kuzu

Special story

この空の続く果て


ーーーゴゴゴゴゴゴゴ


開門の音が鳴り響くと、いよいよ私の緊張と不安は最高潮に達した。昨日、あまり寝付けなかったくせに妙に目だけは醒めていて、それに頭がついていっていないのか何だか気分が悪い。いや、今この場で気分が良い奴なんか一人も居ないだろう。周りを見渡すと、私と同じ新兵はもちろん、ベテランの兵士だって顔を青くして手綱を握っていた。


今日と言う日を望んで、希望兵科を決めたくせに、私はここに来て完全に怖気付いてしまっていた。今日、私は生まれて初めて壁の外へ出る。訓練兵を卒業したてだとか、何ならその訓練でさえも望ましいものではなかったとか、不安要素は山ほどあるけれどそんなことはもう言ってられない。前の列の兵士が馬を走らせる音が聞こえ、私はとうとうこの時が来てしまったと感じた。


門を馬を走らせて潜り抜けると旧市街地が広がる。もちろんだがひと気がなく、老朽化が進んでいてとても不気味だ。そして、ドシンドシンと聞いたことのない地響きが遠くから聞こえる。それが何であるかなんて、今は分かりたくもない。


緊張とか、不安とか、色んな気持ちが入り混じって爆発しそうな心を落ち着かせるために、すぅっと息を吸って深呼吸をした。きっとそんなことはないんだろうけど、壁内の空気より何だが美味しい気がする。そして、いつもは壁に邪魔されてよく見えない、空を見上げた。それはとても青く澄んでいて、とても綺麗で。切り取られた空しか見たことのない私にとって、それは余りにも大きかった。…こんな光景が壁外に広がっていたなんて。この光景の続きを、もっと知りたい。もっと行きたい。私は、ここに来て初めて前向きな気持ちになれた。しかし、私の前に広がった新しい世界は、当然のことながら美しいだけではなかった。


***



「南前方より巨人出現!これ以上の侵入を許すな!!」


全行程も半分ほど進んだ時、それは起こった。出発してまもなくの時から鳴り響いていた巨人の足音が徐々に大きくなり、そして遂に姿を現した。


「う、うわああぁぁぁ……!!」


生まれて初めて目にしたそれは、胴体だけがデカく、それに似合わないアンバランスな手足を持ち合わせ、私たちを見つけると目を鈍く輝かせて不気味な笑みを浮かべた。想像以上のそれに、全身から鳥肌が立ち頭をはじめ体の全機能が停止してしまったように立ちすくむ。息をすることさえ忘れてしまった私は、自分の班長が食べられる光景をボーッと眺めることしか出来なかった。


「たっ、助けてくれぇぇえええ!!」


今まで何事にも動じない、冷静に物事を判断する頼れる班長が、目からボロボロと涙を流しながら命乞いをする。しかしそんなことも構わず、15mはあろうかと思われる巨人はムシャムシャと食べた。血しぶきが、私にも降り注ぐ。


……逃げなきゃ。



班長の叫び声がやがて聞こえなくなり、巨人の咀嚼した音が聞こえた時私はやっと我に返ることができた。だらん、と放り出してしまっていた手綱を掴み直し、馬を走らせる。全身が震えてしまって汗が溢れ出し、自分でも何をどうしたいのかさっぱり分からなかったが、とにかく生き延びる為にはこの場から逃げなければならない。私の属する班のメンバーはもう既に全滅し、地面には体の一部だったありとあらゆる部分が血だまりの中に落ちていたが、私はそれに目を落とすことなく馬を走らせた。


ーードンッドンッドンッドンッ


そんな私を巨人は地響きを立てて追いかけてくる。…この方向へ走れば他の兵士と鉢合わせて被害が拡大してしまう。頭では分かっていても、打破する方法が見つからない。そんなことを考えていると、何かに体を掴まれふわっと上に持ち上げられた。……あぁ、これでもう終わりだ。急に背負うものが軽くなったことを不思議に思ったのか、馬がこちらを向いて目が合う。グググッと力を入れた巨人の手に掴まれ、臓器が体から飛び出るんじゃないかと言うほどの圧力を受ける。ブレードを握りしめていた手の力が、徐々に薄れて行く。


「こっこのっ…離せっ!!」


殺意を向ける私を嘲笑うかのように、巨人はその大きな口をニィっと広がらせて、笑った。人生最期に見た光景が巨人の笑顔なんて最悪だ。徐々に近づいて来る無数の歯に、観念して目を瞑る。


ーーザッ!!


