酔った平和島静雄というものを、紀田正臣は初めて見た。
「ほんっと傑作だよねえ。あのシズちゃんがアルコールごときでこのざまだよ! 酔ってるときはあの馬鹿力も発揮されないみたいだし? 何より見てよこの顔! 無防備っていうかさあ、目なんかとろんろしちゃってバッカじゃないの? 超かわいいんだけど!」
 上機嫌にまくしたてる彼も、正臣から見ればかなり酔っている様子だった。自分の言葉の矛盾に、この人、折原臨也は気づいているのだろうか。
「あーもうマジこんなことだったらもっと早く酒飲ませるんだった! 知ってた? シズちゃんてビール飲めないんだよ。超かわいいよねえ。どこの女子大生だっての! まあシズちゃんのためならカクテルだって作ってあげるけどね俺は! カシオレとか? それもカルーアミルクとかの方がいい? ねえシズちゃん」
 フローリングの床に座り込んだ静雄は、横に並んでべったりとくっついてくる臨也を怒るでもなく殴るでもなく、静かに缶チューハイを飲みながら、時折頭をなでられたりしている。その光景が不思議で、異様で、恐ろしくて、正臣は数分前、この部屋に入ってから何も言葉を発せずにいた。
「ちょっと紀田君、黙ってないでなんかコメントしてよ。沈黙は肯定ってこと? 俺の意見に同意?」
 臨也が静雄に引っ付いたまま、小さなテーブルに広げられたスナック菓子をつまむ。正臣はテーブルを挟んで彼らの向かい側に腰を下ろしながら、ここに来る前に寄ったファーストフードの袋を開けた。
「同意っつーかあんたのテンションに引いてるんすよ。どう見ても一番酔ってるでしょ」
 袋を漁って、買ってきたものをテーブルに並べる。
「静雄さんポテト食うんすよね。あとシェイクも」
「おお、サンキュ」
 酒で目元を赤く染めて、少し潤んだ瞳のまま笑う彼は、臨也じゃないが少しかわいいと思ってしまった。不思議だ。今までこの人に対してかっこいいならともかくかわいいなんて思ったことないのに。
「あーずるーい。俺もポテト食べたーい」
 シェイクをすする静雄の横で、臨也が言った。正臣は袋から取り出したハンバーガーの包みを臨也に押し付けた。
「臨也さんはこっちでしょ。ダブルクォーターパウンダーとか、こんな時間に食ったら太りますよ?」
「いいんだもーん。俺やせてるからちょっとくらい太っても平気だし。シズちゃんポテトちょっとちょーだい。これ一口あげるから」
 そう言って臨也は紙をむいたハンバーガーを静雄に差し出した。すると彼は無言でそれにかぶりついた。
「おいしい?」
 ペットが初めて自分の手から餌を食べてくれたときのような顔で、臨也が尋ねる。動物と違うのは、ちゃんと言葉で返事がくることだろうか。
「うまい」
 静雄は答えて、紙ナプキンの上に置いたポテトの容器を臨也の方に向けた。
「ありがとー」
 臨也は嬉しそうにポテトを口に放り込む。一人だけしらふの正臣は、コーラを飲みながらその様子を眺めていた。
「紀田、眠いのか?」
 シェイクのストローから口を離した静雄が正臣を見た。
「眠いのは俺じゃなくて静雄さんでしょ。なんかふわふわしてますよ」
「あーちょっとな……頭もぐらぐらする」
 目をこする静雄は本当に眠そうだった。そしてやっぱりちょっとかわいかった。正臣は時計を確認しようと携帯電話を開いた。
「臨也さん、そろそろこの人寝かせたほうが……って何やってんすか!」
 少し目を放した隙に、臨也が静雄の頬を両手で包んでキスをしていた。しかもどんどんエスカレートしている。濃い。長い。正臣の位置からは、少し角度をつけて合わさった彼らの唇や、絡み合う舌の動きまでをはっきりと見ることができて、戸惑いを隠せなかった。
