ミドルレンジ | ナノ


▼ ボーイ・ミーツ・ガール

「仙道彰くん…あなたの三年間を私にください」


差し出された手を見て、まるでプロポーズだなと仙道は思った。
これまで色んな告白をされてきたがこんなのは初めてだった。わずかではあるが胸の内に何かが芽生えた瞬間。それはバスケットに対してなのか、目の前の少女に対してなのか、そんなのどうでもよかったのだが。


──始まりは一ヶ月前。

いつもだったら授業や部活で賑わっている体育館もこの日ばかりは緊張感に満たされていた。壁には紅白の幕がつるされ、真新しい制服を身に纏った新入生たちが誰もがそわそわと落ち着かない中、まだ見知らぬ二人の少年少女だけは心ここにあらずだった。入学式恒例の長ったらしい祝辞が読み上げられる間、少年は今にも落ちてきそうな瞼と戦い、少女はバスケットリングだけをまっすぐに見上げていた。


***


初めてドリブルを覚えたのは3歳の時だった。
初めて試合を観に行ったのは5歳の時。
そして、兄のインターハイ優勝を目の当たりにしたのは6歳の時だった。

きらきら汗が飛び散る中、見惚れるほどに綺麗なフォームで3ポイントシュートを放った兄のまわりだけまるで時が止まったようだった。その時、子供ながらに分かった。世界には選ばれた人がいるのだと。そして、その”天才”と呼ばれる人達がその力を発揮する瞬間に立ち合うことこそまさに奇跡に近いことなのだと。

できることなら、
もう一度、あの瞬間に立ち合いたい。

それが真っ直ぐバスケットゴールを見つめる少女の願いだった。


一方、少年は新入生代表の挨拶を耳にしながら今日一番の大あくびをしていた。周りに気付かれないよう注意したつもりだったが体育館の端にずらりと並ぶ教師たちからの視線が突き刺さる。いけね、入学早々目をつけられちまったかな…そんな事を考えながらぽりぽりと頭を掻いていると斜め前に座る一人の生徒が目に入った。

誰もが同じ方を向く中、一人だけ斜め上を見上げる少女。その視線の先を追えば何の変哲もないバスケットゴール。

(何だあの子…)

その視線の先にあるものよりもまっすぐな横顔が妙に気になった。

少年はまだ、少女の内に秘める闘志を知らない。


***


そんな二人が初めて言葉を交わしたのは入学式から数週間後のことだった。

新入生の中で飛び抜けて背が高くどこにいても目立つ少年、仙道彰は昼休みに売店へ向かうだけで多くの生徒から声をかけられていた。何かスポーツはやっていたのか、中学では何部に入るつもりなのか、とひっきりなしに質問が飛ぶ中、一番多いのが瞳をキラキラと輝かせた女の子たちからの「彼女はいるのか?」という質問だった。

お得意のへらっとした笑顔で適当に誤摩化した仙道は賑わう売店で素早くやきそばパンと牛乳をゲットすると、逃げるように裏庭へ向かった。そこに人の気配がないことを確認するとふぅと息を吐く。

昔から背が高くてそれなりに運動もできた。自分で言うのもなんだが人当たりもよく年上年下問わず女の子から告白されることも多かった。だからこうなることもある程度予測していたのだが、それでも次の瞬間、背後から掛かる声だけは予想外だった。

それは春の風が吹き抜けるたたかな午後。

「仙道彰くん、私と一緒にバスケットやりませんか?」

耳に届いたのは凛とした迷いのない声。フェンス越しに並んだ桜の花びらが舞い落ちる中、背筋をピンと伸ばした女の子が立っていた。

「ん…バスケット?」

思わず漏れた間抜けな声に、うんうんと、大きく頷く少女を仙道はじっと見つめる。すぐに困った表情を浮かべた。

「いや…悪いけどオレさ、運動部とか体育会系みたいなノリ苦手なんだよな」
「え…」

それは入学してから何度も口にしてきた言葉。

「中学では自由気ままな生活を送りたいと思ってたし」

いつもより本音が多く混ざるのは相手が自分と同じ真新しい制服を身に纏っていたからか。体を動かすのは嫌いじゃないが、厳しい上下関係や規律なんかはどうも自分の性格には合わないと仙道は感じていた。

