7 年に一度の逢瀬にお邪魔






「ねぇ、みんなは願い事決めた?」

麗らかな昼休み、呉の弁当箱から無断で頂戴した卵焼きを咀嚼しながら、舟渡は周囲の面々を見渡した。

「願い事……?」

呉は怪訝そうに目を細める。
その際、流れるように舟渡の頭に拳骨を落としておくことも忘れない。
「ぴぎゃ」という奇妙な悲鳴とともに舟渡が机に額を打ち付ける。

「えーと、もしかして七夕のことですか?」
「……エッちゃん正解、五ポイント獲得です」
「あ、ありがとうございます?」

わざとらしい涙目で後頭部を擦る舟渡が広げた掌を越川に掲げてみせた。アイドルも真っ青なほどの綺麗なウインクが腹立たしい。

「……」

何に使えんだよ、そのポイント。と呉とて思わなくもないが、ろくなものではない、と無言のまま鮭の塩焼きに箸を入れた。

「ちょっと舟渡、勝手に人が狙ってた卵焼き盗らないでくれる?」

ふと、耳を疑うような発言が聞こえたような気がした。というか、聞こえた。

「おかずの争奪戦、弱肉強食の理をあらはす!」
「舟渡は唐揚げも食べてたんだから、卵焼きは遠慮するべきだったんじゃない?」
「だからどうきゅんは坊やなのさ。世の中は自然淘汰だよ」

ハッと同木が鼻で笑う。対する舟渡も何やら不敵な笑みを浮かべている。面倒な空気だ。
そして、数秒後には予想した通りに罵倒やら挑発やら世迷い言やらが頭上で飛び交い始めた。

食事中に喋るな、とまで言うストイックさは持ち合わせていないが、これはあんまりだ。

「そもそも俺の卵焼きは俺の物であって、盗るもクソもねぇよ」

呉は一瞬迷ったが、最後の1切れだった玉子焼きを同木の口に突っ込んだ。
いつもの無表情の中に僅かな笑みが浮かぶ。代償は小さくなかったが、満足したらしい。

「あと、飯時に暴れんな」

ついでとばかりに、立ち上がって挑発ポーズをとっていた舟渡の脛を蹴って着席させる。
ガタン、と大きな音がした。

「いたたた……くれちょんってますますお母さん属性に近づいてるよね」
「お前らのせいだろ、くそっ」

脛を撫でる舟渡の後頭部に、本日2度目の拳骨を追加し、呉は残りの白米をかき込んだ。

今朝はなんとなく目覚めが良かったので弁当を用意したのだが、三割近くのおかずを両サイドの山賊たちに強奪されたので、最後は白米の比重がやけに重くなった。一応、それを見越して準備はしてあったが、不快には変わりない。

「えっと、えーと、あ、舟渡くんは決めているんですか? お願い事って」
「うんっ」

ようやく弁当箱の半分ほどを綺麗にした越川がその場の空気を繕うように尋ねる。
ここまで来ると損な程の気遣い屋だ、と呉はぱたぱた動く小さな手をなんとなく眺めた。

「ちゃんと短冊も用意してるんだよ!」

舟渡はポケットから折り畳まれた淡い桃色の厚紙を出してきて、悪霊退散の類いの御札のように掲げてみせた。

「……自転車に、乗れますよう、に……?」

その綺麗だが少し硬質な印象を与える文字を読み上げる同木の声が、賑やかな教室で一際響いた。
その声の冷たさに一瞬で辺りの空気が重くなる。体感温度がぐっと下がった。

「ところで呉、物理の宿題なんだけど」
「ああ、物理な」
「ちょっと何話題チェンジしてんの! 信じられないよもうっ」

購買部で購入した野菜サンドイッチを食べ終えた同木は教科書を机の中から出すと、短冊をぴらぴら見せつけてくる舟渡を綺麗に無視した。

「呉ってなんで物理はできるの? 文系科目はあんなに死んでるのに」
「理系向きなんじゃね? あと文系だって別に死んでねぇ」
「ねぇなんで俺を無視するの? ねぇ何で、なにゆえ?」
「瀕死っていうんだよ、ああいう点って」

