「ベルトルト・フーバー…」
嵐のように去って行ったジャンを見届けた後、次に書かれた人物の名を呟く。正直言うと、もう疲れた。その上次の標的である彼と私は、同期であるにも関わらず訓練兵時代や同じ調査兵団に属している今でさえ、まともに会話をした記憶がない。つまりはあの薬をカプセルのまま服用させるのはもちろん、例え飲み物なり食べ物なりに混ぜたとしても、受け取ってもらえる確率はゼロに等しいだろう。一体どうしたものか。
「なっなんですかこれ…!」
「日頃の訓練でみんな疲れ切ってるだろうと思ったから、栄養ドリンクを作ったの。サシャもどうぞ。」
「やったぁー!嬉しいです!みなさーん!ナマエがみんなに栄養ドリンクを配ってますよー!」
食堂前で、夕食を摂りに訪れた訓練終わりの兵士達に私は栄養ドリンクと称した飲み物を配って行く。みんなには本物を渡し、ベルトルトには例の薬入りを渡す作戦だ。これなら、面識のない私からでもみんなに配っているのだから何も疑われずに飲んでくれるだろう。早速近寄ってきてくれたサシャが大声で宣伝してくれたお陰で、兵士達が集まってきた。これなら見逃される可能性も少ない。大方の兵士に配り終えた後(ジャンだけは私を見て血相を変えて逃げて行った)、一際大きな人影が見えて、裏に隠してあった薬入りのドリンクを差し出した。
「はい、ベルトルトにもどうぞ!」
「あ、ありがとう…。」
何故か冷や汗をかきながら恐る恐る私からドリンクを受け取った彼はそのままそれを手に取りテーブルへと腰掛けてしまった。本当は今にでも飲んで欲しいところだけど、勧めるとかえって怪しいので私も近くのテーブルに座り様子を見ることにする。
「それで、クリスタなんだがこの前も、…」
「そうなんだ。よかったね。」
いつも通りライナーと話しながら食事を摂るベルトルト。隣のライナーはもうとっくに私のあげたドリンクを完飲したと言うのに、当の本人は口さえつけていない。…もしかして、何か勘ぐられている?嫌な予感がしつつも、食事を終えそのまま部屋へと戻ろうとするベルトルトの後をつける。
「…!あ、あのさ、僕に何か用?」
「え!?い、いや、その…」
すると、角を曲がった途端ベルトルトが進行方向からくるりと背を向け、私の前で仁王立ちしていた。尾行していたのがバレてしまった!さすが、訓練兵を3位で 卒業した男。今迄の標的とは違い、一筋縄ではいかないらしい。
「さ、さっきの栄養ドリンク…飲んでくれないのかな、と思って…。」
正直に思っていることを話すと、ベルトルトはあ、これのこと?、ときょとんとした顔をした。
「明日の訓練は今日より厳しいらしいから、明日に取っておこうかと思ったんだけど…今飲もうか?」
そう言ってベルトルトはついに薬入りのドリンクに口をつけた。一口目が喉を通り、ゴクリと喉仏が上下に動いた瞬間、うぅっと苦しそうな声を上げてその場に跪く。
「大丈夫…?」
「…は、はい…っ。」
大丈夫ではないんだろうけど、一応声をかけてみる。すると、今のベルトルトよりほんの少し若い顔がこちらを不安そうに覗き込んでいた。
「君、お名前は?」
「ベルトルト…。」
アルミンの時と同様、記憶が残っているらしいベルトルトは私の方を見てひどく怯えた表情をした。見た目は、小さくなったアルミンより更に大人びて見える。…10歳くらい、と言ったところか。小さくなっても私とそれほど大きく変わらない背丈で、立ち上がったべ、…ミニトルトは肩を震わせ私を警戒している。…こんなこと、今迄になかったのに彼は一体何に怯えているのだろう?
「大丈夫?痛いところはない?」
「…ない。」
そう言って足早に去ろうとするベルトルトの腕を急いで掴む。ひっ、と声を上げて私を見つめるベルトルト。どうも様子が可笑しい。この年齢に起きた何かがトラウマにでもなっているのだろうか?…そう考えると答えはすぐに出てきた。彼も、"あの日"の経験者なんだ、きっと。
「大丈夫だよ。もう巨人は来ないからね?」
「……!!」
「だから、少しお姉さんと一緒に居よう?」
「うぅっ…。」
そう言うとベルトルトの目がうるうるして大粒の涙がボロボロと零れ落ちた。….あの時私はウォール・ローゼ内に居たから直接的な被害はなかったけど、きっと彼は私何かには想像し難い壮絶な経験をしてきたのだろう。そう思うと私は気付けばベルトルトの体を強く抱きしめていた。
「もう、大丈夫だからね?安心して…。」
片方の腕をベルトルトの背中に回し、もう片方の腕で頭を撫でると自分の胸の辺りから言葉にならない嗚咽が聞こえてきた。
…どれくらいの時間が経っただろう。ベルトルトの嗚咽が少しずつ小さくなってきたころ、今度は先ほどとは別の苦しそうな声が聞こえてきた。…え今このタイミングで!?そう思っていると抱きしめていた背中がだんだん大きくなって……、
「…!え、なに!?」
私の胸の辺りにあったはずの頭が気付けば頭上にあり、私がベルトルトの胸に頭を預けている状況になった。驚いて手を離した私に、状況が飲み込めずオドオドするベルトルト。その頬には、涙の跡がある。
「あ、あの…お節介だと思うけど…何かあったら私で良ければ何でも聞くから!一人で、抱え込まないで?」
「えっ、」
そう言うとベルトルトは目を丸くした。無理もない。小さくなった時の記憶はないのだから、いきなり何だと思っているんだろう。それでも構わない。あんな小さな時にあんな経験をしたんだもの。私に出来るなら、その闇を取り除いてあげたい。…とは言ったものの、相変わらずきょとん顔で私を見つめているベルトルトを見ていると何だが照れてきてしまい、咄嗟に走り出してしまった。
「…ありがとう。」
踵を返した時に、小さくそう聞こえた気がした。