「あとは彼女なんかも作ってみてーしな」

なんて、へらりと笑えば、目の前の少女は口を開けたまま瞬きを繰り返した。まさに開いた口が塞がらない状態だな、そんなことを考えながら、じゃ、と片手をあげて歩き出した仙道だったが…すぐに腕を掴まれた。

「女の子にモテるかもよ?勉強がダメでもスポーツ推薦で高校に入れるかも」
「ひでぇな…オレってそんなに勉強ダメに見える?」
「そうじゃないけど…」

ね…?と同意を求める少女の顔は想像以上に必死なものだった。どうしたもんかと困ったようにぽりぽりと頬を掻く。

「あのさ、なんでそんなにオレにバスケットやらせたいわけ?他にもいるだろ、入部希望者くらい」
「それは…」

少女は途端に言葉を詰まらせたが、すぐに意を決したように顔をあげた。

「私には分かるの。ううん、見えたの。全国の舞台で華麗にゴールを放つ仙道くんの姿が」

思ってもみない言葉に仙道は思わず目をぱちくりとさせた。しかし、すぐに少女の瞳に既視感を覚える。

いつも突然に告白してくる女の子たち。彼女たちもありもしない幻想を自分に抱いてはその瞳を輝かせた。女の子特有のそれにケチをつけるつもりはなかったが、仙道はそれがどうも苦手だった。

「そんなこと言ってさ…本当はオレに興味があるんじゃねえの?」
「はぁ?!」

少女は素っ頓狂な声をあげる。しばらく何か言いたげに唇を噛みしめていたが、ついに我慢出来なくなったとでもいうように口を開いた。

「あのねぇ…その自信過剰な性格どうにかならないわけ?」
「え…」

突然、声のトーンを変えた少女に仙道は再び目をぱちくりとさせた。そんなことを言われたのも生まれて初めてだったからだ。

「確かに仙道くんは背も高いし性格も明るいし、顔も…まあまあ良いかもしれない」
「まあまあって…ひどいな」
「だけど私が興味あるのは、君のその運動センス!それだけだから!!」

ビシっと人差し指を向けて言い切る少女の背後には豪華な効果音でもつきそうだった。その後、しばらく怒りを露にしていた少女だったが何故そんな風に思ったかをゆっくりと語り始めた。


***


それは遡ること数日前。

入学早々に始まった学力テストが終わると、すぐに持久力や握力を計る体力テストが行われた。その頃にはすっかり新しい環境に慣れた新入生たちの顔も随分とリラックスしたものになっていたが、ナマエだけはバスケ部顧問から受け取った入部希望者リストを見て顔を歪めていた。

残念なことにバスケ部は野球やバレー部に比べて弱小中の弱小だった。卒業していった三年生が部員の九割を締めていたにも関わらず新たな入部希望者はマネージャーの自分を含めて数人だけ。今や廃部寸前の状況にどうしたもんか、とさっきから溜め息がとまらないのだ。

(あと五人…ううん、せめて三人だけでも入部すればなあ…)

そんなことをぼんやりと考えている時だった。

ハンドボール投げが行われていた運動場の方から大きな歓声が聞こえてきた。すぐに顔を向けると注目の的になっているのは頭一つ飛び抜けて大きな男子生徒。入学してまだ数週間だったが既に名前は知っていた。なんといっても人気者、仙道彰くんは二球目のソフトボールをさっきよりも遠くに投げてみせた。わあ、と更に大きな歓声があがる。

(背、高いな…)

ボールの大きさは違えど綺麗なフォーム、あれだけの身長、思わず感嘆のため息が漏れる。さっきまでの憂鬱な気分も忘れて彼から目が離せなくなった。

仙道彰は握力、反復横とび、持久力に50m走のタイムとどれも文句ないものだった。いや、文句ないどころか何年かぶりに更新されていく新記録にギャラリーからは毎回歓声があがるほどだった。すぐに野球部とサッカー部の主将が満面の笑みで近付いていったが彼はへらっとした笑みでうまく交わしているようだった。あれだけの逸材、どこの部もほしいに決まってる。

