「シズちゃん……?」
「ったく、急にいなくなりやがって。ほんっと協調性ねえな」
「なっ、元はといえばそっちが!」
 言いかけた臨也をよそに、静雄はいまだその場に立ち尽くしていたスカウトマンをにらみつけた。
「で、こいつになんか用すか?」
「いや……失礼しました……」
 スカウトマンは引きつった愛想笑いを浮かべてその場を離れた。
 臨也は改めて静雄を見る。
「ちょっと、今までどこにいたの?」
「ああ? そりゃこっちのせりふだ。てめえこそなに一人でふらふらしてんだよ」
「ふらふらって、最初に俺をおいてったのはシズちゃんだろ」
「んなの、てめえがちゃんとついてくればよかっただけじゃねえか」
「あんなに速く歩かれて追いつけるわけないだろ!」
「だったらなんで待てって言わなかったんだよ!」
 臨也はびくりと肩を揺らした。静雄に怒鳴られたからではない。いや、そうなのだが、大声に驚いたわけではなく、彼の発言が予想だにしないものだったのだ。
「追いつけねえなら待てって言えばよかっただろうが。なんでそうしねえんだ。さっきだって、お前は勝手に消えるし、電話にも出ねえし、お前ほんのちょっとでも俺のこと考えたか?」
「なっ、考えたよ! 決まってるだろ!」
 今度は臨也が声を荒げる番だった。実際、静雄のことを考えていた時間はちょっとどころではない。映画の最中も、移動中も、常に彼のことが頭から離れなかった。。
「今の今までずっと君のことばっかり考えてたよ! シズちゃんマジむかつくとかマジうざいとか超自己中とか早漏とか!」
「はっ? ちょ、てめえ誰が早漏だ誰が!」
「シズちゃんに決まってるだろ! 人の気も知らないでどんどん先行っちゃうし、映画もばらばらで観ることになるし、終わってからもシズちゃんいないし!」
「てめえもちょっとは探せよ!」
「嫌だよ! 人も多かったし、もし見つからなかったらますますみじめになるじゃんか! 俺ばっかシズちゃんのこと考えて、気にして、もう愛想尽かされたのかもとか、思ったら悲しくてっ……」
 声が詰まるのが悔しかった。あたりはもう夕暮れの薄闇すら残っておらず、色とりどりのネオンサインがともり始めている。
「一回こんな風になっちゃうと、もうどうしていいかわかんなくてっ、もう、こんなのやだよっ」
 こらえきれずにとうとう涙がこぼれた。情けない。これだから女はと静雄にあきれられたかもしれない。それでも温かい涙が頬を伝うのを止められなかった。
「馬鹿、泣いてんじゃねえよ」
 静雄は臨也の腕をつかんで引き寄せ、そのまま抱きしめた。静雄の黒いコートから彼のぬくもりがつたわってくる。控えめな香水と煙草の混じったにおいをかぐと、高ぶっていた気分が落ち着いてきた。
「いつもそれくらい素直にしてりゃあいいのによ」
 一瞬ぎゅっと両腕に力を込められ、臨也はその心地よさに身震いした。
「ん、寒いか?」
 静雄の両腕が解かれ、顔を覗き込まれる。
「いや、平気」
「嘘つけ。顔つめてーし。つーかお前、首寒そうだな」
 暖かい手が頬をなで、涙をぬぐった。
「なんでなんもしてねーんだよ」
「忘れたの。取りに行ってたらおいてかれそうだったから」
「だからそういうときはちゃんと言えっつーの」
 静雄は自らが巻いていた深緑色のチェック柄のマフラーを臨也の首に回した。
「とりあえずこれしとけ」
「え、でも」
「服に合わねーから嫌だとかぬかしやがったら怒るぞ」
「うん。でもどう見ても合わないよね、これは」
 適当に巻きつけられたマフラーは寸前の静雄のぬくもりをはらんでいて、臨也は微笑んだ。
「ありがと、シズちゃん」
 静雄はかすかに目を見開いて、それからすぐに視線をそらした。頬が少しだけ赤いように見えるのは、決して赤いネオンのせいだけではないだろう。
「さすがにそこまで素直だと気持ちわりいな」
「またまた。嬉しいくせに」
「あ、臨也ちょっと化粧とれてんぞ」
「えっ、ほんと?」
 あわてて目元に手をやる。先ほど泣いたせいでラインがにじみでもしただろうか。
「とりあえず移動すっか」
「あ、うん」
 忘れていたわけではないのだが、ここは週末の歓楽街だった。さすがに通りのど真ん中で言い争っていたわけではないが、少し前のスカウトマンの件といい、かなりの人の注目を集めてしまった。冷静になってみるとさすがに恥ずかしくて、一刻も早くこの場を離れたかった。
「シズちゃんおなかすいてる?」
「ああ。昼飯も食ってねえしな」
「えっ、なんでそんなことしてるの?」
「早めに出て映画の前にお前と食おうと思ってたんだよ」
 だからあんなに早く出かけたがったのか。ようやく納得がいったが、それこそ言ってもらわなければわからない。お互い様じゃないか、と思うとなんだかおかしかった。