もう食べられる、と死を覚悟したその瞬間ザッと聞き覚えのある音が聞こえ、私を握っていた強大な力が一気になくなった。…この音は、巨人を削ぐ音だ。でも誰が?巨人の手から解放された私は咄嗟のことでアンカーを打つことも出来ず、まして何がどうなったのかも分からずに、真っ直ぐ落ちていく。


その瞬間、横から深緑の何かが飛び込んできて、私を抱き留めてくれた。暖かい何かに包まれ、ハッとして後ろを見ると、刈り上げられた黒髪の先に、私が掴んでいた巨人が力を失い倒れているところが見えた。


「無事か?」


その声の主の方を見ると、切れ長の鋭い目が私のことを真っ直ぐ見つめていて、その瞳に吸い込まれそうになる。……じ、人類最強のリヴァイ兵士長だ。同じ調査兵団に属していながら、雲の上の存在過ぎてきちんとお目にかかれたことはなかったが、私にはすぐに分かった。こんなことが出来るのは、きっとこの人しかいない。


「は、はい、大丈夫です…。」
「そうか。…見慣れない顔だな。新兵か?すぐに配置場所に戻れ。」
「私の班は…全滅しました。」
「何だと?」


そう言うと、リヴァイ兵長は疑いの目を向けた。そして、先ほどの強い眼差しに後悔とか、悲しみとか、そういった感情を込めて、一言呟いた。


「…お前しか、助けられなかったか。」


自分への不甲斐なさを責めるように、グッと抱きしめられている力に腕を込められる。こんな一大事に不謹慎だが、私は頬が赤くなるのを感じた。


そして、しばらく立体起動で進み巨人の気配がなくなったところで、リヴァイ兵長は私をそっと木陰に下ろした。再び地面に足を下ろすことが出来た私は、今自分が生きていることを強く実感した。……生きている。信じられないことに、私だけが生き延びた。こんな言葉で片付けるのは犠牲になった仲間に申し訳ないが、私が助かったのは決して実力なんかじゃなくて運が良かっただけだ。そう思うと今自分だけが生き残った奇跡が怖くて怖くて、堪らなくなった。


「リヴァイ兵長、助けてくれてありがとうございました。」
「礼には及ばねぇ。当然のことをしたまでだ。」
「私は、その当然のことが出来ませんでした…。」


目に焼き付いて離れない、班長を始め他の班員が巨人に食べられるシーンが頭の中で蘇る。私が臆病者で、自分のことしか考えられなかった愚か者だったから、みんな死んだ。リヴァイ兵長が平然とやってのけたのとが、私には出来なかった。緊張の糸が解けた代わりにボロボロと溢れ出す涙を拭いきれないでいると、しばらく黙っていたリヴァイ兵長が口を開いた。


「お前、空がこんなに広いことを知っていたか?」


突然の質問に、わけが分からず流れていた涙も止まる。いえ、知りませんでしたと心のままに答えるとリヴァイ兵長は私にハンカチを差し出してくれた。その優しさに甘え、それで涙を拭う。


「俺は壁外に出て初めて、この空の広さを知った。最初に壁外に出た奴はみんな、空やら空気やらに感動するらしいが、その後その景色をもっと見たいと兵士を続ける者も居れば、巨人の恐怖に屈して辞める者もいる。…どういう意味だか分かるか?お前も今日、初めて巨人と向き合い自分の実力を知った。これ以上仲間を殺されたくないと訓練に励んで巨人に挑むか、もう仲間が殺されるところは見たくないと壁内に篭るか、それはお前次第だ。」


そう言って兵長は私に背を向ける。そして歩を進めながら、私に続けた。


「俺はもう行く。こうしている間にも、救える命があるからな。いつか、この空の続く果てまで見れるといいんだが。」


その言葉に、胸がぎゅっと締められるのを感じた。リヴァイ兵長は進み、もう見えなくなってしまったが、いつまでもその姿が心に浮かぶ。ーーこれが、人類最強のリヴァイ兵士長なんだ。もう、巨人に震え生き延びたことを悲観するような気持ちは残っていなかった。進もう。リヴァイ兵長が教えてくれた、この気持ちを胸に。




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