『世界よ滅べ、3・2・1』

 耳が痛くなるほどの静寂だった。
 世界が滅んでしまったのではないかと、そう錯覚するほどに。


 雪が降る。しんしんと、という表現は、きっと音すら凍てつかせ、封じ込めてしまうことを表すには、まったく似合いの表現なのかもしれない。
 その日は朝からひどい寒さだった。散々走りこんだ身体は見る見るうちに冷え込んで、すべてのカリキュラムが終了した頃には、灰色の空から白いものがちらほら落ちてきていた。
 こんな日は飲みに行こう。誰ともなく誘い合い、もはやチームの行きつけと化した居酒屋で鍋を囲んで散々騒いだ挙句、気がつけば雪はどんどんひどくなっていった。
 寮生が先に帰り始め、なんだかんだで飲みすぎた何人かをタクシーに放り込んだ頃には一時間以上経っていた。勿論外は吹雪いてこそいないが、普通のタイヤで運転するには少し考えものな積雪具合となっている。
「ホシノ、ドースルノ?」
「歩いていくしかねぇだろう」
「……ハーイ」
 もともと飲む気のなかった星野は、送迎の意味もあって車で来ていたが、店にお願いして一晩預かってもらうことにした。どうせこの店からなら歩いて10分もないのだ。
「オヤスミナサーイ」
 店の亭主にぶんぶんと手を振りながら、昌洙は少し先を行く星野の背中を追う。
 勿論昌洙も寮生の一人なのだが、今日は外泊届けを出している。口実は『星野の部屋でDVDを見せてもらう』、それだけでみな納得してくれるのだ。
 ざっくざっく、と普段滅多に聞けない音を楽しむように、昌洙は一歩一歩踏みしめるように地面を蹴った。時折振り返っては、雪の上に残る二人分の足跡を面白そうに眺めている。
「ホシノ」
 振り返りもしない背中に追い縋るように駆け寄ると、迷いなくその腕を取ろうとしたが、邪険に振り払われる。
「なにやってんだ」
「テ、ツナグ」
「ふざけろ」
「フザケテナイ」
 寒い中、なにが悲しゅうて良い年した二人が手を繋ぐ繋がないで丁々発止のやり取りを繰り広げなければならないのか。普段の星野なら即拳で黙らせただろうが、それなりの時間酒の席にいたのだから星野も酔っていたのかもしれない。どちらにせよ、星野は掴み掛かる昌洙の腕を捕らえ、昌洙はそれを振りほどこうとする姿勢のまま、事態は膠着した。
「ホシノノアホっ、ホシノノバカ。ホシノノマヌケー」
 当然昌洙に振りほどく力などあるわけない。となれば口で罵るくらいしかないのだが、当然それは子供の喧嘩レベルでしかなかった。当然星野は聞く耳を持つはずもない。が、
「イマドキ、ショーガクセージャーアルマイシー」
 唐突過ぎる昌洙の言葉に、星野は『あぁ?』と多少柄の悪い声で問い返す。昌洙はと言うと、星野がどの辺りに疑問を持ったのか綺麗さっぱり分からない、と言うように首を傾げる。
 そうなると最初から説明したほうが早いのだ。経験上。
「ロッカーデー、アサカノカノジョノハナシシマシター」
 その話題には星野も覚えがあった。何日か前にロッカールームで多少盛り上がったと記憶している。
 聞いたところでは、浅香に新しい彼女が出来たらしい。らしい、と言うのはまだ仮、と言うことだ。なにせ浅香はその一ヶ月前に恋人に振られている。痛く傷心であったようだが、それが試合に影響することはなかった(影響など出したらピッチから放り出していただろうが)。
 晴れてフリーになった浅香が折りよくきた同窓会だかの葉書に連れられて、居酒屋に出向いたところ小学生の時の初恋の相手に再会したらしい。そしてお決まりの話題で、今恋人はいるのか、だの、ちょうどフリーだのと話題が転がり、周りの囃し立ても相まって、その初恋の君とお付き合いをすることになったらしい。
 ここでもらしい、だ。しつこくもらしいを連発するのは、当の浅香がそれを繰り返したからだ。
『今時小学生でもあるまいし、本当に付き合ってンのか?』
 誰もが思ったであろう疑問を、本人の前で内角鋭く抉りこむのは八谷の役目みたいなものだ(無論僕らのキャプテン近藤からのじきじきの制裁を受けた)。多分心の目があったなら、3Lサイズのトゲつき矢印が浅香の心臓を貫いたさまが見えたかもしれない。見えたって心動かされるものじゃないが。
『付き合ってますよ。…多分』
 ここまで歯切れが悪いと聞いているほうとしては気持ちが悪い。こういう時都合よく使われるのは、分からないことは率直に、まるで子供みたいな純粋さとひたむきさで持って聞き出してしまう昌洙の役目みたいなもの。
 カップラーメンも出来上がってしまうくらいの時間、たっぷり昌洙に『ドウシテー』攻撃を受けた浅香は、渋々ながら白状した。
