「……そんな俺家に入れたくないかよ」
吉田が目に見えてあたふたしていると、倉敷が吐き捨てるように呟いた。
「はぁ…? そんなことはないけど」
「……けど、何だ?」
倉敷の声はどこか力なく、真実はさておき、なんだかしょんぼりしているように吉田には聞こえた。
「……灰慈が、俺と居るの嫌なのかなって」
あ、違う。
言うつもりのなかったセリフがなぜか漏れて、吉田は顔青くした。これではしょんぼりしているのは自分の方だと、なんとか誤魔化そうとするものの何も言葉が出てこない。
「……」
「あ、あはは。で、答えは沈黙ですか」
「…嫌っつーか、苛つくのは確かだな」
「うっそ、本人を前に普通言っちゃう!?」
ガビーンと漫画のように白目を剥きそうな顔でショックを受ける吉田。
倉敷はそんな吉田を満足そうに見ると、小さく笑った。
「もう話はいいから早く家入れろよ。いい加減寒い」
「……何で偉そうなんだか」
何でそんなに自宅に上がりたがるのか吉田にはさっぱり分からなかった。苛つくクセに。と口には出せないが非難の気持ちもある。
ムッとする事は多々あるけれど、
「じゃあどうぞ、何もないとこですけど」
と言う以外に吉田には何もできなかった。
「………」
部屋に倉敷を上げて吉田がまずしたのは、お客様用湯呑みではなく、吉田がまだ幼い頃に使っていたキャラクター物の湯呑みに緑茶を淹れることだった。
大変小さな復讐を倉敷は気にする様子もなく、壁に凭れて座っていた。立てた膝に肘を乗せてだらんとしている。
「……」
「……灰慈さ」
「……」
堅苦しい空気に吉田は自発的に正座になっていた。自室なのに全く寛げず、謎の居心地の悪さを味わう必要性がよく分からなかった。
「……楽しい?」
ポツリと。本当に純粋な疑問だった。
「……卓郎」
「……ん?」
倉敷が湯呑に手を触れようともしないのを横目に、吉田は自分用に淹れたお茶をズズッ飲んだ。温かい緑茶に少し気分が落ち着いた。
「……」
倉敷が口を開いたが、口ごもる。言いにくそうに、モゴモゴと何度も。
「………」
自然と吉田の体が強張った。それもまぁ、丁度良かったといえば、丁度良かった。
倉敷の途切れ途切れの言葉を待つだけの身分としては、じっとするしかなかったからだ。
このタイミングを逃したら、大袈裟かもしれないが、二度と倉敷が口を開かないような気がした。だから吉田は身動き一つせず、じっと待った。
「…………俺は別に、おまえンこと嫌いじゃねぇ」
ボソッと独り言のようだった。低く、抑揚のない声。
横目で見た倉敷は、立てた膝に肘を置いて、誰もいない空虚をぼんやり眺めていた。
場違いにも、それがやたら格好良く見えた吉田は、「疲れてんのかな、俺」と一人ごちた。
「……ん?」
余計なことに気を取られていたせいか、反応が遅れた。倉敷の予想外の言葉を脳が上手く処理できなかった。
「馬鹿だし、物分かり悪いし、趣味悪いし」
「……二百歩くらい譲って馬鹿とかはスルーできるけど、趣味悪いってどういうことかな、灰慈くん」
吉田は俗に言う体育座りで、譲れない点に意義を唱えた。なるべく倉敷が話終えるまで余計な口は挟みたくなかったのだが、絶対に譲れないこともあるのである。
「あの人……沢地、さん……とかに懐くし。マジ有り得ない趣味してんじゃねーか」
「懐くっていうか、友達なんだけどなぁ沢地さん……というか、何でそんな沢地さんを目の敵にするかなぁ」
沢地のことを語る倉敷の目は結構怖く、吉田は戸惑った。
「そんなこと言って、それなりに沢地さん好きなクセに」なんてからかおうものなら捻り潰されそうな雰囲気すらある。
「……すっとぼけた思考回路してやがるし」
「それにも同意できないかなぁ」
「子どもみてぇにすぐ寝るし」
「それは一晩の過ちですからなぁ」
散々な言われ様に吉田の頬がひきつる。
「灰慈ったらツンデレなんだから!」などとポジティブシンキングできれば良かったのかもしれないが、今の吉田にはそこまでの余裕はなかった。
ちらちら窺うように倉敷を見て、本心を探るしかない。
「………気に入らねぇとこもあるけど、別に嫌いじゃねぇ」
「…分カリマシタ…了解デス」
「何でカタコトなんだよ」
一瞬聞き間違いかと思い慌てて吉田が凝視した先には、中学生とは思えないほどスラッとした体格の倉敷が拗ねた子どものようにムスッとした顔で座っていた。
思わず、口元がニヤついたのも仕方がないことだった。
なんだ、俺、そんな嫌われてなかったじゃん。余計な心配すんじゃなかったなー、と頭の中は即お花畑へと変わっていく。吉田は実に単純だった。
尖った倉敷の声とは反対に、その姿は可愛らしいといっても差支えがなく、吉田はきゅんと胸をときめかせた。涼しい顔して、耳が真っ赤だったのである。
「テメェ、笑ってンじゃねーぞ」
「ぷぐぐっ…! 元からこんな顔なんだよ、ごめんねー」
「……シメる」
「ふぎゃああ!」
「なんだその声」
「素人相手に関節技はよくないよ、うん」
「……そんな痛かったか」
「いや、そこまでは痛くないけど」
「……ンだよ、ならそんな情けない声出すんじゃねぇ」
「あら、灰慈ったら心配してくれちゃった………痛い! 痛いってば!」
すぐに調子に乗るところは吉田の長所でもあり短所でもある。ニヤニヤとした顔で倉敷をからかおうとして、あっさり反撃を食らった吉田は涙目で降伏を訴えた。
「よし、灰慈、友情の記念に一杯やってくか!」
「……は?」
「うわ、温度差が切ない!」
全面降伏にやっと倉敷の関節技から解放された吉田は元気一杯に宣言した。
「ほら、今ここに友情が芽生えただろー?」
「………」
「無言とは肯定なんだろ、灰慈くん」
「そのノリがウゼェ」
ふはは、分かっているよ。その可哀想な目を向けてくるのも全て俺と仲良くしたい不器用な灰慈なりの合図なんだろ?
先ほどまでのギクシャクした空気から解き放たれたのがよほど嬉しいらしく、吉田は最早誰にも手がつけられないほど浮かれていた。
「まぁ一杯っていっても、コーラだけどね」
「コーラかよ」
「お酒は二十歳になってから……というか、うちの家にアルコール置いてないからさ」
グラスに氷を適量入れ、そこに冷蔵庫から取り出したペットボトルの中身を注ぐ。
「暴れまわったから喉乾いただろ?」
「茶が残ってっけどな」
「乾杯にはお茶は力不足ですよ、灰慈さん」
見慣れたフローリングに座り込み、グラスを掲げる。ちょっと困り顔の倉敷にも強引にグラスを持たせた。
「乾杯!」
「……だから、何のだっつーの」
「俺達の友情?」
「……恥ずかしいヤツだな、卓郎」
「なんも恥ずかしいことなんかねぇ!」
がきん、とグラスが音を立てる。つーんとした炭酸が鼻に集まるのに吉田は笑った。
その後、灰慈は素敵な笑顔でプリンを食べてくれました
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