8 (逆)夏休みデビュー





「で、それは一体どういうことなの」

まるで刑事による取り調べのようだと呉は思った。同時に巷で有名な圧迫面接という単語も脳裏を過る。
冗談でも何でもなく、そういった類いの緊張感がそこにはあったのである。

「…………髪のことか?」

今にも胸ぐらを掴まれそうな気配を察し、呉は必死に思考回路を巡らせる。
「それ」という指事語が一体何を指すのか、懸命に考えたところ心当たりと言える物は一つしか浮かんでこなかった。

短い髪の先を親指と人差し指で摘まみ、「これか?」と首を傾げてみる。
硬質で癖のない、少し傷んだ黒髪が蛍光灯に照らされていた。

ごくりと、誰かが喉を鳴らした。
六人が掛けられる長机には同木、舟渡、越川が並んでおり、呉は彼ら三人の正面に座っていた。
バランスがおかしい、とは思うもののそんなことを口に出来る空気でもなく、呉は居心地悪そうに身動ぎする。実際、三人から真っ直ぐすぎる視線を向けられるのは抜群の居心地の悪さだった。

「一体何がくれちょんをそこまで駆り立てたの……」

ガタガタと骨董品のような年代物のエアコンが外気温よりかは幾分涼しい風を送り込む音が室内に響く。静まり返った図書室の中でその音はやけに大きく聞こえた。

「……一体、何があったというんですか呉くん」

決して勉強熱心というわけではなかったが、公立高校の図書室らしいノスタルジックな雰囲気は呉にいつもならある種の和みを与えてくれるのだが、まるで取調室か法廷にいるかのような気分ではそれも半減というもので。

「……いや、普通にバイトしようと思ったら、金髪が、引っ掛かったから……」

しどろもどろだった。
言葉数こそ少なくとも、はっきりとした物言いがデフォルトの呉とは思えないほど辿々しい言葉だった。
まるで親に叱られた幼い子どもが少ない語彙なりに自己弁護しているかのようになってしまっているが、本人にそんな自覚はなかった。必死である。

「ばいと?」
「聞いてないんだけど?」

舟渡のやけに平仮名な発音は「バイト=アルバイト」という単純明快な等式があまりに自分と縁遠く、瞬時には導けなかったからなのだが、呉はそこまで理解できずに不思議そうな顔をする舟渡をスルーした。
呉にとってもっと大きな問題は、先程から恋人の浮気疑惑をえげつない角度から非難するかのような同木だった。

聞いてないんだけどって、何で一々お前に報告しなきゃなんねーんだよ、お前は母親か。
つっこみたいことは多々あったが、眼鏡を光らせる同木は鬼気迫るものがあり、軽口の一つも叩けず呉は口をモゴモゴさせた。

「呉くんバイトしてたんですか!?」
「あ、あぁ……夏休みの間だけな」
「ということはもう二週間も!?」
「お、おぉ……」

キャーッと悲鳴こそ上げなかったが、口許に両手をあて、わなわなと震える越川は幽霊にでも遭遇した女子のようだった。

「なんでお前らそんな、バケモン見るみたいな顔してんだよ……?」
「ば、バケモンというか、その、あの、かなり驚いてしまいまして!」

呉は混乱していた。宿題を片付けるという名目で、夏休み期間中も開放されている学校の図書室に集まった。ら、突然三人が三人とも鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたかと思えば、大層考え込むような深刻さで黙り込んだからである。その後は糾弾されるが如くの厳しい目に晒され、呉の心は折れかけていた。
全く意味が分からなかった。

しかし本当のところ、呉よりも他の三人の方が圧倒的に混乱していた。
メールやコミュニケーションアプリ、電話といった物で連絡することはあっても互いが顔を合わすのは夏休みが始まってから初めてのことであり、長さにして二週間ぶりだった。

男子三日会わざれば刮目して見よ、などという慣用句もあることはあるが、 二週間という短さで人間が変わることなどほとんどない。

「真っ黒なくれちょんとか初めて見たよ、俺」
「まぁ中学入ったときにはもう染めてたしな」
「それなに、黒染めってやつ?」
「そういうやつ。多分、もうしばらくしたら元々の色が浮いてくると思うけど」

不意打ちで完全に黒髪になった呉が遅刻気味にひょっこり図書室に現れたときの三人の心境は推してはかられるべきである。

呉にしてみれば地毛は普通に黒色で、小学生まではそれで過ごしていたのだからバイト先の都合に合わせて染め直すことなど大したことではなかった。
しかし初対面の頃から金髪だった呉しか知らない三人にすれば悪質なドッキリのようなものでしかなかったのである。

