寝室にこもらず事務所でだらだらしていたのはとうてい一人で耐えられる気がしなかったからだ。ここなら少なくとも波江がいて、今日の彼女はなんだか優しかった。心配そうに声をかけられたりそっと汗をぬぐわれたりするとくらりときてしまう。いっそ彼女相手にこの熱を発散させてしまおうか、というのもわりと本気で考えた。俺、波江さんのこと結構好きなんだよね、と臨也は思ったが、さすがに彼女はそこまでの面倒はみてくれないらしく、かわりに誰かを呼んでくれたようだった。やっぱり優しいよ今日の波江は。
 臨也はソファになつくように座面に身を沈めていた。体の熱はいまだおさまらない。風邪を引いて発熱したときのように、肌に衣服が触れるだけでぞわぞわと寒気がした。顔も熱い。きっと赤くなっているのだろう。こんな状態を人に見られるのか、と思うと情けない気持ちの中に羞恥と若干の興奮が混じった。ああ、やっぱり変態だったのか、俺。臨也はソファに顔を伏せたままちょっと笑った。
 やばい、そろそろ限界かもしれない。一度抜いてこようかなあでも一回出したら絶対歯止めがきかなくなるよなあなんて思っていたときインターホンが鳴った。波江の呼んでくれたらしい誰かとやらがきたようだ。誰か、の想像はついていた。こういう状況で呼び出せる人間の中に臨也と波江の共通の知り合いは一人しかいない。
 数分後、波江とともにご機嫌な様子で事務所に入ってきた誰か、紀田正臣はほがらかな笑い声をぴたりととめた。
「え……なに、これ……」
 この様子だと波江から事情はきかされていないらしい。当たり前か。そうじゃなかったら彼がのこのこやってくるはずがない。
「やあ正臣君、今日も元気そうでいいね」
 どうにかソファに起き上がって、それでもだらしなく背もたれに寄りかかりつつ正臣を見る。
「喧嘩売ってんすか? つか何この状況……波江さん?」
 正臣は顔を引きつらせて波江を見た。
「一目瞭然でしょ? 私の手に負えない事態が発生したから、あなたに丸投げすることにしたの。これが私のお願い」
「いやぜんぜん状況が把握できてないんすけど……」
「詳しくは本人からきいてちょうだい」
 波江は説明するのも嫌、みたいな顔で言った。正臣は俺だって嫌だ、みたいな顔をしたが、波江にお願いとまで言われてしまった手前、断れないのか気が進まない様子でソファに近づいてきた。どんな状況でも美人の頼みをむげにはできないらしい。つくづく女っていいよな、と臨也は思った。
「いったいどうしたって言うんすか?」
 眉間にしわを寄せて、不快感を隠そうともせず正臣が尋ねた。
「ほんとにわかんない?」
 臨也はじっと正臣を見た。彼はその視線にも嫌そうな顔をしたが、意味は伝わったようだった。
「なんかやらかしたんすね」
 どうとでもとれる言葉を吐いて、正臣はため息をついた。
「あー……波江さんの頼みじゃなかったら絶対にこんなこと死んでも……」
 もはや正臣は臨也の状態を正確に理解している。その上で自らに与えられた役割について苦悩しているようだ。いつもの彼なら問答無用で帰る、と言って出て行きそうなものなのに、ほんと波江ってすごい。うらやましい。
「あのさ、正臣君、悩むのもいいけどいい加減俺が限界なんだよね。頭と体は別々に動くんだし、やりながら悩まない?」
「あーマジ最低っすよ。恨みますよ臨也さん」
「恨んでもいいからさ、頼むよ……」
 ああやばい。なんか泣きそうになってきた。誰かに触れたくて、触れてほしくてたまらない。
「この埋め合わせはするし、欲しがってた何とかってブランドのジャケットでもブーツでも買ってあげるし、なんだったら波江とデートしてきてもいいからさ」
「なんで波江さんとデートするのにわざわざあんたの許可がいるんすか」
「こんなことでもないと波江とデートなんてできないよ?」
 ねえ波江、と部屋の中に彼女の姿を探す。自分の役目は終わったとばかりに口を閉ざしていた彼女はパソコンに向かって事務仕事を片付けているようだった。ああごめんね波江。俺がこんなことになったばっかりに、そんなOLみたいな仕事させちゃって。
「そうね。私としてもただ働きさせるのは心苦しいわ。こんな嫌な仕事を押し付けるからには相応のお礼はさせてもらうつもりだけど……今度食事でもどうかしら?」
 波江は微笑んだ。魅力的な表情だった。年下の男の子を丸め込むのなんてたやすいのよ、とでも言いたげだ。ずるい。
「……映画もつけてください」
「いいわよ。買い物も付き合いましょうか?」
 正臣は複雑そうな表情で頷いた。
「決まりだね」
 臨也は正臣の腕をつかんで引き寄せた。
「わっ、臨也さ、まっ」
「もう十分待っただろ。これ以上は無理だよ」
「えっ、あ、ちょっ、まさかここでっ」
 体勢を崩してソファになだれ込んできた正臣の唇をふさぐ。彼の皮膚の冷たさに驚いたが、すぐに自分が熱いだけだと気づいた。
「臨也さん、なんかあつっ……」
「だから言ってるだろ? つらいんだよ、すごく」
「せめベッドに……」
「そんな余裕あるわけないだろ」
 噛み付くようにキスをしながら正臣のシャツを捲り上げようとしたら全力で抵抗された。
「ちょ、なに?」
 もう一分でも一秒でも待てない。人の肌の感触を知ってしまった今、欲求は最大まで高まっていた。いらだたしげに正臣を見ると、彼も負けじと睨み返してきた。
「ここじゃ無理です。こんな、波江さんもいるのに……」
 何を処女みたいなことを、と思いながら波江を一瞥すると、彼女はこの部屋には自分以外誰もいないような顔をして仕事に専念していた。そう、気にするはずがないのだ、彼女が。

20101003
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