔に恋仲だったと聞いてなるほど…そういうことかと妙に納得していた。

なんとか連絡先を聞き出し、何かと理由をつけては連絡をとり、過去の話が聞きたいと飯に誘った。そんな甲斐あってか距離も縮まり、そろそろ関係を進めてもいい頃だと思っていた。

だが、ナマエは急に俺から距離をとるようになった。電話をしても、メールを送っても返事はない。さすがに他に男でもいんだろうと諦めようとしたが、どうしても諦めきれずにカフェへと向かった。


「話がある…」

単刀直入にそう切り出せば、カウンターの向こうで忙しなく動いていたナマエは驚いたように目を見開き、すぐに顔を逸らした。

「で、でも…今日は終わるのが遅くて…」

「なら向かいの公園にいる」

「え、あの…」

久しぶりにナマエの姿を見て俺はようやく確信した。他に男がいようと関係ない、俺にはあいつが必要なのだと。祈るような気持ちで公園のベンチに腰掛けていた。

「遅くなってごめんなさい…」

辺りがすっかり暗くなった頃、顔をあげれば複雑な顔をしたナマエが立っていた。

「いや、俺が勝手に待っていただけだ…」

躊躇いながらも隣に腰をおろしたナマエは俺の目の前にスリーブがかかったカップを差し出した。

「…これ、飲んでください」

それは久しぶりに飲むナマエの紅茶だった。冷えきっていた体にじわりと紅茶のあたたかさが広がっていく。

「うまいな…」

「少しはあったまりました?」

「あぁ…」

「ならよかった」

そう言って笑うその顔を見るのも久しぶりで、和らいでいた胸は途端に締め付けられた。

「…なぜ電話にでない」

「…………」

「他に好きな男でもいるのか?」

「いっ…いません…そんな人」

赤くなった横顔を食い入るように見つめる。あまりにじっと見つめすぎていたのか、ナマエはちらりと視線を向けると恥ずかしげに言った。

「あの…顔に何かついてます…?」

「いや…」

「リヴァイさん…私、あなたに言わなきゃいけないことがあります…」

突然、深刻な顔で告げられ咄嗟にもう会えないと言われると思った俺はナマエへと向き直るとその両肩を掴んだ。

「待て…俺から言わせろ」

「え…」

「お前が好きだ。付き合って欲しい」

「じょ、冗談ですよね…」

「冗談でこんなことを言うか」

「でも…私なんか…理由が分かりません」

「…俺たちは、過去に恋仲だったんだろ?」

そう言えばナマエは一瞬驚いたような、傷ついたような顔をして俯いた。正直に言えば過去など関係なかった。だが、関係を続ける何か特別な理由が欲しかった。

「少しでも可能性があるなら断るな。絶対に後悔はさせねぇ…」

俯いたままだったナマエはしばらく視線を彷徨わせた後に小さく頷いた。それを見逃さなかった俺はそのまま抱き寄せ、逃がすかとでも言うようにその場で強引にキスをした。



――――――



「その後は嫌がるあいつを半ば強引に連れ帰ってそのまま俺のものにした」

「リヴァイ…堂々と言うことじゃないぞ、それは…」

馴れ初めと言えるかは分からないが、付き合うきっかけとなった日のことを話せばエルヴィンは呆れたような眼差しを向けてきた。

「確かにお前にしてはずいぶん早急だな」

「正直、余裕がなかったからな…まぁ、それは今もだが…」

「…どういう意味だ?」

「エルヴィン、お前にこんなことを話す日がくるとは思ってもなかったが…俺は時々あいつが好きなのは過去の自分なんじゃないかと思う時がある」

「だから過去の話をしていないのか」

「あぁ…女々しい話だがな」

小さく笑いながらも吐き捨てる。

徐々に記憶が戻っていくなかで、恋仲どころか俺はいつもあいつのことを遠目に見ているだけだったと気が付いた。ナマエが嘘をついたのはきっと過去の自分を想っていたからだろう…そう思っていたが、一抹の不安だけが残った。あいつが好きなのは本当に今の自分なのだろうかと。



――――――



カップケーキを運んできたナマエを加えて他愛ない会話をしていたが、一時間もしないうちにエルヴィンは立ち上がった。今度は皆で食事でもしようと約束を交わして玄関でナマエと別れる。街灯だけがあたりを照らす暗がりの中でエルヴィンは来た時と同じような笑顔を浮かべて振り返った。

「彼女に伝えてくれ。紅茶とても美味しかったと」

「あぁ…」

「あと、安心しろ…あの紅茶はお前への愛で溢れていたよ」

「相変わらずくさい台詞を吐きやがるな、てめぇは…」

「だが相変わらず間違ってもいないと…そう思わないか…?」

「はっ…大した自信だな」

「なぁ、リヴァイ…記憶を残したまま生まれ変わるっていうのは何だろうな…」

「さぁな、なんにしろ厄介な記憶だ」

「あぁ、確かにいい記憶じゃない。だが、当時選ぶことが出来なかった道を今なら選ぶ事が出来る」

「………」

「リヴァイ、今度こそ幸せになれ」

「お前もな…」

遠くなっていく背中を見送る。久しぶりに再会したかつての上司は相変わらず腹の底が読めない男だが、今も変わらず部下思いの男だった。エルヴィンに背中を押されたようで不本意ではあるが。小さく苦笑を浮かべるとマンションに向かって踵を返した。




部屋に戻ればナマエはキッチンでティーカップを洗っていた。腕を組んだまま壁に凭れ掛かるとその背中をじっと見つめる。

ようやく手に入れた。
長い時を越えて、ようやくだ…

視線に気付いたナマエがふいに振り返った。

「どうかしました…?」

「なぁ…聞いてくれるか」

「え…」

「お前に聞いて欲しい話がある」

珍しく深刻な顔をしてそんな事を言ったせいかナマエは驚いたように動きを止めたが、すぐに笑顔で頷いてみせた。

その笑顔が好きだったのだと伝えよう。
今も、昔も変わらず愛していると。

「長い話になる…」


Fin.

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