「なんだよ、こえーな」
 笑っていると静雄が怪訝な顔をした。
「なんでもないよ」
 臨也は答えながらも小さな笑いがおさまらなかった。
「あんま笑ってっとまた化粧落ちんぞ」
「あ、嘘っ」
 両手で頬に触れる。
「そんなにひどい?」
 おそるおそる静雄をうかがうと、頭をなでられた。
「全然ひどくねーよ。ていうかいつも言ってんだろ? きれいだって」
 臨也は顔がほてるのを感じた。あんなに冷たかった肌が、みるみる熱くなってゆく。
「なに赤くなってんだよ」
「う、うるさいなっ、シズちゃんのせいだろ!」
 顔の紅潮を隠すには、この街は明るすぎる。静雄の手の甲がからかうように臨也の赤くなった頬をなでた。
「かわいいところもあんのな」
「う、うるさい! うるさいよ!」
 両手で頬を覆いながら、わずかに歩調を速める。
「あ、おい待てよ」
 すぐに静雄がついていきて、臨也の腕をつかんだ。
「一人で歩いてるとまた変なのが寄ってくんだろ」
「……シズちゃんも普段は似たような仕事してるだろ」
「一緒にすんな」
 静雄は臨也の手を握りなおす。
「お前手も冷たいな」
「君があったかいんだよ」
 臨也は不思議だった。ほんの数分前まで別行動をとっていたというのに、もう何もなかったかのようだ。変に気まずくなるようなこともなく、自然に振舞えている。本当にこれでいいのだろうか。好き勝手に怒鳴りあっただけで、肝心な話を一切することなく元通りになってしまった。臨也にとっては喜ぶべき結果だが、同時に不安に駆られた。今後も、何かあるたびにこうしてばたばたするのか。一人の時間に今日のようなみじめさを味わい、感情のまま怒りをぶつける。そんな方法でしか、自分は人との溝を埋められないのか。
「臨也なに食いたい?」
「……シズちゃん」
「はあ?」
 静雄が大げさに驚いている。いや、決して大げさではない。別のことを考えていたためなんとなく口をついて出てしまったが、臨也はとんでもないことを言った。
「や、違う、今の嘘」
 さすがにあせって撤回する。静雄は変なものを見るような目をしている。
「てめえ真顔で冗談言うなよ。マジでびびっただろーが」
「いや、びびられても困るし。ていうかもっとほかに言うことないの? 食われんのはお前だろとか」
 静雄が沈黙する。
「ちょっと黙らないでよシズちゃん! 思ったことはちゃんと言えってさっき言ったじゃん!」
「意味ちげーし。つーか全部言っていいなんて言ってねーし」
「そんなこと言わずに全部受け止めてよ」
「あーめんどくせえな。受け止めてやるから何が食いたいか言え」
「え、別になんでもいいよ」
「んなこと言ってっとマック入るぞ」
「う、それは嫌だ」
「じゃあなんか出せよ。あんだろ、今の気分とか、行きたかった店とか。くだんねーギャグばっかかましてないで肝心なことをちゃんと言いやがれ」
 肝心なこと。大事なことだ。大事なことは口に出さなければ伝わらない。相手との関係が大事なものであればなおさら、それをしなければならない。
「うん。じゃあ言うよ。シズちゃんの手料理」
「はあ? 今外だぞ」
「もうこのまま帰れるじゃん。スーパー寄ってこ。俺グラタンがいいな」
「てめえ言えつったとたんに遠慮ねえな」
「うん。だって言わなきゃわからないだろ?」
 相手の気持ちも、感情の揺れも、無言のうちに推し量れたら、それは理想的な関係なのかもしれない。しかし、自分たちにはまだ無理だ。だからちゃんと気持ちを伝える努力をしなければならない。言葉で、行動で、相手を理解し、理解してもらうための努力を。
「シズちゃん、ごめんね」
 とりあえず謝ると、静雄は気まずそうな顔をした。
「お前先に言うなよ。タイミングはかってたのに」
「そうなの?」
「そうだよ。俺も反省した。悪かったな、お前の気持ち、考えてなくて……」
「うん……」
 どうしよう。抱きつきたい。さすがにもう頭に血も上っていないし。こんな人通りの多いところでそんなことはできない。せいぜいつないだ手に力を込めるくらいだ。
「シズちゃん早く帰ろう」
「あ? なんだよ急に」
「おなかすいたし、早く二人っきりにもなりたい」
「ほんと遠慮ねえな」
 静雄はあきれたように笑って、臨也の手を握り返した。彼の体温はもうすっかり臨也にうつって、冷たかった手は彼と同じ熱をもっている。それが嬉しく、今、彼の隣にいられることが幸せだった。
「お前なんかいいにおいすんな」
 わずかに臨也の方に顔を寄せて、静雄が言った。先ほどは疎ましかった香水も、今はそれほどあざといとは思わなかった。

20110209
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