教えてください神様、 | ナノ




夢と現実の狭間にいるみたいな、そんな浮ついた気分だった。

「……っ」
「もしかして足痛い?」

しかしその浮ついた気分のせいで、いくつかの重要な事柄を見落としていたことに沢地は気付いて顔を青くした。
隣を歩く今し方友人になったばかりの吉田。その歩き方は片足を引きずるようで、ぎこちないものだった。更に顔も僅かながら引きつっている。

原因は膝の怪我に決まっていた。
ほとんど自分のせいだというのに完全に忘れていたことに沢地は焦った。裏路地から少し明るい通りに出たので痛々しい傷がよく見えている。それまですっかり忘れていた愚かな自分を叱咤したい気分だった。

「大丈夫です、全然痛く−アウチッ!」

沢地が気落ちしていることを察知したのか、吉田はブンブン首を横に振ると、力一杯その場で軽く跳躍して「痛くないアピール」を開始した。
が、痛くないはずはなく、顔を歪めてなぜか欧米風な苦痛の声をあげる。

「……おんぶ、でいいかな」
「え?」

タクシーを使うことも考えたが、金曜日の夜にすんなり掴まえられるかどうかが分からないため、沢地は徒歩での帰宅ルートを脳内で組み立てた。
一刻も早く膝の怪我をどうにかしてやりたかったのである。

「俺の家、ここから近いからとりあえず来なよ。膝、手当てしないと」
「いえいえ、本当に大丈夫ですってば。唾つけとけば治ります!」
「そんな古すぎる民間療法じゃ無理だって。唾液の殺菌成分なんて信用しちゃダメだよ」
「……お世話になります」

バイクは溜まり場に置いてあるが、ここからそこまで戻るよりも自宅に行った方が少しは近いと沢地は判断した。
遠慮する吉田をどうにか言いくるめ、なんとか頷かせることに成功した沢地はその場にしゃがみ込んだ。

「じゃあ乗って」
「な、何にですか?」
「いや、背中に決まってるよね、おんぶなんだから」

背中を向け、乗るように促したが吉田は目を見開いて後ずさるばかりだった。

「そ、そんなこと沢地さんに頼めませんよ!」

あっさり嫌がられて、沢地は内心説明のつかない微妙な気持ちになった。単なる恥ずかしさからくる拒否かとも思ったが、それだけではないような態度に沢地の顔が曇る。

「吉田くんが嫌っていうなら無理にとは言わないけど……」
「だ、だって親父にもおんぶされたことないのに!」

のにー
のにー…
のにー……

顔を赤らめながら、叫んだ吉田。その声は夜の街にびっくりするぐらいよく響いた。なにかのアニメで聞いたことのある台詞っぽく、高らかに。

「……ぷ」

通行人がすれ違いざまに吹き出したのが聞こえた。堪え切れず、といった様子で慌てて去っていったが、残された沢地と吉田の心境は微妙なものである。

「……」
「とりあえず大人しく乗ってくれる? そして可及的速やかに帰ろう」

沢地も若干顔を赤くしていたが、吉田はその比ではなかった。
熟れたトマトのように真っ赤な顔で一度コクリと頷くと、それからは無言で大人しく沢地の背中に負ぶさった。

「違うんです別にガで始まってムで終わるロボットアニメにとても詳しいとかそんなんじゃないんです」

沢地の家に着くまでの二十分ほどの間、吉田はずっと釈明のようなことを呟き続けていた。
それほど大きい声ではなかったものの、おんぶという体勢のおかげで鼓膜に突き刺さるようだったが、沢地は文句一つ言わなかった。

「むしろ俺はどちらかというと戦隊ヒーロー育ちといいますかだからあれは違うんです」
「うん、分かったから。分かったよ、吉田くん」

人目を避けるためにわざわざ人通りが少ない道を選んだが、注目度は抜群だった。
時折すれ違う人は皆不思議そうな顔で見てくる上、その中には顔見知りも含まれていたが、実はあまり気にならなかった。

「もうやだほんとおれはずかしい!」

沢地の肩を遠慮なくバンバン叩いてきゃーきゃー言う吉田。

恥ずかしいのはむしろ沢地の方だったのだが、だんだん愉快になってきてしまい、最終的にはゲラゲラ笑い出してしまった。
そのため背負う方はゲラゲラ笑っていて、背負われる方は謎の奇声を発している、などという通行人してみれば目を逸らしたくなる光景が完成してしまったのだが、沢地には些細なことだった。








「はい、到着」
「どーもです。あ、下ります」

長い道程を経て、ようやく沢地の自宅にたどり着けた。
ネオン輝く表通りから一本入ったところにある、どこか場末な空気が漂った古いアパートである。

沢地が慣れた足取りで錆の浮いた鉄筋の階段を上ろうとした時、吉田が背中を叩いて合図をした。
一キロ以上人一人を背負いながら歩いてきた沢地の体力は結構削られていたので、実際のところ吉田を背負ったまま階段を上るのは厳しいものがあった。

