「テメェは結局誰なんだ。当たり前の顔して馴染んでんじゃねぇぞ、コラ」
周囲の和やかな空気など欠片も気にせず、つかつか歩いてきた灰色の髪の男は鋭い目付きで吉田に近付き、胸倉を掴む。
座ったままの吉田は急な襲来に、「うぐ」とカエルがつぶれたような声を出した。
「首! 首締まってマス!」
まるで鶏が羽を広げるように両手をパタパタして抗議する吉田。情けない表情で懸命にギブアップを訴えかける。
「……チッ」
「な、何で舌打ち!?」
弱い者いじめをしているような気分を味わい、毒気を抜かれたらしい男は盛大に舌打ちをしてから吉田を離した。
自分で掴みかかっておきながら、不快なものを触ってしまったと言わんばかりの態度である。
いつの間にやら、先程まで陽気にしていた男達までもが黙り込んでしまい、その場に流れる空気は冷たい。
「…………」
睨み付ける視線に、逸らすことも出来ず見つめ合うこと数秒間。
ぐるーきゅるーきゅー
吉田の腹が鳴った。
聞き間違いでは済まされないほどに盛大な音が辺りを包んだ。
「………えへ」
恥ずかしい気持ちと、あまりにも見事な音色に自分で笑ってしまった吉田はヘラッと笑顔を浮かべる。てへぺろ、と音が聞こえてきそうな笑顔である。
「すっげぇ音なった! 今!」
「ありえねぇッ」
黙り込んでいた男達が再び水を得た魚のように腹を抱えて笑い出した。派手な外見を裏切らず、どうやら黙り込むのは得意ではないらしい。
「いいじゃん倉敷。コイツおもしれーしさぁー」
「見ろよ、この人畜無害な顔を」
再び集まってきた群れに囲まれて、頬をプニプニされた吉田は「はい、善良な庶民です」とどこかズレたことを真顔で言い、それがまた周囲を笑い転げさせる。
「自分で言うのかよ」
「なんでドヤ顔」
明るく騒ぐヤンキー達に吉田はキョトンとしていたが、大切なことを思い出した。
「あの……」
遠慮気味に、おずおずと声を発した吉田に当然視線が集まり、その吉田自身の視線を辿る。
そこにいたのは灰色の髪を逆立てた、吉田の胸倉を掴んだ男である。
「俺は吉田卓郎っていいます。堤くん……さっきバイクの後ろに乗って行った子の友達、です」
たどたどしくはあったが、吉田はニコリと笑った。初対面の人と打ち解けるには笑顔が大切、とまでは考えていなかったが、友好関係は友好的な態度から生まれると吉田は日ごろから思っていた。
「俺は友達の付き添いで此所に来たわけで、まぁその友人には爽やかに置いてきぼり食らわせられましたけど……とくかく皆様方の邪魔をする気はなかったんです」
宇宙人を見るような目つきで自分を見下ろしてくる男から、敵意か不信感を持たれているのは吉田も感づいていた。
まぁ、あれだけ剣呑な目付きで見られれば分からない方がおかしいのだが。
「えーと、まぁ帰ります」
しかし吉田としては決してこの場の空気を悪くするつもりではなかったし、なんの悪意もなかった。その点は理解していただきたい、と遅くなった釈明をした。
ジロジロと視線を感じながらも、男にペコリと一度頭を下げてから踵を返して歩き出す吉田。この変な空気は自分が去らない限り終わらないと思ったのだ。
「………待てよ」
「……なんですかね?」
しかし、急に足が進まなくなった。
はてはて、と考えずとも肩を掴まれていることに気付いた。
恐る恐る振り返れば、先程の男が非常に渋い顔をして立っていた。眉間の皺がいっそ見事だった。
「……なんですか。まだ怒ってるんすか? 帰りますよ。ええ帰りますとも」
睨みつける攻撃に対して吉田はあまりに無力だった。
自分の中にいる小人がせっせと白旗を振っている。
顔は何とか男の方に向いているが、足は既に逃げたくて仕方ないといった感に引けている。つまりはヘッピリ腰だった。
「あー……」
低く呻く男に最早成す術もない。一体自分は何をすればいいのか。
