「もしかして灰慈くんったら俺に構って欲しかっ……いでで!」
苦虫を噛み潰すような、という表現がぴったりなぐらい苦渋に満ちた表情を浮かべた倉敷に、吉田は閃いたかのような顔になった。電球マークが頭の上に浮かびそうなぐらいのハッとした顔でだった。
本人としては、軽口のつもりだったのだろう。ニヤニヤとした笑みを浮かべてる。
が、倉敷にすれば不愉快な台詞が吉田の口から飛び出してきたことに対して否定したい気持ちと、否定できない気持ちの両方に挟まれて、押し黙るしかない。
しかし大人しく出来るはずもなく、ムスッと口を閉ざして、眉間に深い皺を刻みながらも攻撃を開始した。
片頬を力一杯捻る。
標準的な同い年の少年より、ずっと逞しく育った倉敷の握力はヒョロヒョロの吉田からすれば兵器に等しかった。
「む、無言で抓るなよ…!」
「……」
ぺしぺしと倉敷の手を叩いて、漸く解放された吉田は真っ赤になった頬を押さえると涙ながらに訴えた。
倉敷はそんな吉田を黙って見ていた。
小動物を彷彿させる、くりくりした目。
表情豊かな顔。
だらしなく現在進行形で半開きな口。
「……」
「な、なんだよぅ…」
凝視すれば、突然頬を捻られた相手だというのに、あっさり威圧される吉田。ビクビクと倉敷を不安そうに見つめ返す瞳が揺れていた。
「…………はぁ」
「突然の溜め息!?」
倉敷は長い沈黙の間、どうして珍獣である吉田がこんなに気になってしまうのかを考えていた。
そして、当初の「まさか」の結論に幾ら考えても行き着いてしまうことを長らくの葛藤の末、渋々認めた。
「くそ、灰慈のクセに生意気な! ほっぺた抓るわ、溜め息つくわ、失礼にも程があんぞ!」
倉敷の葛藤やその末の答えなど知るはずもない吉田はぷんすかと怒りを露わにした。相変わらずの子ども染みた仕草だった。
「いだっ」
詰め寄るように倉敷の胸倉を掴もうとした吉田だったが、触れる前に倉敷にあっさりはたきおとされる。実に軽いあしらい方だった。
「ちょっとぐらい手加減しろよ! 後輩なら黙って技の一つや二つかけられろよな」
ある意味正論のような、実は全く違うような、吉田らしい物言いに倉敷は眉間に皺を寄せて舌打ちした。
「触んなよ」
「接触すら拒否!? 冷たい!」
嗚呼、どうして言えようか。
側に来られると、落ち着かないなどと。そしてそのクセ側に居ないと苛々するなどと。
自分で思いながら、うすら寒いものを感じて倉敷は鳥肌の立った腕を摩った。
キャラがブレた自分を笑えばいいのかもよく分からなかった。
「おのれ、ラリアット食らわせてやる!」
「はいはい、落ち着け卓郎」
陽気でめげない吉田は再び騒ぎ出し、倉敷の周りをぐるぐる回って威嚇するように唸り声を上げた。それを子どもを相手にするように軽く宥めながら、倉敷は心の中で溜め息をついた。
全く何も気付かない吉田に、でもまぁ気付かない方がいいかと複雑な思いだった。
「…………んー、何か眠くなってきた」
散々騒いだ後、突然吉田の声のトーンが下がった。分かりやすく眠気を訴える、パシパシとした瞬きを繰り返す。
「そりゃあんだけ騒げばな。疲れるだろうな」
対する倉敷も深い溜め息をついた。
実年齢はまだ十分子どもな自覚はあるが、吉田に乗せられて程騒ぎ立ててしまったのが随分子どもっぽかったと後悔の念が湧いてきたのである。
倉敷はコンクリートの地面に座り込んで、ビルとビルの間から僅かに覗く月を見上げた。雲のない暗闇に細い三日月が浮かんでいた。
ぼんやり濃紺の空を眺めながら、再び溜め息。ひんやり、というより肌寒い気温に腕を組んだ。
「卓郎、そろそろ帰った方がいいんじゃ……」
ポケットから携帯電話を引きずりだして時間を確認すれば、高校生が徘徊していれば補導されるような時刻を軽々回っていた。
自分のことなどどうとでも出来るが、不良だとか素行が悪いだとか、そういう煙たがられる人間とは縁遠い吉田のこととなると話は別だ。
倉敷は自分の中にそんな親切心のようなものが存在していたことに微かに驚きながら、隣で沈黙している吉田に声をかけた。
が、
ぽす。と軽い音と共に肩に柔らかな重み。
「たく、ろ」
「……」
一瞬何が起こったか分からなかった。肩に圧力がかかっているので下手に身動きが取れず、首と目だけ動かしてみれば黒っぽい塊が見えた。
そして黒い塊から白い首が生えており、ようやく倉敷は肩に寄りかかっている重みの正体が吉田であることを認識した。
