「馬鹿みたいっすよね。臨也さんだって、俺が一言、やきもち焼くからやめてとか言えば、しばらくはおとなしくなるんでしょうけど」
「それも馬鹿みたいだな。悪いのはあいつなのに、なんで紀田が折れなきゃなんねえんだ」
「ですよね」
 正臣は缶をテーブルに置いた。
「なんで俺ばっかこんな思いしなきゃなんねえんだって感じですよ。いくら嫉妬しないようにしたって、その時点で俺はもうあの人のことばっか考えてるんすよ。あの人と、見たこともない女の関係にもやもやして、イライラして、なんで俺ばっかり……」
 溜息をついて、正臣は静雄を見た。
「すいませんまた愚痴っちゃって。もう終りにした方がいいって思います?」
 静雄は四本目の缶も空にして、短くなった煙草を消した。目元と頬のあたりが少し赤くなっている。
「俺は口出ししねえっつったろ。愚痴だって、さっきはお前の気持ちがわかんなかったからああ言ったけどな、今はもう、お前があいつのこと好きなのもわかったし、愚痴って楽になるならいくらでもきいてやる」
「静雄さん……」
 本当にこの人は丸くなったなあと、正臣は感動した。昔の彼なら人の愚痴をそれも天敵である折原臨也の愚痴をきくなどありえないというかその名を口にしただけで相手を殺す勢いだったのに、人は変わるものである。臨也も変わるのだろうか。
「ま、でも確実に臨也の奴は調子にのってやがるな。あいつのことだから紀田が嫉妬のそぶりを見せなかったとしても、おもしろくねえと思ってんのはお見通しだろうよ。お前がこうやってあいつのことで悩んでるってだけで、あいつにとっては最高におもしろい展開だな」
「やっぱ読まれてますよね……腹立つな、ほんと」
 どんなに正臣が無関心を装おうと、気付いていないふりをしようと、臨也はすべて知っているのだ。その過程で生じる正臣の意地も、苦悩もすべて知った上で満足げにほくそ笑んでいる臨也の顔が頭に浮かぶ。
 このままでいいのだろうか。いや、そんなはずはない。かといって正臣が折れるのもどうかという話だ。あの男はますますつけ上がるだろう。
「紀田、ちょっとお前あいつに電話しろ」
「は?」
 どういうことだろう。静雄が臨也に文句を言ってくれるということだろうか。しかしそんな義理はないはずだ。第一、静雄は臨也を嫌っている。電話越しでも話すのは嫌なのでは……。
「紀田、早くしろ」
「えっ、あ、はい」
 よくわからないまま、正臣は臨也の携帯の番号を呼び出した。電話を耳に当て、臨也が出るのを待つ。静雄は変わらず煙草を吸っている。
「もしもし、どうしたの? 珍しいね、君から電話くれるなんて」
 もう遅い時間だが、臨也は外にいるようだった。少し嬉しそうな彼の声に混じって、車やバイクのエンジン音や、街のざわめきが聞こえてくる。
「いや、どうもしてないんですけど、静雄さんが」
「はあ? なに、シズちゃんと一緒なの?」
 正臣が言い終わらないうちに、臨也が嫌そうな声を上げた。
「今、静雄さんちで飲んでるんすよ。それで」
「え、つまり二人っきり? しかも家で飲んでるって、何それ、浮気?」
「は? なんで?」
「だって二人で飲んでるんだろ! どんな間違いが起きてもおかしくないじゃないか!」
 駄目だ。話にならない。正臣は耳から電話を離して静雄を見た。
「あいつ、なんだって?」
「静雄さんちにいるって言ったら浮気か? ってキレられました」
「相変わらずぶっとんでんなあ」
 あきれたように笑って、静雄は腰を上げると正臣の隣に移動してきた。煙草を灰皿にひっかけて、正臣の携帯を取り上げる。
「よお、てめえこそ何やってんだ? こんな時間にまだ外にいんのかよ」
 静雄は臨也と話し始めた。近くにいるので臨也の声も多少は聞こえたが、何を言っているのかまではわからなかった。
「ああ? てめえもそんな偉そうなこと言えねえだろ」
 会話の内容はわからないが、やはり雰囲気はあまりよくない。正臣は内心はらはらしながらも大人しく静雄の横で酒を飲んでいた。灰皿に放置された煙草が燃え尽きかけていたのでそれを消していると静雄と目が合った。
 静雄はまだ臨也と話している。まさか本当に臨也に文句を言ってくれているのだろうか。それもそれで申し訳ないというかいたたまれないと正臣が悶々としていると不意に静雄に腕をつかまれた。
「えっ?」
 そのまま引き寄せられて、ずいぶん近いところに静雄の顔がある、と思った時には彼と唇が重なっていた。