沢地は素直に背から吉田を下ろし、一足先に階段を上って鍵を開けた。
玄関の扉が閉まらないように身体を挟むように立っていると、ひょこひょこと片足を使わないように跳ねてきた吉田君が追いついた。

「誘っておいてアレだけど、すんげぇ汚いから」
「く、靴凄い数ですね」

狭い玄関に広がる靴を見て吉田が驚きの声を上げた。そのほとんどがヒールの高い女物の靴である。

「俺の母親、靴がほんと好きみたいで。ごめん、もう踏んでくれたらいいから、それ」
「いや、そんなわけには……」

玄関を上がると板間になっており、すぐに台所がある。その奥は畳の部屋が襖で二つに仕切れるようになっているが、見た目は一つの和室である。

「とりあえず適当に座って? 邪魔なモノは適当にどかしてくれていいから」

改めて部屋を見渡してみれば、あまりの惨状に沢地は自分でも少し引いた。物が散乱しすぎて雑多な感じが拭えない。

「……この女性物の見ちゃいけない物の類いは…」

ひとまず沢地は薬などが仕舞ってあるはずの棚を探っていたが、切れ切れな声で訴えられたので振り向いた。

そこには母親の衣服が散乱し、挙句下着類まで畳の上に転がっており、その横で吉田が気まずそうに目を逸らしていた。

「ごめんね吉田くん、母親本当片付けられない人でさ」

友人に母親の下着を見られるとは苦痛以外の何物でもない。いや、この場合は吉田くんの方がダメージが大きいか、と沢地は頭を抱えたい気分だった。

「お、お母様随分派手な……いや! 何でもないです、俺は何も見てません!」

適当に押し入れから引きずり出した掛け布団を危険と思しき一体に被せ、沢地は再び棚の捜索に戻る。

「……母親、水商売してるから。服とか靴とか無駄に一杯あんの。全部貰い物らしいけど」
「それはお忙しいようで……」

沢地はやっと発見した薬箱を持って吉田の正面に座ったが、その目は不自然なまでに泳いでおり、戸惑いが見てとれた。

「……幻滅した?」
「…っ」

濡らしたタオルで傷口を拭けば、吉田が小さな呻き声を上げた。

「ごめん、痛かった?」
「平気です……」

あまり平気そうな声ではなかったものの、傷口を清潔にしないことには手当てもできない。
沢地は出来るだけ丁寧に砂などを拭い落としていった。

「幻滅って何にですか」
「ほら、吉田くんがさっき言ってたヤツ。師匠はキラキラしてる、とかゆう」
「師匠はキラキラしてますよ」

吉田君はそう断言した。

「こんな汚いアパートに母親と二人暮らしだよ?」
「生活感のある、楽しい家じゃないですか」

沢地は母親にも今の生活にも不満も持っていなかったが、なんとなく吉田からどう思われるのかは気にかかった。
どうも格好いい先輩といったイメージを持っていてくれているようなので、それを壊すのは好ましくないとも思った。馬鹿みたいな見栄だとは思ったが、率直にそう感じたのだから仕方ない。

「……ズボン脱いで貰える? ガーゼ貼れないし」

吉田のジーンズの膝部分はいっそ見事と思える程に破れていたので今まで手当てできていたが、さすがにガーゼを貼るには邪魔だ。
かといって、これ以上破れた穴を意図的に広げるのも何か違うだろうと沢地は判断した。

「あ、はい」

座ったままベルトを外して、吉田がジーンズを脱ぐ。

露になった傷口は顔をしかめたくなる程に痛そうで、沢地はできるだけ丁寧に消毒液をかけ、上からガーゼを貼った。

「……沢地さんがキラキラしてるのは」

ひとまずの手当てを終え、道具を箱にしまっているとボソリと吉田が呟いた。
のろのろ穴の空いたジーンズを履きなおす吉田の顔は俯いており、沢地にはその表情は掴めなかった。

「沢地さんが沢地さんだからであって、それは全部ひっくるめて、凄いんだと思います」

小さな音量のわりに、口から出てくる言葉は澱みなかった。

「沢地さんは格好良くて優しくて時々面白くて、俺の自慢の友達、ですよね?」

そう言って吉田が顔を上げて、ちょっと照れたように笑う。
普段からどちらかというと温厚な顔立ちだが、こうやって静かに笑うと華やかな空気が出ると沢地は思った。

「聞くの? それ」
「だって俺の一人相撲だったら切ないじゃないですか」

こうも、暖かい気持ちになれる笑みを見たことがない。
初めての感覚は、戸惑うことも多かったが心地がよく、沢地もつられて笑みを浮かべる。

「うん、吉田君は俺にとって愉快で楽しくてちょっと抜けてて、最高の友達だよ」
「うへへ、沢地さんたらキザですね! 俺照れちゃいますよ……でも、抜けてるはちょっと傷つきます」
「じゃあうっかりさん?」
「……それもちょっと」

ぶぅ、と音がしそうな勢いで膨れる吉田の頬が面白くて、沢地はまた笑った。






あったかいきもち

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