最近臨也はおもしろくない。二つ下の弟のような存在ができてから、正臣がそちらのほうばかり気にするからだ。もっと自分を見てほしい。構ってほしい。そう思うのに正臣は、臨也はお兄ちゃんなんだからがまんできるよな? と笑う。そんな風に言われたら、臨也はがまんするしかない。お兄ちゃんだから。正臣に迷惑をかけたくないから。でも、さみしい気持ちはがまんできなかった。
「お兄ちゃんって言ったって、おれ、シズちゃんと血つながってないんだけど」
 夕食前のダイニングでブロックで遊んでいたとき、考えていたことが口から出た。少し離れていたところにいる静雄が反応して、怒った様子で近づいてきた。
「いざや! そのよびかたやめろよ!」
「シズちゃんだっておれのことへんな風に呼ぶだろ」
「よんでねーよ!」
「呼んだ!」
「よんでない!」
 お互い一歩の譲らずに騒いでいたらとうとうキッチンから正臣が出てきた。
「ちょっとお前らなに叫んでんだ! また喧嘩か?」
 黒いエプロンをした正臣が臨也と静雄の前にしゃがみこむ。
「今度は何が原因だ?」
 先に口を開いたのは静雄だった。
「いざやがおれのことシズちゃんとか呼ぶのがむかつく」
 臨也は負けじと言い返した。
「シズちゃんだっておれのことノミむしってゆっただろ!」
「今日はゆってない!」
「いつもは言うだろ!」
「あーもうストップストップ!」
 正臣が声を大きくして、臨也と静雄の頭に手を置いた。
「お前ら二人とも悪いぞ。人の嫌がることをしちゃだめだって教えただろ?」
 正臣は真剣な顔でそれぞれの目を見て続けた。
「俺の言ってることわかるか?」
 臨也は頷いた。静雄も同じように首を振る。
 正臣は微笑んだ。
「じゃあもう変なあだ名で呼ばないこと。あと臨也はお兄ちゃんなんだから、もうちょっと仲良くできるよな?」
 臨也は顔をこわばらせた。まただ。お兄ちゃんだから。いつもそれで片付けられる。つまり臨也がたくさんがまんして静雄と仲良くしなければならないということだ。静雄は弟だから。臨也はお兄ちゃんだから。
 本当の兄弟でもないのに。
「シズちゃんなんか弟じゃない!」
 臨也は叫んでいた。
 正臣が驚いた顔をして、それからすぐに悲しそうな表情になった。それを見た臨也は自分が言ってはならないことを口にしたことに気付いたが、どうすればいいのかもわからなくて、逃げるように自分の部屋へ走った。
「臨也!」
 後ろから正臣の声が聞こえたが、無視して扉を閉める。そこに背中をつけ、ずるずるとその場に座り込んだ。
 あんなこと、言わなければよかった。臨也はもう後悔していた。正臣があんな悲しそうな顔をするなんて。そんなのは臨也の本意ではなかった。
 でも、臨也だって悲しかったのだ。正臣は最近、静雄のことばかり気にかけるし、運動会も授業参観も静雄が優先だ。臨也はそれが嫌だった。さっき正臣は、人の嫌がることをするなと言ったが、臨也にとっては正臣が静雄にばかり注意を向けることが嫌なことだった。
 ひょっとして自分は嫌われてしまったのだろうか。だから正臣は臨也に嫌なことをたくさんするのだろうか。正臣には静雄がいるから自分はもういらなくなってしまったのだろうか。
 臨也は膝を抱えて静かに泣いた。正臣が部屋にやってくる気配はない。今までだったら追いかけられてまで叱られることもあったのに、やっぱり正臣は静雄のほうが大事だから、自分のことなんてどうでもよくなってしまったのだ。
「やだよ……正臣君……」
 ダイニングからは食器の音が聞こえてくる。たとえ自分がいなくとも、いつも通り夕食は始められる。さみしさと悲しさで臨也は涙が止まらなかった。


 どれくらいそうしていただろうか。途中、臨也は泣き疲れて眠ってしまった。目を覚ますと床に座っていたせいで体が痛かった。今は何時だろう。時計を見る気力もなく、臨也は電気を消してベッドに入った。まだ風呂にも入っていないが、もうどうでもよかった。
 再びうとうとし始めたころ、ノックの音が聞こえた。
「臨也」
 扉の向こうで正臣が呼んでいる。臨也が何も言わずにいると、ゆっくりと扉が開いた。
「寝てるのか?」
 臨也は正臣に背を向ける形でベッドに横たわり、じっとしていた。正臣は静かに部屋に入り、扉を閉めると近づいてきた。
「臨也」
 ベッドの前に立った正臣に再び呼ばれ、臨也は目を閉じた。どうやら正臣にはたぬき寝入りがばれているようだったが、あくまで寝たふりを決め込んだ。一体どんな顔をすれば、何を言えばいいのかわからなかった。
 壁の方を向いたまま目を閉じて黙っていると、いきなり布団がめくられ、正臣が体を滑り込ませてきた。
「なっ……」