 曰く、付き合うといいながら、まだキスだって出来ていないこと。
 曰く、先日の三回目のデートで、ようやく手が握れたということ。
 曰く、まだ好きだとも、まともに言えていないのだということ。
『だってなんか、好きすぎて…なんでもしたいけど、出来ないんですよ』
 それを聞いた面々が爆笑したのは言うまでもなく、無論笑わなかった良識人や、思うところのあった面子を除いて、八谷が常々受けている近藤のこわーい制裁を痛いほど味わう羽目になったのは、ここで言うまでもない。
 そしてその発端となった昌洙はと言うと、なんともいえない、憮然とした表情で座っていたのだ。
「ああ、ハチさんのいってたやつだな」
「ソーデス」
 掴み合いにも飽きて、星野は昌洙の手を離す。昌洙はあからさまに頬を膨らませ、不満を露にしたが相手にする気はないのか、星野はまた歩き出そうとする。が、ふと離したばかりの昌洙の手に目を戻す。
「おい」
「ナンデスカ」
「お前手袋どうしたんだ」
 よく見れば昌洙の右手にあるはずの手袋はない。指摘されて昌洙はばつが悪そうに、
「オミセニワスレテキタヨー」
 とそっぽを向きながら答えた。星野はしばし悩んでから、すっかり冷え切った昌洙の手を掴むと、自分のコートのポケットの中に押し込んだ。突然のことに昌洙は目を瞬かせていたが、ぱぁ、と表情を輝かせると、にっこり微笑んで星野の隣を歩き出す。
 ザックザック。二つの足音が、暗く静かな町の中をいく。
「おい、そろそろ手を離せ」
「ヤ」
 昌洙は星野の掌を離さない。先に掴んだのはそっちだと、唇をとんがらせて拒否を示す。
「ゼタイ、ハナサナイ」
「人が来たら突き飛ばしてでも離させるからな」
 星野は苦々しいといわんばかりの声で言う。昌洙はむぅ、とまた唇を尖らせた。
 昌洙はホシノが大好きだ。ホシノも昌洙が好きだ…と思う。だけれど、ホシノはそれを周りに知られるのを絶対絶対許さない。
 誰かにはしゃいで飛びつくのは許すくせに(あとで散々怒られるけれど)、ホシノとは手を繋ぐのだって困難だ。
 ぎゅう、とその掌を握りこむ。大きくて、暖かくて、そのくせホシノ自身はつれなくて冷たい。
「ホシノ」
「…なんだ」
「ワタシト、テ、ツナグノヤ?」
「……」
 それ以上は昌洙も言わない、言えない。好きな人は困らせたくない。
 好きだから。それはなんて罪な言葉だろう。昌洙にはあの時の浅香の気持ちがちょっと分かった気がした。
 好きが大きすぎると、好きな人を前にしても何も出来ない。見ているだけでも嬉しいし、触れられれば有頂天。
 でも、本当に好きといって良いのか、触れても良いのか、心臓はいつだって爆発寸前なのだ。
「世界が滅んで、オレ達以外誰もいなくなったら、手でもなんでも繋いでやるよ」
 星野が散々悩んで出した答えに、昌洙は辺りを見渡す。
「ダレモイマセン」
「夜だからな」
「ヒトコヒトリ、イナイヨ」
「雪だからな」
「ジャア、コノママデ」
 指の一本一本まで離さない、と言うように握りこむと、星野は「それこそ小学生じゃあるまいに」と小さく呟き、それでもそれを許したのだった。

 ざくざくと、二人分の足音が、夜の道を行く。
 まるで世界が終わってしまったような静寂と、冷たさが降り積もっていく。
「イマナラキスシテクレル?」
「ふざけろ」
「フザケテナイノニ」
 昌洙は講義をするように頭を星野の方に押し付けた。いつもなら速攻で引き剥がされるそれが、今は軽い拳骨で済まされる。それは多少悔しいけれど、やっぱり嬉しい。
 この多少の幸福感のために、世界が滅んでしまえば良いのに、と考えることは、やっぱり悪いことなんだろうなぁ、と昌洙はぼんやり考えた。

 ホシノの部屋まであと500メートル。
 お願い、カミサマ。
 それまでどうか、世界で二人きりにさせてください。

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ほしかん企画様に寄稿させていただきました。
思ったより難産で見事に大遅刻…!! しかも無駄に長い…!!
浅香のアレなどはとてつもない捏造です。ゴメンよ、浅香。
これからも懲りずに星カンを書き綴っていこうと思います。
最後にこんな素敵な企画を作ってくださったcolza様、ありがとうございました。
来年もありましたら、こっそり参加させていただきたい所存です。
ありがとうございました。
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