その時はまだ、仙道彰を強引にバスケ部に誘うつもりはなかった。そんなことをしたらただでさえ力のない部だというのに他の部からどんな目に合わされるか分からない。だから忘れよう…仙道彰のことは頭から消そう…そう思って踵を返した時だった。

耳に届いたのはダムダムとボールを叩く、慣れ親しんだ音。

振り返れば運動場の端にひっそりとある錆びれたバスケットコートで体力テストを早々に終えたであろう男子たちがふざけて3on3を行っていた。まともに手入れもされてない空気の抜けたボールはドリブルの返しが鈍い。それでも…

それでもだ。

そこにいた男子の中でやっぱり一番目立っていた仙道彰は、最小限のドリブルで数人を軽々と抜いた後に、それはそれは綺麗なフォームで3ポイントシュートを放ったのだ。

春の冷たい風が吹き抜ける。

遠く離れているのにシュッと心地よい音が耳に届いた気がした。錆びれたリングにはネットすらなかったというのに…

その時、ナマエにははっきりと見えた。仙道彰がいつの日か全国という大舞台で華麗にシュートを放つ姿が。彼が輝けるのは野球でもバレーでもない。絶対にバスケットだと。胸の奥からこみ上げる根拠のない自信にぎゅっと両手を握りしめた。


***


そこまで一息で熱弁したナマエは息も絶え絶えに仙道を見あげた。彼が多くの部活の勧誘をやんわりと断っているのは知っていたが、どうしても諦めきれなかったのだと目を伏せ呟く姿に仙道はやっぱり困ったな…と首に手を置いた。

「…君さ、名前は?」
「ナマエ…谷沢、ナマエ」
「そっか、ナマエちゃんか…うん、ナマエちゃん。そんな事言ってオレの人生変わったら責任とってくれんの?」
「え…」

思ってもみない言葉に今度はナマエがきょとんと瞬きを繰り返した。仙道は相変わらず何を考えてるのか分からない笑みを浮かべていたが、突然ぐっと顔を近づけてきたので思わず後ずさりそうになった体を必死に押しとどめる。

「や、約束する…私が仙道くんを絶対日本一のバスケットプレーヤーにしてみせるから」
「そりゃまた随分と大きく出たな」
「それに…仙道くんは多分、バスケのこと好きになると思うよ?」
「ついでに君のことも…?」

なんて軽い調子で仙道が返せば、ナマエは再び苛々と眉根を寄せた。

「もうひとつ約束する。私はあんたのことなんか絶対に好きにならないから安心して」
「ふーん…じゃあオレのこと好きになったらバスケやめてもいーんだ?」

うんうんと、面倒くさそうに頷くナマエに仙道は口元を緩めた。

「そっちこそ随分自信があるんだな」
「だって…バスケより好きなものが出来るなんてあり得ないもん」

そう、心底嬉しそうに笑ったナマエに仙道は毒気を抜かれたように目尻を下げた。何故かそのタイミングで頭をよぎったのは入学式の時に見かけたバスケットゴールを一心に見つめる少女の横顔だった。

「そうか、君はあの時の…」

さっきまでのヘラヘラとした笑みを突然消した仙道にナマエは訝しげに目を細めたが、それもわずかな時間だった。

「まぁ、そういうの嫌いじゃないぜオレ…」

ふっと笑った仙道に今度こそ数歩後ずさる。

「そっちこそ私のこと好きにならないでよね」
「大丈夫、それだけはあり得ないよ」
「なんで…?」

増々眉間の皺を深くしたナマエだったが、仙道もまた笑みを深くした。

「尻に敷かれるのはごめんだからな」
「しっ…失礼な…!」

ナマエは怒り露に反論しようとしたが、すぐに大きく息を吐いて自分を落ちつかせると、渋々と右手を差し出した。

「仙道彰くん…あなたの三年間を私にください」

まるでプロポーズだなと仙道は思った。
諦めたように苦笑するとその手をぎゅっと握り返す。

「分かったよ…そこまで言われたんじゃ引き下がるわけにはいかねーよな」

ナマエはその言葉に満面の笑みを浮かべた。バスケットが好きだと語った時以上に嬉しそうな顔で。仙道はこのきらきらした笑顔が自分の人生を大きく変えていくことになるとはこの時微塵も思っていなかったのだった。

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