 通話の途切れた携帯電話を握りしめて、臨也は走っていた。幸いここは池袋で、静雄の家までさほど遠くない。それでも、終電の迫ったこの時間、駅に向かう人々の流れが臨也の行く手を阻んだ。わずらわしい。みんな消えてしまえばいいのに。何度目かの舌打ちをして、臨也は裏道に入った。


「ななななにすんすか静雄さん!」
 数分前、それまで静雄と話していたはずなのに、電話の向こうで上がった正臣の声に、臨也は眉をひそめた。
「ちょ、静雄さっ」
 しかもなんだかただ事じゃない雰囲気だ。嫌な予感がする。
「シズちゃん! 正臣君に何してんだ!」
 臨也は携帯電話を握りしめて怒鳴った。しかし、それに対する返答はない。
「わっ、静雄さんマジちょっと待っ、ん!」
 正臣の声の調子が変わった。口をふさがれたような、くぐもった声が聞こえる。
「おい、きいてるか臨也。あんまり調子こいてっとなんかあっても知らねえぞ」
「ちょ、シズちゃんそれどういう」
 通話はそこで一方的に切られた。


 その後、すぐにかけなおしてみたが電話はつながらなかった。試しに静雄の番号にもかけてみたが結果は同じだった。
 まだ何かあったと決まったわけではない。ただのお遊び、自分への当てつけ。酒を飲んでいるようだったから、十分にありうる。しかし、電話越しに正臣の焦りを含んだ声を聞いたとき、いてもたってもいられなくなった。
 大方、正臣が酔った勢いで静雄に愚痴でもこぼしたのだろう。それはべつにいい。いや、おもしろくはないが、今まであの二人の関係を疑ったことはなかった。静雄のことを信用していたとかではなく、彼にそんな甲斐性があると思っていなかったわけでもなく、正臣は自分への執着を捨てられないだろうと思い上がっていたのだ。
 惚れているとは言わない。彼から向けられている感情が恋情だとは思っていない。しかしそれがよかった。彼が今まで恋したどの相手に向けたものとも違う想いを、自分は独占しているのだ。それが心地よくてたまらなかった。
 そして彼が自らの想いに疑問や迷いを抱えて揺らぐ様を見るのが好きだった。嫉妬も好ましい。適当に遊んだ女の痕跡を見つけた彼が、複雑な胸の内を悟られまいと取り繕う様子が愛おしい。
 しかし、それは慢心だったらしい。いや、正臣の自分への想いに変わりはないだろうが、それが裏目に出た。
 シズちゃんめ。臨也は忌々しく思った。
 昔から、彼だけは苦手だった。何を考えているのかわからない。全く思い通りにならない。まさか、彼が正臣に手を出すとは思っていなかった。いや、もしかしなくてもこれは臨也の杞憂なのかもしれない。そうであってくれ、と強く願った。
 もし相手が静雄ではなく別の誰かだったら、自分はここまで取り乱しただろうか。わからない。ただ、やはりおもしろくはない。静雄であろうとほかの人間であろうと、自分のものだと思っていたのに、手を出されるのはたまらなく不快だ。

20100831
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