「そんなビビらせたか、越川」
「え、ああはい……かなり驚きました……。バイトって何をされてるんですか?」
「引っ越し屋」

ぱちくりと越川が目を瞬かせる。脳内で箪笥や冷蔵を持ち上げながら狭い階段を上り下りする呉の姿を思い描いてみたが、予想外にしっくり来た。
本人にもその自覚があってのバイト先のチョイスなのだろう。「家具持ち上げるの上手くなってきた」と少し誇らしげに語る様子からは仕事に対する充実感も透けて見える。

「に、似合いますね……! かっこいいです!」
「引っ越し屋に似合うとかあんのか……?」

頬を赤く染めた興奮気味の越川に呉は苦笑しながら首を捻る。
体格的に不向きとは思っていなかったが、似合う似合わないで考えたこともなかった。相変わらず越川はどっかズレてんな、と口には出さずに笑ってしまう。

「あ、いや、似合うのは引っ越し屋だけじゃなくて……あの……髪も」
「……そか」

おずおずと上目遣いで告げられた続きに呉は真顔になった。
ズレてることは確かなのだが、変なところで真っ直ぐな越川に呉は勝てる気がしねぇなと心の中で呟いた。

「ふーん、バイトねぇ……」
「なんだその目」
「別に」

ネタばらしされてしまえば何ということもない話だ。あまりに金髪が見慣れていたために狼狽えてしまったが、ちょっと子どもっぽかったかもしれない。
同木は内心の気まずさを誤魔化すようにいつも通りの高圧的な表情でそっぽを向いた。完全なる照れ隠しだったが、呉はやはり気づかないし、舟渡と越川は生暖かい目でスルーした。ある意味友情である。

「いやでもくれちょん、こっちの方が格好いいよ! 俺ちょっとドキドキするもん!」
「……盆過ぎたらバイト終わりだから戻す」
「いや、どっちかと言うと美人だね。俺ほどイケメンじゃないけど、黒髪美人になってるよ!」
「バイト終わったらすぐに戻す」

越川はともかく、舟渡に褒められると馬鹿にされているようにしか思えず渋い顔で呉は言う。
舟渡本人はかなり真面目に本心を言っているのだが普段の言動が残念ながら台無しにしていた。

「戻しちゃうんですか……?」
「あ? ああ……なんな落ち着かねーし」
「夏休みの間だけ染める学生って多いと思うけど、その逆ってあんまりいないよね。くれちょんレアケース」
「残念ですけど、その方がいいかもしれせんね……」
「そう? またあの頭の悪そうな色にするのもどうかと思うけど」

ちらり、と呉を横目で見た同木が鼻を鳴らす。
見慣れないので違和感が先行してしまったが、黒髪の呉を同木はそれなりに気に入っていた。顔のパーツは一つも変わっていないのに、髪が黒くなっただけで少し爽やかさが増した気がするのだ。元々髪は短かったので、本来の呉とはかけ離れているもののストイックなスポーツマンのような雰囲気すら漂っている。

舟渡の言う美人、というのは大袈裟にしても普段のヤンキー丸出しの髪色よりは似合っているんじゃないかと同木は思っていた。越川辺りはそれに同意するだろうと「あっちより今の方がマシじゃない?」と冗談交じりに問いかけてみたのだが、越川は真面目な顔でふるふると首を横に振った。

「ダメだよ、どうきゅん! そんなことしたらくれちょんがモテちゃう!!」
「そういうの、よくない、です!」

どーん、と効果音がしそうなぐらいの勢いだった。
同木は不意をつかれて珍しくポカンとした顔になっていたが、数秒かけて二人の言葉を理解した。

「呉、早くあの反抗期真っ盛りの髪に戻した方がいいよ」
「……」

ハッと鼻を鳴らした同木がくるりと掌を返した。
言われてみたら黒髪の呉は女子ウケしそうな気がしてきて、無性に腹立たしい気持ちになってきのである。それは呉のくせに生意気だぞ、という感情から来るものだろうと同木は自己分析したが、正解かどうかは怪しいところだ。

「……宿題するか」

暫くは反論しようかと言葉を練ってみたものの、三人の謎の団結を前に呉は思考を放棄した。
いつものことながらおちょくられている。もうこれは髪の毛の色がどうとかいう問題じゃねーな、と深いため息をつきながら、呉は宿題になっている数学のプリントを捲るのだった。





アイデンティティーとは?


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