 臨也は思わず目を開けて正臣を振り返った。間近で、いたずらっぽく笑う正臣と目が合った。
「やっぱり起きてた」
 背後から腕を回され、臨也は戸惑った。
「な、なんで入ってくるの」
 狭くなったベッドの上で身じろぐと、しっかりと抱きしめられた。
「まあまあ。久しぶりに一緒に寝ようぜ?」
 本当に久しぶりに感じる正臣の体温に、臨也は胸がどきどきした。
「お、怒ってるんじゃなかったの?」
 緊張しながらやっとのことでそう尋ねた。本当は直截に、俺はもういらないの? ときいてしまいたかったが、さすがにそこまでの勇気はなかった。
 正臣は片手を臨也の体に回したまま、もう一方の手で頭をなでた。
「怒ってるよ。静雄はお前の弟だ。あんなこと言っちゃいけない」
 やっぱり怒っているのか。臨也は正臣の腕の中で身を固くした。
「でも、俺も悪かった。さみしい思いさせてごめんな」
 臨也は驚いた。なぜ正臣が謝るのだろう。
「静雄は臨也より小さいし、まだうちにきたばっかで慣れてないこともあるし、色々心配だったんだ。だからつい静雄にばっか注意がいってたけど、そのせいでお前にはさみしい思いさせたよな。お兄ちゃんだからって、たくさんがまんさせたと思う」
 優しい声で、正臣は再びごめんな、と言った。
「おれはいらない子じゃないの……?」
 臨也は恐る恐る尋ねた。すると、正臣の腕の中で強引に体を反転させられた。
「マジで言ってんのか? それ」
 すぐ近くにある正臣の顔は怒っているようだった。臨也は顔をゆがめた。
「だって、おれ、正臣君にきらわれたんじゃないかって……」
 言葉にすると涙が出た。正臣がぎょっとしている。彼の前で泣いたのも久しぶりだ。
「あー……ごめん。俺が悪いんだよな。でも、臨也をいらないなんて思うわけないだろ? 臨也も静雄も、俺の大事な家族なんだから」
 今度は正面から抱きしめられ、臨也は正臣のシャツに顔をうずめた。いつも使っている洗剤のにおいと、正臣のにおいがして、臨也は安堵した。
「ごめんなさいっ……正臣君……ごめんなさっ……」
 臨也はしゃくりあげながら謝った。
「うん。後で静雄に謝ろうな」
 臨也は頷いて、正臣のシャツをぎゅっとつかんだ。
「よし。じゃあ落ち着いたら飯食えよ。腹減っただろ」
 正臣は臨也の腹部をさすった。
「ははっ、ぺこぺこだ」
 そう正臣が笑った瞬間、臨也の腹が鳴った。正臣が爆笑する。
「そ、そんなに笑わないでよ!」
 臨也は恥ずかしくて顔が熱くなった。正臣に強く抱きしめられる。
「わっ、正臣君くるしい……」
「だってかわいいんだよお前!」
 しばらくそうしていると、正臣が静かに言った。
「大事だよ。臨也も静雄も、俺にとっては同じだけ大事だ。二人ともかわいい。だからもう、心配するなよ」
 また涙が出そうになって、臨也は鼻をすすった。静雄とこれから仲良くできるかはわからないが、その努力はしようと思った。正臣が今日、ふさぎこんでいた臨也に歩み寄ってくれたように、臨也も歩み寄る努力をしてみよう。
「正臣君、おなかすいた」
 ぽつりと言うと、正臣は笑って、臨也の頭をなでてから腕をほどいた。
「じゃあ飯食いに行くか。今日はハンバーグだぞ」
 臨也は正臣と二人でダイニングに出て行った。そこで、静雄はソファに座ってうとうとしていた。臨也が近づくと目を覚まして、不思議そうに見上げてきた。
「シズちゃん、さっきはひどいこと言ってごめんね」
 さっそく謝ると、静雄は大きな目をしばたたいて、それからちょっとむすっとした顔をした。
「もういい」
 怒っていないわけではないのだろうが、一応は許されたようだ。臨也は安堵した。その様子を近くで見ていた正臣は、ぱん、と一度手を打った。
「よし! 仲直りもできたことだし、臨也は飯! 静雄は風呂!」
「はーい」
 異口同音に返事をして、静雄は風呂場に向かい、臨也は食卓についた。間もなく、温めなおされたハンバーグが臨也の前に置かれた。
「いただきまーす」
 臨也は正臣の手作りのハンバーグを口に運んだ。
「おいしい!」
 空腹だから余計にそう感じるのだろうか。しかしそれだけではない。正臣の作ってくれる食事はいつもおいしいことに臨也はすぐに思い至った。
「おいしいよ、正臣君」
 もう一度、正臣の方を見て感想を口にすると、彼は嬉しそうな顔をした。
「そりゃよかった。たくさん食べろよ」
 正臣が笑うと臨也も嬉しい。これからも、彼の笑顔をたくさん見られたらいいと思う。そんなことを考えながら、臨也はハンバーグを味わった。

20101031
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