雨粒、ぽろり(Jean)



  あれはいつのことだっただろうか。もう思い出したくもない記憶だ。だが、この場所に来るとどうしても思い出してしまう。彼女の笑い声、笑った顔。全てがキラキラとしていた。
 彼女も口癖のように喋っていた。「海に行きたい」と。同期のアルミンと同じく、一緒に本を眺めては、いいねと笑っていた。そんな夢のような話、実現出来るわけないとオレらは思っていた。

「ねージャン。ガス補給よろしくね」
「はあ?自分でやれよ」
「いいじゃん!ケチ!」
 ヒロは立体機動装置を着けながらオレの元まで来る。先にガス補給していたオレを見つけたのかそう頼んでくるが、自分の分は自分で、と言うと笑いながら「意地悪だね」と。仕方ないと思い、彼女のガスを補給してやると「わー!優男!」と拍手をしてくる。
「あのなあ、オレは元々優しい男なんだぞ?」
「えー?そうなの?知らなかった」
「嘘吐け、お前が1番知ってるだろ」
 ふふ、と笑うヒロの顔は誰よりも可愛い。訓練兵時代の時に、彼女がオレに告白し今の関係が続いている。正直好みかどうかで聞かれると、好みではないが、ヒロの素直な性格には色々と救われた事も多かった。親友の死に対し、覚悟を決めたオレにも気を遣ってくれ、班は別だが女型の巨人がエレンを襲いに来たときも、一緒に動きを封じようとわざわざ駆け付けてくれた。そんな真っ直ぐで素直をヒロいつしか好きになっていた。調査兵になる前に、しっかり自分の口で「好きだ」と言うと、彼女は大泣きして抱き付いてきた。
 そんな関係でオレらは、浮かれながらもきちんと仕事を熟していた。別の班のヒロは、隙を見てはオレの元へやって来る。時々班長に見つかり、叱られている姿も見るが、それほどオレに会いたい気持ちが勝っているのだろう。怒られても反省の色はない。
「また怒られちゃうから早くやってー」
 ヒロはオレの後ろに立ち、グイグイと背中を押してくる。止めろと言うも反対に力を強くするだけだ。素直すぎる性格か、言ったことと反対のことをすることも多い。それはきっと、彼女がまだ幼い事を物語っている。
 しっかりガスを補給し渡してやると「ありがとう」とにんまり笑い、控えめに抱き付くヒロ。頭を撫でてやると、更に笑みを深め離れていく。
「じゃあ今日も夜そっち行くから!」
 彼女はアンカーを刺し、自分の班員が居るところまで飛んでいった。それに手を振り、自分もやらなければならないことがあったため、ヒロが飛んでいった方と反対方向に体を浮かせた。
 夜、着替えを済ませ宿舎でぼうっと過ごしていると、小さくノック音が聞こえた。それに反応したのはライナーだった。どうせ開けたところで、自分に用はないのにライナーが扉を開ける。もちろん相手はヒロであり「ジャンいる?」と小さな声で問いかける。その声が聞こえたのを合図に腰を上げると「いつもアツアツだな」と笑われたため、嫌味を込め思い切り肩に衝動を食らわせた。
「居るんだったら最初からジャンが出てくれればいいのに」
「そうは言うけどよ、出しゃばりな奴が多いんだよ」
「ライナーとかコニーとかね」
「そ。お前も分かってるんだからそう言うなって」
「でもすぐジャンに会いたいから」
 冷え切ったヒロの手を握ると「暖かい」と柔らかく笑う。彼女の手はいつも冷え切っている。何故か聞くも分からないとのこと。オレが手を繋ぐとすぐに体温が彼女に伝わっていく。ヒロの冷めた手を暖める役はオレ1人で十分だ。
 彼女のお気に入りの場所は、宿舎から少し離れた所にある芝生だ。そこには、決して多きわけではないが、小さめな湖がある。ヒロはそれを見つめ「海に行きたいなあ」といつも呟く。
「海ってね、すごく大きいの」
「知ってるって。ヒロとアルミンいつもうるせえから」
「うん。だからね、ジャンと一緒に見たいの」
「……そうだな」
 ヒロは芝生に座り、その隣に腰を下ろす。いつも見る光景だ。特に面白いものなどもない。だが、彼女はその湖をしっかりと見つめている。月で湖が光ると同時に、ヒロの顔もキラリと光って映える。そんな顔を見るのが好きだった。特に変わりもしない日々。なんなら、いつか落としてしまう命。そんな状況の中なのに、恋人と一緒に湖を見られるのは、現実から離れている気がする。湖を見つめているヒロの横顔に口付けすると、オレの顔を見つめ、吸い込まれるようにお互いの唇に熱を落とす。
「小さなことだけど、幸せだね」
「ああ。……お前は絶対にオレから離れるなよ」
「もちろん!ジャンと一緒じゃなきゃ、楽しくないもん」
 そう子供のように喋るヒロが愛おしく、もう一度口付けをする。その顔は大人びててとても綺麗だ。今日も時間ギリギリまで、一緒に湖を眺め、部屋前で解散し夜を閉めた。

 ある日の壁外調査の日だった。珍しくオレとヒロは一緒の班に組まれた。一緒の班で最初は喜んでオレに話掛けてきたが、煙弾が打たれたと同時にヒロはそっちへ飛んで行った。しかし、その判断が間違いだった。彼女が目的地に着く前に奇行種に邪魔をされ、地に落ちてしまったヒロ。それを助けに行こうと急いでアンカーを刺すが、横に寝ていた巨人に気付かれたのか、あっけなく彼女はその巨人の口に入れられてしまった。最後の言葉も聞けずに、彼女はこの世を去ってしまったのだ。
 それから何度も自分を責めた。すぐに判断出来なかった自分が悪い。彼女は言われた通りに動いただけだ。なのに何故、ヒロが死ななければならなかったのか。
 そんな愛しの彼女が居なくなってから、幾日も経った。本来なら見られるはずのなかった海に辿り着けた。アルミンは目を輝かせており、もしヒロがここに居たら、アルミンと同じ表情でオレを見ただろう。
「……離れないんじゃなかったのかよ」
 いつも見ていた湖とは違い、大きな波や水面。この景色を彼女に見せたかった。
 ヒロが死んでもずっと手に握っていた首飾り。それを海の上へ出すとキラキラと光る飾り。その首飾りを握り、海へ足を着ける。天国で待っているヒロへ、この景色とオレの気持ちが届くよう、首飾りを海へ流した。


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