極度の緊張から、吉田は両手を何故かクロスして固まっていた。自分なりの防御フォームかもしれなかったが、鬼ごっこ中に「タイム!」と叫ぶ子どものようだとは気付いていない。
「……なんつーか、悪かったな」
「…………はい?」
視線を合わすのは怖いが、逸らすのはもっと怖い。自称多感なお年頃である吉田は目をパシパシとさせて男を見た。
よく見れば、スッとした鼻筋の、怖いがどこか愛嬌のある顔である。
おお、マジマジ見たら、結構な美形だ。
その整った顔でバツが悪そうに、ふいと視線を外した男はどっかりビールケース椅子に座りこんだ。
「ほら」
そして煙草を取り出すと火をつけ、紫煙を燻らせながら吉田に声をかけた。
「…………な、なんでっしゃろか?」
「……普通に喋れ、普通に」
ほら、と言われて意図が分からない吉田はチンプンカンプンと言わんばかりに首を傾げる。
「お、俺をどうするつもりだ貴様! いや貴方様!」
パニックに陥った吉田は傍目にも哀れなほどうろたえていたが、男は一瞥するだけだった。
「座れって言ってんだろ、馬鹿かテメェ」
「……言ってなかったよ、絶対…」
冷たい言葉に急に冷静になった吉田はプライドも何もなくなってしまい、無気力に男の隣に置かれていたビールケース椅子に腰をおろした。
「…テメェ、吉田だったか?」
「……吉田卓郎です。卓郎のタクは電卓のタクです」
ユラユラあがっている煙に吉田は微妙な気持ちになった。大人っぽい風貌の男だが、さすがに成人はしていないように見えたからだ。
「吉田卓郎……か」
「そちらは?」
「あー……倉敷」
一瞬何かを思案する顔をしたが、出てきたのは名字だけだった。
「倉敷さん、でいいんですか?」
「アンタ年いくつだ」
「十六歳。今年高校生になりました」
「………高一? 嘘だろ、そんな小さいクセに…」
「理不尽! 俺別に小さくない! 普通! バリバリ普通だからッ」
信じられないような目で見られても、信じられないのは吉田の方だった。百七十センチほどの身長は、年齢的には至って普通である。現に春の身体測定ではクラスの中で丁度真ん中だった。
理不尽に嘘つき呼ばわりとは納得がいかず、吉田は大声で抗議した。
「……俺は十五。アンタのが年上らしいな……見えねーけど」
「……つまり中三?」
「ああ」
「うっそだぁ! こんな厳つい中学三年生存在するわけないじゃん! こぇーもん! 顔こぇーもんッ」
今度は逆に理不尽なことを言う吉田。人間とは自分の中の常識に囚われる生き物なのである。
吉田より十センチほど高い背丈。大人びた容姿。鋭い目つき。
それで中三とか、詐欺だ。と吉田はひとり言のように漏らした。
指を差しながら懸命に訴える吉田に耐えきれなかったのは倉敷ではなく、周りのモブと化した男達だった。
「灰慈だっせー!」
「やっぱお前老け顔じゃん!」
ギャハハハと笑いまくる周りに焦りながら、吉田は「俺勝った…?」と首を捻る。
「つーか倉敷君は灰慈という名前なのだね」
「……」
自分の方が年上と分かり、やや調子に乗りだした吉田は耳にした言葉に得意顔になった。憎たらしい語尾に倉敷がピクリと反応する。
「灰慈ってハイジ? 口笛が遠くまで聞こえちゃう感じ?」
倉敷の肩に手を伸ばし、吉田は強引に組んで親しげな声をかけた。さきほどまで怯えていた相手に躊躇いなくこういうことができるのが吉田が吉田である所以である。
「調子にのんなよ、卓郎先輩? あぁ?」
世界の名作的な作品に登場する少女と同じ名前である倉敷は、やはり名前がコンプレックスな年頃らしく。
ニマニマする吉田の頬を引き千切らんばかりに摘んで引っ張った。
「いだいっ!! ハイジ痛い!」
「テメェわざと発音そっちにすんじゃねぇよ」
またしてもそれを見た周囲が笑い転げるのも気にせず、二人は子どものような喧嘩をするのだった。
路地裏の邂逅
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