09 絶体絶命


【絶体絶命】
[意]きりぬける方法が見当たらないほど困難な立場。






「そ、そういえば来週三者懇談だよね……」

昼休み、教室の中は閑散としていた。
購買部に行く者や、他クラスに移動する者。早弁の結果、暇を持て余して校庭で遊ぶ者など、それぞれが思い思いに約一時間の休息時間を楽しんでいた。

「あー、そーだな」

現在教室に居るのはたった四人だ。自由な時間とはいえ、あまりに寂れた光景はやや異常な域かもしれない。

「舟渡君は成績いいんだよね……いいなぁ」
「あれ、エッちゃんは危ないの?」
「うん……三年になってから成績下がっちゃって……」

このクラスになって早三ヵ月。衣替えを経て、季節はすっかり夏へと移り変わっていた。

「懇談とかめんどくせぇ…」

呉は心底忌々しそうに呟いて机に伏せる。
公立中学校の一般教室には冷房器具がなく、べったりとした汗の感覚がなかなか不快だ。

「ふーん、呉も成績危ないんだ?」
「……って言うお前はどうなんだよ」
「まぁ君に心配されるような事態には陥ってないことは確かかな」
「……本当お前いちいち腹立つな」

カーン、と鐘が鳴り響く幻聴が聞こえてきそうだった。今にも殴り合いになりそうな険悪な雰囲気が辺りに立ち込める。

なんてことはない、クラスメイト達はこのようなやり取りに怯えているのだ。
故に昼休みの教室が貸し切り状態、になっているのが、呉や越川は気付いてもいない。なんか昼休みって静かだな、くらいの認識である。

「まぁまぁお二人さん、そんなにじゃれあわなくても」

舟渡が意地の悪い顔で言うと睨みあっていた呉と同木は心底嫌そうに顔を歪めて「じゃれてねーよ」とか「じゃれてないから」だとか声を揃えて答えた。なんという息ぴったり。

そんな二人の様子を見ていると、舟渡は教室から昼休みになると人が消えることが馬鹿馬鹿しくて仕方なくなるのだった。
仲よくお喋りしてるだけだもん。という舟渡の主観がクラスメイトに届くことはなかったが。

「そういえば、舟渡って成績いいんでしょ?」
「おやどうきゅん、俺のプライベートが気になる?」
「はは、うざい」

思い出したように口を開いた同木が「失敗した」といった顔をする。調子に乗らせると碌なことにならない舟渡が水を得た魚のように生き生きしていることに気付いたからだ。

「は? こんなヘラヘラした野郎のクセに頭いいのかよ」
「もー! くれちょん失礼だよ!」

同木の言葉に呉がうさんくさそうな目で頬を膨らませる舟渡を見る。信じられない、いや信じたくない話に顔が引きつった。

「ふ、舟渡君は学年トップなんですよ!」
「げ、マジかよ」
「……うわ、気持ち悪ッ」
「なにその宇宙人を見るような目!」

声を張り上げたのは何故か越川で。
思ってもみなかった台詞に二人は仲良く納得のいかない声を洩らす。しかし越川が嘘を言うはずもないことはよく分かっているので複雑な感情だった。

「学年トップとか真面目に頭いいじゃねーか」
「そういうくれちょんは下から数えた方が早い人?」
「……悪かったな」

呉は恐ろしいモノを見たと言わんばかりの態度で目を逸らす。元来の頭の作りは特別悪くなかったが、不真面目な態度を貫いてるだけあって成績はいいとは言い難い。

「……それ進路大丈夫なの?」
「さぁ」
「さぁ、って自分のことでしょ。真面目に考えなよ」

黙ってそれを聞いていた同木が不憫そうに呉を見る。本気で心配しているというより、小馬鹿にするのが楽しいらしく意地の悪い顔になっている。

「……高校、みんなバラバラになっちゃうんですかね…?」

ポツリ。
まとまりのない会話の狭間で越川が小さく呟いた。水を打ったように場が静まり返った。

「……………」

少しの間、誰も口を開かず、奇妙な沈黙が続いた。
廊下から聞こえる賑やかな笑い声がいやに響く。

「……だろうな」

呉は窓の外に視線を外してから、誰に言うわけでもなく答えた。静かで穏やかな声色だった。

「もしかしてエッちゃんは寂しいの?」
「……それはそうですよ……せっかく仲良くなれたのに……」

舟渡は一瞬何とも言えない顔をした後に、得意の軽薄な笑みを浮かべてはしゃいだ声を出した。
しかし越川がいやに真面目に返すものだから言葉が続かない。

漠然と考えていた「先」のことが一瞬の間に間近に迫ってきて、目の前に圧し掛かってきたような気分だった。

「…まだ夏休みにも入ってないんだから。越川は気が早すぎ」
「確かにな」
「でもって呉は危機感なさすぎ。高校には行くつもりなんでしょ?」

珍しすぎる同木の慰めるような言葉が、むしろ「期限」を意識させ、呉は気の抜けた心地だった。
しかし、そんな呉を見つめる同木の冷ややかながら、どこか心配そうな目に呉はいくらか心が軽くなった気がした。

「おや、危ないなら宇宙人のようで気持ちが悪い俺が教えてあげよっか?」
「……もしかしなくても怒ってたんだな、お前」

反応しにくい申し出に呉は溜め息をつくしかない。
完全に舟渡は拗ねているのか、フリなのかが今の呉には判断できなかった。

「ぼ、僕も見てもらえないですか……?」
「もちろんいいよ、任せて」

ほっと息をついた越川が柔らかい笑みを浮かべる。例の一件以来、分厚い眼鏡をやめた越川が微笑むと、周囲にまるで花でも散っているような雰囲気が生まれる。

越川や舟渡が和やかな会話を続けたため、表面上はいつもの空気を取り戻したものの、一度気付いてしまった「終わり」の予感は拭えるはずもなく、やけに湿っぽい空気のまま昼休みは終わった。

「……」






ああ、社会の発表も来週なんだよな


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