随分間の抜けた思考回路を展開したのは、今まで経験したことのない事態にこれでもかと戸惑ったせいである。
ポカポカ暖かいそれは少し柔らかく、不意に胸が高鳴った。途端にそんな自分が気持ち悪くて笑ってしまう。
「………うへ」
「……寝んなよ、人の肩で」
だが、だらしない寝言と気持ち良さげな寝息が聞こえてきたので倉敷は正気に戻ることができた。
「おい卓郎、起きろ」
自分の肩で本格的に寝に入ったらしい吉田に倉敷は脱力の声を上げる。
別に何かを期待したわけではないのだが、面白くない気持ちもあることはあるわけで。
すーすー寝入る吉田に段々腹が立ってくる。
一体何故腹を立てねばならないのか、答えは至極簡単だったのだが素直に認められるほど大人ではなかった倉敷は無言で奥歯をギリギリするしかなかった。
ささやかな嫌がらせとして、吉田が枕にしている己の肩を小刻みに揺らしてみる。本当にささやか過ぎる嫌がらせだった。
「んー…ぬー…」
露骨に魘され始めた吉田に軽い達成感を味わった倉敷だったが、後悔するのは二秒後だった。
「…―んげぇ」
最早寝言とは思えない、潰れたカエルのような声を出すと、吉田の頭が肩から滑りだして倉敷の投げ出した膝に落ちた。
頭がコロンと乗っかった膝はわりと痛かった。
しかし吉田には全く目覚める気配はない。
「………」
今度は吉田の膝を枕にぐっすり寝入る吉田。服の端を掴んでくるというオマケつきである。
明らかに事態は悪化していた。
「あれ、そろそろ帰んねーの、ハイジ」
「だからハイジって言うなって……見たら分かんでしょ、コイツのせいッスよ」
どうやら吉田が眠りについている間に、たむろしていた面子は今日はそろそろ帰りましょうか、という運びになっていたらしい。いつの間にか溜まり場には人気がほとんどなくなっていた。
その帰りかけの連中の一人が、未だコンクリートにべったり座り込む倉敷と、その倉敷にべったりくっつく吉田を見つけ、面白そうな声を出した。
「うわー、ヨッシー可愛いーね」
「目、腐ってるんすか?」
「お前なー、先輩に対する言葉遣いがぞんざい過ぎるぞー」
ダラダラと語尾を伸ばして喋るのは、倉敷より二歳上で、沢地と同い年の藤川という名の少年だった。
眩しいオレンジに染めた髪がトレードマークだが、薄暗い路地裏ではあまり目立たず、どちらかというとシンプルな服装と相俟ってわりと一般人のように見える。
しかし喧嘩っ早さは天下一品と仲間内からは称されるヤンチャな少年であるが、そんなことは倉敷にはどうでもよかった。ダラけた口調で話す一応年上の人、ぐらいの認識しかないのである。
「えー、ヨッシー普通に可愛いじゃん。小動物みたいでこう……苛めたくなる感じで」
人好きする顔から一変、猛禽類のような笑みを一瞬浮かべた藤川。
「……藤川サン、そーいうマニアックな趣味にはちゃんと対応する資質ある人を選んだ方がいいッスよ」
「普通のヤツを俺色に染めるのが楽しいんじゃん」
「変態かよ…」
「否定はしないね」
「………」
「じょーだんだよ、じょーだん」
年下の運命と言えばそれまでなのだが、たむろしているメンバーの中で一番年下の倉敷はいつもこのような扱いを受けていた。
澄ました顔のわりに、知らず知らずの間に要求されるリアクションをかましてしまうのが原因なのだが、本人には残念ながら自覚はない。
「送ってってあげなよ、家分かる?」
「わかんねぇ」
「なら地図書いてあげる。俺前に沢地から聞いたから知ってるしー」
げんなりする倉敷にお構いなしの藤川は都合良く持っていたマジックで地図を書いた。それも倉敷の手の甲に。
「紙に書けって、何考えてんだよ、藤川サン」
「いいじゃん別に」
強引に手を取られ、気付けばキュッキュと書かれた地図。本気で抵抗できなかった原因は未だ膝で眠っている吉田である。
「……めんどくせぇ」
「なら俺がヨッシー連れてっていい?」
「……」
「じょーだん、じょーだん。明日も学校なんだから早く連れて帰ってあげてねー」
先ほどの軽口が引っ掛かり、提案に頷けない倉敷が睨むように藤川を見る。
そんな倉敷の様子に肩をすくめた藤川は軽く手を振るとバイクに跨り颯爽と行ってしまった。
その場に残されたのは、一人のヤンキーと幸せそうに眠る少年だけだった。
結局、一時間背負って帰りました
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