「ちょ、ちょっと! あんたらいたいけな高校生の前で何をっ、刺激が強すぎるってかいくら酔った勢いとはいえそんなことして後々死にたくなっても知らないっすよ俺は!」
 さすがに素に戻ったときの彼らの反応を見るのが恐ろしく、正臣は二人を引き離した。
「あーちょっと何すんの紀田君」
 臨也が残念そうな声を上げる。
「何すんのじゃねえよあんたらが何やってんだよ! もう二人とも寝て下さい!」
「お酒が入ると人が恋しくなるんだよねえ。ね、シズちゃん」
「まあな」
 臨也の言葉に静雄があっさり同意したことに、正臣は驚いた。
「ほらね? シズちゃんがこんなに素直になるなんて、普段ならありえないんだから」
 二人の間に割って入った正臣は、左側にいる臨也に腕をつかまれた。
「い、臨也さん?」
「だからさ、そんなこと言うなら紀田君が相手してあげなよ」
「は、はあ?」
 正臣の混乱をよそに、臨也は静雄に話しかける。
「シズちゃーん、紀田君がシズちゃんにキスしてほしいって」
「はっ? そんな、言ってな、言ってないっすよ静雄さん!」
 さすがに怒られるのではと危惧した正臣は必死に否定する。マイペースにシェイクを飲んでいた静雄は、ストローをくわえたまま正臣を一瞥すると、ゆっくりと顔を近づけてきた。
「ちょ、ちかっ、近いです静雄さっ、ん!」
 滑らかな動作で顔を上向かされ、唇を重ねられる。
「ひゃーシズちゃん大胆ーかっこいー」
 はしゃぐ臨也がさりげなく静雄の手からシェイクの容器を受け取って、テーブルに置く。そのため両手の空いた静雄に、正臣は先ほど臨也が彼にしたように顔を固定され、唇を貪られた。
 眼前の静雄の紅潮した顔だとか、やけに慣れているキスとか、彼が寸前まで口にしていたシェイクの甘さとか、意識してしまうととたんに羞恥がこみ上げてきた。
「んっ、ふ……ぅ、し、ずおさっ……ちょ、待っ」
 肩を押し返して無理やり逃れたら手首をつかまれた。角度を変えて、再び唇が触れ合おうかというとき、正臣の背後から臨也が静雄を止めた。
「はいストップ」
 静雄は無言で臨也を見、正臣は呼吸を整えた。
「二人ともすごいやらしー顔してるよ。特に紀田君、さすが若いねえ。シズちゃんのキスはそんなに気持ちよかった?」
 臨也の言葉に嫌な予感がして、正臣は自らの股間に視線を落とした。わずかにではあるが、反応してしまった性器がジーンズを押し上げている。
「ちっ、違いますよ臨也さん! こ、これはっ……」
 とっさに言い訳が思いつかず、一人であせる正臣を笑って、臨也が耳元に唇を寄せた。
「なに動揺してるの? 大丈夫だよ。男同士なんだし」
 だからこそ問題なんじゃないかと言いかけた正臣は、正面から静雄に顔を覗き込まれて口をつぐんだ。
「気持ちよかったのか?」
「だからちがっ、ていうか静雄さん近いって!」
「よかったんならもっとしてやる」
「わっ、い、臨也さん止めて!」
「なんで? シズちゃんキスうまいよね」
 確かにうまかった。そしていやらしい。やり方もそうなのだが、彼の濡れたような瞳や、意外に長いまつげが時折震えるのを目の当たりにして、正臣は小さく肩を跳ねさせた。
「あ、今感じた?」
 すかさず背後の臨也が耳元で囁く。正臣は眉を寄せてきつく目を閉じた。気持ちいい。確かにそうだ。でも恥ずかしくて死にそうだった。こんな、一方的にキスされて、感じて、先ほどよりもさらに下半身が切羽詰っているなどと、誰に言えよう。
「はは、ほんとかわいいな。シズちゃん、どうせならほかのところもなめてあげたら? 辛そうだよ、彼」

20100809
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