本当はこんなこと言いたくなかった。本心とはまるで反対の、言いたくなかった言葉を口にすると、目の前の彼は元々大きな目を更に大きく見開いた。暫く沈黙が続く。まるで私が「言い間違えた」とか「冗談だよ」なんて言うのを待っているようだった。私だって、そう言えたらどんなに楽か。一向に口を開かない私を見て、アルミンは私の手を取った。やめて。そんなことされると私も決心が揺らいでしまう。
「どう、して…?」
段々と涙がたまっていくアルミンの目を見ないように、俯く。彼に握りしめられた両手が、痛い。だけどそれを振り払う強さは私にはなかった。
「もう、好きじゃないから。」
一度言葉にしてしまえばあとは簡単だった。思ってもいないような言葉が口からすらすらと出てくる。背も私とそんなに変わらないし、アルミン弱いし。私、もっと男らしい人が好きなんだよね。そうしてやんわりと彼の手を振りほどいてアルミンを見ると、先ほどとは打って変わって顔に笑みを浮かべていた。
「……そっか。」
もうアルミンは、私の手を無理やり取ろうとしなかった。
「君がそれ以上ボロを出さないように、嘘をついている理由は聞かないでおくね。」
えっ、と今度は私が驚くとアルミンは私の頬を撫でて唇にキスを落とした。少し顔をしかめると「これくらい許してよ。最後なんだから。」と困った顔を返された。
ああ、アルミンには全てお見通しだった。私が本当は、アルミンのことが大好きで大好きでたまらなくて、本当は別れたくなんかないってことを。それを分かった上で、私の見え透いた嘘に騙されたフリをするんだ。理由も聞かずに。目の前のアルミンが歪んで見える。
「アルミンなんか、好きにならなきゃ良かった。」
「…それは本当のこと?それとも、」
これ以上まだ僕に嘘をつくの?、とアルミンは大きな眉毛を八の字にさせた。ああ、私はアルミンの笑った顔が大好きなのに。最後まで困らせてばかりだったな。泣き顔を見られたくなくてアルミンに抱きつこうとすると、今度はアルミンからそれをやんわりと拒否された。心にズン、と何かが落ちてきたような感覚に堪えていた涙がボロボロと頬を伝う。
「…ダメだよ、ナマエ。自分から言ってきたのにそんなことしちゃ。せっかくの決意が揺らいでしまう。…ナマエも、僕もね。君に触れてしまったら、きっともう離せなくなると思うんだ。だから、」
僕はもう行くよ。最後にそう言って背中を向けたアルミンは、私の方も見ずに歩いて行った。これで良かったんだ。
***
「…ナマエ?そこに居るんだよね?」
駆け付けた仲間たちの中から、最も聞きたくなかった声が聞こえた。みんなが口々に説得の言葉を口にする中、彼の声だけはいつも通り穏やかで。どう転んだって先が短い命だ。ならいっそ、アルミンのところへ戻っちゃおうかな。そんなことを考えていると狭い空間の中で大きな図体と背中に負ぶった暴れている"手土産"に顔をしかめながらベルトルトが私の右手を掴む。
「ナマエ、流されてはいけない。何のために別れたんだ?そもそも、元から付き合いなんて始めるからこんなことになるんだ。ライナーも言っていただろう?しかもよりによって、アルミンと。バレなかったから良かったものの、勘のいいアルミンになら何か嗅ぎつかれてたって可笑しくなかった。このことがなければ、もっと早くに事を進めたかもしれな、」
「わ、わかってるよ!!」
正論を言うベルトルトに苛立ちを覚え、掴まれた右手を乱暴に振りほどく。そうなんだ。壁内の人間にこんな感情を抱くなんて、私はどうかしてた。だけど、気付いた時にはもう遅かった。
「返事はしなくていいからさ、僕の話聞いてよ。…君に別れを告げられた時、僕はてっきりお互い心臓を捧げた兵士だからとか…そんな理由なんだと思ったんだ。だけど、そうじゃなかったんだね。」
アルミンが話し始めた途端、他の仲間達は静かになった。ベルトルトに背負われたエレンでさえ、その足を止めた。
「君は…君たちは…僕たちが計り知れないほどの大きなものを秘めてたんだね。…だけど、こんなことになってしまったのは、何か理由があるってことを僕は信じてるよ。ナマエ、話してくれないか…?大丈夫、君のことは僕が命に代えても守るよ。約束する。今ならまだ間に合う。君の、支えになりたいんだ…。君の背負っているものを、一つずつ取り除こう…?その、助けになりたい。ナマエ…、僕は今でも君のことが、」
「ナマエ!耳を貸すんじゃない!」
アルミンの言葉に焦ったベルトルトが私の耳を塞いだ。背中のエレンが再び暴れ出す。みんなが焦った表情を浮かべる中、私だけがやけに冷静に"あの日"を思い出していた。
「アルミン、それは本当のこと?それとも…?」
シールドの様に護られた隙間から、目を見開く彼が見える。ああ、あの時と何も変わってないな。表情も、言葉も。変わったのはこれを言ったのがアルミンだったのが、今は私。アルミンも、こんな気持ちであの時この言葉を言ったのかな。
「みんな、飛べ!!」
どこからか離散の声がかかり、アルミンを含めたみんなが散り散りになった。その途端、巨人の群れが四方八方から私達を襲う。あの時のアルミンと同じように、とうとう私もその問いに対する答えを聞くことが出来なかった。ただせめて許されるなら、これ以上もう、嘘はつきたくない。
地獄絵図の中に、彼が見えた。最後に見た彼は、私の大好きな笑った顔でも、いつもさせてしまっていた困った顔でもなかった。