目が覚めるといいにおいがした。ワンルームのそう広くない部屋に、おいしそうな食事のにおいがただよっている。
 平和島静雄はベッドから身を起こし、寝癖のついた頭をかいた。部屋のカーテンは開けられ、朝日と呼ぶには高すぎる位置にある太陽の光が部屋を満たしている。今は何時なのだろう。ベッドの中から携帯電話を探し出してディスプレイを見ると、十時をとうに過ぎていた。かろうじて午前中ではあるが、もう朝と呼べる時間帯ではない。静雄は煙草をくわえてベッドを抜け出した。
「よお、来てたのか」
 キッチンに出ると、コンロにかけた鍋の様子を見ている紀田正臣の姿があった。スーツの上着だけを脱ぎ、シャツの袖をまくってコンロの火を調整している。
「おはようございます。今日は休みなんすよね?」
 静雄は鍋の乗っていない方のコンロで煙草に火をつけた。
「ああ。お前はいつ来たんだ? 起こしゃあいいのに」
「よく眠ってたから……俺は一時間くらい前ですよ。ほんとはもっと早く来るつもりだったんすけど……すいません。遅くなって。誕生日おめでとうございます」
「気にすんなよ。仕事だったんならしょうがねえだろ。ありがとな」
 十代のころから変わらない明るい色の頭をなでると、正臣はくすぐったそうに笑った。
「その代わり今日はサービスしますからね! シチューもう少しでできるんで。あ、パンとご飯どっちがいいですか? やっぱシチューにはパンかなーと思ったんすけど一応両方用意してあるんで」
「あーどっちでもいい……いや、どっちも食うかな」
「朝からハードっすね」
 正臣がトースターに食パンをセットする。
 静雄は煙草を消して、洗面所で顔を洗い、歯を磨いた。鏡に映る顔は少しだけむくんでいる。昨日の酒が残っているのかもしれない、と思うと憂鬱だった。一晩で酒も抜けきらないほど年をとったのか。確かに、もう誕生日が嬉しい年齢でもなくなった。そう言ったら、昨日は仕事の先輩に怒られてしまったが。
 本当は、昨日の誕生日は正臣と二人ですごす予定だった。最近なかなか休みが合わず、お互いに仕事でばたばたしていて会えない日が続いていたので、昨日は仕事が終わり次第、正臣が静雄の家で誕生日を祝ってくれるという約束だった。ちょうど翌日も仕事の休みが重なっていたため、久しぶりにゆっくりしようと事前に計画を立てていたのだが、正臣はなかなか忙しかったようで、夕方の時点でかなり遅くなりそうだと連絡をもらった。先輩や上司が気をつかって飲みに行こうと誘ってくれたので、一人さみしい誕生日の夜という事態は免れたが、結局正臣に会えたのは今日になってからだった。
 正臣はIT関係のベンチャーという、機械に弱い静雄には企業名をきいてもいまいちぴんとこない仕事をしていて、毎日遅くまで、時には昨日のように朝方まで働いている。頻繁に会えないのはさみしいときもあるが、正臣は徹夜明けで疲れていても、こうして静雄のアパートで食事を作ってくれる。それを思うと文句や不満よりも愛おしさが募った。
「あ、静雄さんもうできましたよ。食べましょー」
 洗面所から出ると正臣がシチューを皿によそっているところだった。正臣は一度家に帰ったのだろうか。着替えていないところを見ると会社から直接ここに来たのかもしれない。
「お前昨日寝てないんだろ?」
 静雄は正臣の後ろに立って、そっと腰に腕を回した。一週間ぶりくらいの感触だった。
「どうしたんすか? 急に……」
「疲れてるのにありがとな。わざわざ来てくれて。飯まで作ってくれて」
「何言ってんすか。ほんとなら昨日の夜から来られるはずだったのに、俺の都合で遅くなっちゃったから」
「うん。でも、ありがとう。嬉しい」
 少しだけ腕に力を込めると正臣が身じろいだ。
「ちょ、静雄さん、俺昨日風呂入ってない」
「大丈夫。香水のにおいする」
「ぜんぜん大丈夫じゃねえし! もう、とりあえず飯食いましょ。シチュー冷めちゃうよ。後で風呂貸して下さいね。そしたら一日ベッドでもいいし」
「誘ってんのか?」
「一週間ぶりですよ?」
 正臣がいやらしく笑うので、静雄は彼の体を反転させて、そっと唇を重ねた。これも一週間ぶり、と思っていると、チンと音を立ててトースターがパンの焼きあがりを知らせた。

20110130
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