常に最高速度を保ち馬を走り続けると、馬は本部へ着いたと同時にへばった。ここまでの道のりを感謝するように鬣を撫で、馬小屋の鎖へ繋げる。心臓が今までにないほどバクバクしているのは、急いでここへやって来たからだけではないはずだ。ドキドキする気持ちを抑えながら本部へ足を踏み入れると、ちょうど昼休憩をとるために食堂へ向かっていたのかニファさんに出くわした。
「ジャン!」
名前を呼ばれて、頭を下げる。すると、俺は何も聞いていないのにこう続けた。
「ナマエなら、団長の部屋にいるよ。」
「え?」
「あ、違った?てっきり、ナマエに会いに来たのかと思って…その、異動の話を聞いたのかと…。」
そう言うと少し気まずそうに視線を逸らす。ーーー"異動"……。アルミンの思い違いであってくれ、と思っていたその言葉が現実であると知り、落胆の気持ちが胸を支配する。しかし、それを聞いて尚更、自分の気持ちを伝える覚悟が出来た。ナマエさんが誰を思っているかなんて、この際関係ねぇ。俺は、思っていることを伝えられる内に伝えておくんだ。…ナマエさんのように。
「あ、そうなんです…。俺ってそんなに分かりやすいですか?実はさっきも同期に、」
「うん、そうだね…。そういう真っ直ぐなところ、ナマエにそっくりだよ。」
そう言って、ニファさんは笑った。その言葉や笑顔が矢のように俺に突き刺さる。
「でも、早く行った方がいいかも。さっきも実はナマエがどこにいるか尋ねられて、」
「だ、誰にですか?」
そう聞いた瞬間、丁度俺たちのそばを通りかかった名前の知らない女兵士がニファさんのことを呼んだ。それに反応したニファさんはすぐに行くと返事をする。
「ごめんね、もう行かなきゃ!とりあえず、団長の部屋に急いだ方がいいよ。」
ニファさんはそう言って、俺の肩をポンポンと叩き小走りで女兵士の元へと向かった。…何となく、嫌な予感がする。ニファさんに背を向ける形で、俺も団長の部屋へと足を進めた。
本部にいる殆どの兵士が俺の進行方向とは逆の食堂へと向かう中、団長の部屋へ辿り着くと扉の前に今一番会いたくない人物がいて俺は肩を落とした。やっぱり、俺のこういう時の勘は高確率で悪い方向に当たる。
……リヴァイ兵長だ。扉に背を預けるような形で腕を組んでいるその姿は、中の会話を盗み聞きしているようにも見える。兵長は、ナマエさんの異動についてどう思っているのだろうか。きっと俺には一生分からない疑問が胸に疼く。ゆっくりと歩く俺の足音に気付き、兵長は顔を上げた。
「…ジャンか。エルヴィンなら今取り込み中だ。後にしろ。」
いつもと何も変わらない口調で兵長が言った。その胸の内は、俺には到底図りかねない。一体兵長は何を思っているんだ。ナマエさんのことを、どう思っているんだ…。
「いえ、エルヴィン団長ではなくナマエさんに用があります。」
そう言うと、兵長の眉がピクリと上がるのを俺は見逃さなかった。俺の"ナマエさん"と言う言葉に明らかに反応した。それは、予想外だったからかそれとも…。
「こんなところまでわざわざ出向いて、ナマエに何の用だ。」
兵長がギロリと俺のことを睨んだ。その目は明らかに敵対的だ。余りにも凄みの効いたその目にたじろぎつつも、僅かに残った勇気が俺を奮い立たせた。
「兵長には、関係ありません。」
そう言うと兵長はハッと目を開く。しかしそれもほんの一瞬で、兵長はまたいつも通りの、いやいつも以上に機嫌の悪い顔に戻った。
「……………。」
俺の言葉に、兵長は何も言わない。ただ先ほどよりも凄みのある目で俺のことを睨みつけるだけだ。身長差があるにも関わらず、俺はまるで蛇に睨まれた蛙のように固まってしまった。そんな俺たちの周りに流れる空気を切り裂くように、部屋の中からナマエさんの大きな声が聞こえる。
『お言葉ですが団長、私は確かにリヴァイ兵長が大好きですがその前に兵士ですよ?兵士の本職を捨ててしまうほど、自分を見失っていません!』
…分かっていた。分かりきっていた。今まで何度も本人の口から直接聞いていたし、この前なんでナマエさんが兵長に抱きついているところまで見ちまったんだ。だけど、このタイミングでこの状況で、聞きたくなかった……。自分が何故ここにやって来たのか、その理由すら見失ってしまそうな自分とは裏腹に、兵長はナマエさんの言葉にまた強い力を目に宿した。
「ただ、お前にナマエの相手が務まるとは思えねぇがな。」
兵長は真っ直ぐに俺を見て、そう言った。言葉を失い立ち尽くす。…まさか、兵長にまで俺の気持ちは気付かれていたと言うのか…?そして、俺が今からしようとしていることを見透かしていると言うのか…?それだけ言うと、兵長は一歩踏み出し俺に背を向ける。…ナマエさんのことを待っていたのじゃないのか?兵長の行動についていけず、俺は訳のわからねぇことを口走ってしまった。
「とめないんですか?」
「…俺がとめたらやめるのか?その程度ならてめぇにとってもナマエにとっても、時間の無駄でしかないと思うが。」
兵長が再度、俺のことを睨みつける。それに無償に腹が立って、燻っていたさっきの強気が蘇ってきた。
「いえ…。とめられても、やめません。」
「…そうか。」
よく分からない返事をしたあと、兵長は去ってしまった。…意味がわからねぇ。しかしそれを考える間もなく、エルヴィン団長の部屋のドアノブが動いた。