ごく普通に振り子運動についての問題を解いていく呉はチラリと横目で舟渡を見たが、鼻で笑うと目線を教科書に戻した。
成績はよくない呉だったが、なぜか物理は得意なのである。

ぶわっと舟渡の目尻に涙が浮かぶ。嘘泣きかマジ泣きか微妙なラインだが、無視されたからという理由で泣き出す男子高校生など気味が悪くて仕方ない。
よって無視一択だ。

「エッちゃん、エッちゃん、二人が俺を無視するよー」
「ちょっと、越川に告げ口しないでよ、このすっとこどっこい」
「え、なにその罵り方」
「何でちょっと嬉しそうなの? 引くんだけど」

相手にすんな、と呉が止める前に同木は舟渡に言葉責めを開始する。
もう手がつけられそうになかった。

「食べ終わったのか?」
「え、ああはいっ」

ひでぇ光景だ。疲れきって隣を見れば越川が露骨におろおろと困り果てていた。
人が善すぎる越川はこういった言い争いは苦手らしく、もう付き合いが短いわけでもないのに毎回過剰に反応する。

「あー、越川は何か願い事あんのか?」
「え?」

同木は舟渡を言葉の凶器で痛め付けるのに忙しいようなので、教科書は閉じておいた。

「七夕、あいつは短冊まで用意してやがったな」

なんとなく越川をそのままにしておくのも決まりが悪かったので、適当に話を振ってみる。
そのぎこちなさは、離婚した妻が引き取った娘と久々に会う父親レベルだったが、それをからかう人間は今は別件で忙しいらしい。

「願い事……思い付かないですね」

うーん、と可愛らしく眉をひそめる越川。

「無欲だな」
「呉くんは何かあるんですか?」
「あいつらが人の昼飯盗らないようになればいいとは思ってる」
「……あー」

それは難しい。と言わんばかりに言葉を濁され、呉は苦笑した。

「そんなに無茶な願いか、これ」
「えと、じゃあ僕が叶えます!」
「アイツらボコッてくれんのか?」
「そ、そうじゃなくて、影お弁当を用意してきます!」
「……それは影武者的な意味か?」

影お弁当という言葉の響きが面白くて、少し口許が緩む。

ぶんぶんと首を縦に振る越川に、できるだけ笑わないように気を引き締める。馬鹿にしているつもりはないが、傷つけたくはなかった。
なんとなく、越川にはそう思わせる力がある。

「僕が舟渡くんたちに差し上げる用のお弁当を作ってきます。これなら呉くんのお弁当は守られますよね?」

小さな手をギュッと握りしめ、越川が力強く言う。
それは初めのお使いに臨む幼子のようであり、微笑ましいとしか言いようがなかった。

「あーそれはなぁ……」
「た、確かに呉くんほどは料理上手じゃないですけど……頑張りますから!」
「いや、アイツらにはもったいねぇだろ。その弁当俺にくれ」

ごく真面目に呉は言った。曇りなき眼だった。

「俺の弁当はアイツらに回すから、越川は俺の弁当作れ」

そして珍しく屈託のない笑みを見せるのだから、越川は何やら落ち着かない気持ちになった。

「あの、その、僕頑張ります!」
「そりゃ楽しみだ」

頬を桃色に染め、こくこく頷く越川の頭を上機嫌で撫でる呉。

越川は謙遜したが、その料理の腕前は悪くなかったと記憶している。だいたい安くつくからといっても、自分で自分の食べるものを作るというのは味気ないものだ。
素直にいい話だと思った。

