冷房をつけっぱなしで眠ってしまったらしい。朝、目が覚めると少し喉が痛かった。部屋の空気は乾燥していて肌寒い。それでも手を伸ばした先にある人肌のぬくもりに臨也は安堵した。
「おはよう」
 隣にいる正臣はすでに身を起していて、下半身だけベッドに残したまま携帯電話をいじっていた。
「おはようございます。よく寝てましたね」
「ん、そうだった?」
 まだ完全に覚醒しきっていない頭が重い。冷房のせいか体もだるい。すぐそばにある正臣の腰に腕を回すと、彼はくすぐったそうに身をよじった。
「臨也さん?」
「寒い……そして眠い」
 正臣は臨也の頭を優しくなでた。
「ちゃんと冷房切ってから寝ればよかったですね」
「うん」
「今からでも切りますか? 臨也さん、そうしてるとリモコンが取れないんですが」
「このままでいいからもうちょっとだらだらしよう」
 まどろみが気持ちよくてなかなか抜け出せない。臨也は正臣の体をベッドの中に引き戻した。
「誰とメールしてたの?」
 正臣にひっついたまま尋ねると、彼は一瞬ためらった様子を見せた。
「静雄さんです……昨日ipod忘れてきちゃって、連絡くれたから」
「シズちゃんか……」
 昨日の今日で何も思わないはずはなかったが、臨也は口を出さないことにした。昨夜はとにかく頭にきていたが、静雄の言ったことはすべて正しい。あれは自分への助言と思って謙虚に受け止める努力をしよう。そんな風に考えられるようになっただけでも成長したものだ。
「正臣君あったかいね」
 抱きしめた正臣の体にぐりぐりと頭を押し付ける。冷たくなった肌に触れる彼の体温が心地いい。
「どうしたんですか? 今日はずいぶん……」
 正臣の声は困惑気味だ。臨也は唇の端を持ち上げた。
「甘えてるかな。でもなんか、こういう感じも楽でいいかなって思うよ。安心する」
「そうですね……」
 同意しつつも、正臣は複雑そうだった。それはそうだろう。彼は釈然としていないはずだ。不満も不安も抱えている。それでも、今こうしている間に、ほんの少しでも自分と同じ感覚や気持ちを共有できていればいいのに。臨也はそんな風に思った。
 今、この瞬間に得られている安堵が、一体いつまで続くものなのかはわからない。すぐにまた、互いの腹を探り合うような、居心地の悪い関係になってしまうのかもしれない。
 この関係、この気持ちは世間一般にいう恋にまつわるものではないのだろう。もっと重くて淀んだものをはらんでいる。それでもいつか、今よりももっと穏やかなものへと変化を遂げるかもしれない。そしてこの気持ちもただの恋になってしまうのかもしれない。何も特別ではない、彼がこれまで多くの人間に向けてきたその感情がどんなものなのか、臨也はまだ知らない。
「正臣君」
 呼びかけると間近で目が合った。彼が子供のころから知っている。高校に入りたてのころは、まだあどけない顔立ちをしていた。今も時々子供のような表情を見せるけれど、顔つきに幼さは残されていない。微妙な加減で寄せられた眉や、視線の向け方一つとっても、彼はもう子供ではない。
「キスしてくれる?」
 子供ではないから、大人の要求をすべて受け入れるいわれもない。あのころはほとんど選択の余地を与えなかったが、今は違う。彼は自分で考え、自分で選ぶことができるのだ。彼を縛る気は毛頭なかった。自ら選んでもらわなければ意味がない。
 正臣はしばらく臨也を見つめて、それから瞳を細めた。
「目、閉じてください」
 言われるがまま、臨也は瞼を下ろした。頬に、正臣の温かな手が触れる。次いでそっと唇が重ねられた。柔らかいそれは触れただけで、ゆっくりと離れていく。そこで感じていたぬくもりが消失するとともに、臨也は瞳を開けた。
「満足ですか?」
 少し困ったように、照れたように正臣が笑う。臨也もつられて頬を緩めた。
「そうだね。昨日の浮気はこれでチャラにしてあげようかな」
「げっ、まだんなこと言ってんすか? 昨日めちゃくちゃやったくせに……」
「めちゃくちゃ気持ちよかった?」
「黙れ。ていうかあんなん浮気のうちに入らなくないっすか?」
「それは俺が決めるよ」
 微笑みかけると、正臣はむっとした顔をした。
「それを言うならあんたはどうなんすか?」
「何が?」
「浮気。しょっちゅう女のにおいつけて帰ってくるじゃないですか」
「ああ、なに、嫌なの? 俺からほかの女のにおいがするのは」
 正臣は一瞬言葉に詰まり、眉をひそめたが、やがてあきらめたように溜息をついた。
「そうですよ。嫌です。嫉妬するんです」
「へえ、今日は素直だね」
「臨也さん相手に意地張ってても仕方ないって思っただけですよ」
「ふうん。じゃあその素直さに免じて俺もちょっと自粛しようかなあ」
 珍しく殊勝なことを言ったつもりだったが、正臣はどこか悲しげに笑った。
「結局俺が折れるしかないんですね」
 彼のその顔を見たとたん、臨也は失敗したと思った。内心、少しあせる。彼にそんな顔をさせたいわけではなかった。
「ごめん」
 思わず抱きしめると、正臣は驚いた様子で声を震わせた。
「い、臨也さん?」
「そういうつもりじゃなかった。甘えてるのはわかってたけど、自分を通したいわけじゃないんだ。ただ……」
 うまく言葉が出てこない。もどかしさに眉を寄せると正臣は苦笑した。
「もういいですよ。わかってます。なんだかんだ言っても、そういう臨也さんも俺は嫌いじゃないんですよ。やっぱすげー執着してんでしょうね。いろんな意味で」
 執着。この関係の根底にあるのはやはりそれだ。今はそれでもいいと思う。むしろ下手な恋愛感情よりずっと貴重な気さえする。しかし、それがこの先、別のものに変わったとしても、それはそれで構わない。ただ、その時の関係が、互いにとって、今よりも居心地のいいものであればと思う。
 もう一度、正臣の方からキスされた。唇を合わせながら臨也は、そのためには少なからず努力をしなければならないのだろうと考えた。今後の関係がどうなるかはそこにかかっているはずだ。静雄も言っていたとおり、もっと大事にしなければならないのかもしれない。
 唇を離すと、正臣は笑みを浮かべていた。
「なに?」
「いや、今日の臨也さん、なんかかわいいなと思って」
「そう?」
 微笑んで、腕の中の体を抱きしめる。そのぬくもりを確かめるように。
「正臣君」
「なんですか?」
「後でキッチン貸して。今日は俺が料理作るよ」
「いいですけど……できるんですか?」
「俺に不可能はないよ」
「料理は理屈じゃなくて経験とセンスがものを言うんすよ」
「まあ、食べられるものができるように努力するよ」
 そう、努力しよう。
 この先にある関係が、今よりもいいものであることを願って。
 この気持ちが、より良いものへと変化することを願って。
 大事にしよう。
 この関係、この気持ち、まだ知らない恋のために。

20100902
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