「堤くんってクリスマスはどう過ごすの?」
「……なに、急に」
晴巳が鞄に教科書を詰めていると、掃除当番の吉田が箒を持ったまま尋ねてきた。
「いや、なんとなく」
「……別に普通に過ごすけど」
一応教室のゴミを集めていると見せかけているが、実際は大して掃除する気がない吉田の手元はなかなかいい加減である。
「やっぱりあの人とチキン食べたりするよね……」
「いや、今夜は湯豆腐だけど」
「和風クリスマスか、ちくしょう見せつけやがって」
今日はクリスマス・イヴだった。人によって捉え方は色々だが、多くの日本人が信心に関係なくチキンとケーキを消費する日である。晴巳はどうやら少数派なようだが。
今年のカレンダーは終業式とクリスマス・イヴが被っているため、学校は休みでもなんでもなく、晴巳にとってはこれといって特別な日でもなかったのである。
「……何か嫌なことでもあったの?」
全く吉田の言いたいことが伝わってこないので晴巳は首を傾げた。吉田の脈絡のなさには随分慣れた気がしていたが、まだまだだったようだ。
「いくら掃除が嫌でも当番なんだからサボっちゃだめだろ?」
晴巳たちのクラスは担任が適当なため、長期休み前の大掃除というものがない。普通の掃除当番がいつもより少しだけ丁寧に掃除をすることになっているだけだ。
冬休みを前にその当番が回ってきたことが悔しすぎて頭がどうかしたのだろうかと晴巳は失礼極まりないことを考えていた。
「……誰も掃除のことなんか問題にしてないの!」
予想通りだったが、吉田は勢いよく否定した。
「へぇ、じゃあ何が言いたいわけ?」
一旦鞄に教科書を詰める作業を中断して問うと、途端に気まずげに顔を逸らす吉田。珍しい反応だった。
「……今日の晩、泊めてほしかったんだけど」
この後に特に急ぐ用事も入っていなかった晴巳はゆっくり吉田が口を開くのを待っていた。なんとなく茶化すのも憚れる空気を感じた晴巳はそれなりに人の機微に聡い方である。
「……でも和風クリスマスを楽しんでるところにお邪魔はできないし、ね」
「いや、別に来ればいいんじゃない?」
妙に口ごもったわりに内容はそれほど深刻ではなかったので晴巳は小さく息をついた。様子のおかしい吉田に少し緊張してしまったのが勿体ない気分にすらなった。
「夕飯は一真の家で食べる予定だけど、九時くらいなら俺家に戻れるし。そこからでよければ泊めれるよ?」
晴巳の両親は仕事の関係で長期出張中であり、急に友人の一人を泊めることに大きな問題はなかった。兄がいるので完全な一人暮らしというわけではないのだが、その兄も大学が忙しいらしくあまり家におらず、周囲の高校生と比べて随分自由気ままな生活を楽しんでいられるのだ。
「そんな……いいよ、折角のクリスマスなんだし、楽しんどいてよ」
「吉田くんはクリスマスに夢見過ぎだよ。俺、キリスト教徒でもないし、特別なことなんかしないからね?」
今更何か訳がありそうな吉田を放り出す気にはならなかった。
どちらかというと友人に微妙な気を使われて晴巳は恥ずかしくなった。赤いだろう顔を隠すように頬杖をつく。
「本当に吉田くんって意外に律儀だよね」
考えてみれば吉田はこんな感じだったような気がした。
慎ましい性格といえば響きはいいが、今現在に限っては面倒だった。
晴巳はカーディガンのポケットから携帯電話を取り出し、メールを送った。実に二十秒ほどの早業だった。
すぐに来た返信メールに更に返信すること数回。メール相手は筆まめ、ならぬメールまめ人間らしくすんなり話はまとまった。
これで一安心だ。
「校門まで迎えにきてくれるって」
「………ほわっつ?」
「ナイスリアクション」
晴巳が携帯電話で作戦会議している間、吉田は一応掃除に取り組んでいたらしく、使い終わった箒をロッカーに戻すのを確認してから晴巳は携帯電話の画面を見せつけた。
「おう?」
素っ頓狂な声をあげた吉田が晴巳の携帯電話を奪い取ると、両手がガシリと掴んで覗き込む。何度読んでも文面は変わらないだろうに何度も確かめている。
見事に「混乱しています」と全身で表現するところが面白く晴巳は腹を抱える勢いで笑った。携帯を乱暴に扱われて一瞬頬を抓ってやろうかとも思ったが、随分面白いリアクションを見せてくれたので許してやることにした。寛大な措置というやつだった。
「これ、沢地さん…? 沢地さんですよね!?」
「ん、今日泊めてくれるってさ、一安心だねぇ」
ね、といい笑顔を見せた晴巳は思い出したように教室の時計を見た。そろそろ夕飯の買い物をして帰らなければならない時間だった。
「じゃ、よいお年を」
「ちょっと待てぇい!」
全てのミッションはコンプリートされた。だからもうここに用はないし、タイムサービスの時間も迫っている。
颯爽と去ろうとした晴巳だったが、肩をグイッと掴まれて進行を阻まれた。
「何?」
感謝の言葉でも言われるのかと思えば、吉田はわなわな震えだした。と思えばカッと目を見開き晴巳の肩を今度はユッサユサ揺らす。
「馬鹿! 何で沢地さんにそんなこと頼むんだよ」
「だって俺の家に不満があるようだったから」
「不満じゃなくて…! っていうかだからって何で沢地さんに迷惑かけるようなことをっ」
至近距離で叫ばれ、耳が痛む。どこにそんな力があるのか分からないほどの馬鹿力で掴まれた肩もなかなか痛い。
「だいじょーぶ、だって!」
だって! のところで力を込めて晴巳は身体を捻って吉田を振り払う。ほとんど暴漢相手の対処方法だった。
「…クリスマスなんだぞ」
「だから?」
「……デートとかパーティーとかあったら迷惑極まりないじゃん!」
わりとあっさり離れた吉田は、手持ち無沙汰なのか今度は自分の制服の裾なんかをいじりながら、上目づかい気味に晴巳を睨んだ。
「そんな迷惑は……かけたくない」
アヒルみたいな口でボソボソと聞き取りづらい言い方だったが、一応吉田の主張したいことは把握できた。晴巳はうむ、と頷いた。
「沢地さん、ウェルカムしてたから大丈夫。もうすぐ正門着くらしいから」
大丈夫だって、あの人かなり喜んでたし。わざわざ迎えにくるのも苦じゃないくらいのハシャぎっぷりだよ?
晴巳の考えはさておき、何が心配なのか、吉田は眉を見事な八の字にして俯いた。
「吉田くんって損な性格ていうか、いじらしいっていうか……苦労すんね」
それなりにとぼけた面も多々あるけれど、俺の友人には勿体ないくらい優しくて気遣いができる人間だな、とやけに真面目に考えてしまい、晴巳は少し恥ずかしくなって顔を逸らした。
「……いいのかなぁ」
顔は上げないまま、とても小さな声だった。
「いいよ。俺が許可しよう」
「はは、なんで堤くんが許可できんのさ」
「できるもんは、できる」
「…信じるよ?」
「信じろ」
「えらそうなんだからぁ…」
苦笑混じりだったが、やっと笑った吉田の脳天に晴巳は手刀を落とした。激励的な意味を込めていたが、吉田は「ぐぇ」と悲鳴らしき声を上げた。
焦れったいなぁ、もう
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