「あーー!! くれちょんがエッちゃんの頭もぎ取ろうとしてる!!」
「してねぇよ」

ガタン、と再び音がした。あぁ、面倒なのが戻ってきたなと呉は舌打ちした。
椅子を蹴り飛ばす勢いで立ったらしい舟渡がつかつか歩いてくる。

「越川大丈夫? 首は無事?」
「え、ええ大丈夫……です?」

呉から引き剥がすように間に入った同木がわざとらしい非難の声を出す。
先程まで罵り、罵られていたとは思えない息の合い方で越川から引き離され、呉は顔を歪めた。

「おまえら俺を何だと思ってんだよ……」
「ヤンキー?」
「なんちゃって不良?」

完全におちょくられているのだと分かっているが、大人にはなりきれない。
青筋を立てながら拳をぱきぱき鳴らす呉はまずは舟渡を沈めるために立ち上がった。

「くれちょん、エッちゃんを賭けて勝負だよ」
「よし、沈めてやる」
「俺が勝ったら、自転車乗る練習に付き合ってもらうからね!」
「越川賭けてねーだろ、それ」
「もちろんエッちゃんも頂く!」
「強欲だな……」

好き勝手言われすぎて、逆に落ち着いてきた。真剣に取り合うだけ無駄というものだ。
呉は重いため息をつき、振り上げかけた拳を下ろすと、椅子に座り直した。

「おや、戦いを放棄するのかね?」
「自転車の練習は見てやるからこれ以上越川に迷惑かけんな」
「なにその彼氏気取り」

ハッと鼻で笑ったのは同木だ。
なぜこう喧嘩腰になられるのか理解できないが、同木はこういう人間だと自分を無理矢理納得させ、舌打ちだけで済ませる。

「というか、なんでお前自転車乗れねーんだよ、こんな年にもなって」

先程は流したが、なかなかの衝撃的事実だった。呉は足を組みながら、ヤンチャ坊主のように椅子の背もたれに座る舟渡に白い目を向ける。

「登下校がずっと車だったからかな! 出掛けるときはいつも運転手さんが送り迎えしてくれるし、自転車乗る機会ってなかったんだよね」
「もう一生乗れなくてもいいだろ、お前の場合」

教室中の気持ちが一致したような気がする。あの越川でさえ苦笑いを浮かべている。

舟渡は「意地悪言わないで」と涙目で呉の袖口を掴むが、明らかな嘘泣きだ。
たとえ嘘でなくても、男に泣きつかれたところでプラスの感情など抱けないが。

「……見るっつってんだろ、練習」

面倒になって渋々頷けば、あっさり笑顔になって離れていく舟渡。このようなやり取りは何度も繰り返しているが、脱力感には慣れそうにない。

「同木?」
「なに」
「何でキレてんだよ……?」

ご機嫌に口笛を吹きながらパンの袋を片付けを始める舟渡を横目に、急に黙りこんだ同木に目を向ける。
ご機嫌な同木など殆んど見る機会がないが、こうも露骨にムスッとされると一応気になるというものだ。

「物理、放課後見てやるから」
「……みんなのお母さんは大変ですねぇ」

け、と唾でも吐き捨てる勢いで同木がそっぽを向く。

「……」

純粋に腹が立つ。胸ぐらを掴みたい気持ちに駆られたが、同木の目元が何やら赤く染まっているのに気づき、戸惑いが生じる。

「……なにか、拗ねてんのか?」
「うるさい馬鹿、プリン頭」

キッと呉を睨み付けると、同木はくっつけていた机を離し、午後の授業の準備を始めた。
わざとらしく古典の教科書をパラパラ捲り、話し掛けないでオーラを出す様は見事なまでだ。

「くれちょん、罪な男だね」
「うるせぇ黙れ」

うぷぷぷ、と耳障りな笑い声を上げる舟渡が含みのある顔をするが、呉には全く意味が分からない。

「……?」
「お前らのことは、よく分かんねーな」

同じくキョロキョロと不思議そうに同木と舟渡の顔を見ては首を傾げる越川に少し励まされつつ、呉は苦笑した。






これだから天然は嫌だ、と誰かが呟いた


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