正臣がどんなに情けないことを言っても、沙樹は優しかった。しかし、さすがに彼女にすべてを話すことはできなかった。
 せめて食事はおいしいものを作ろうと思い、正臣は一人でスーパーに出かけた。時刻はすでに七時を回っていた。本当なら今頃はもんじゃ焼きを食べに店に入っているはずだった。食事を作るという約束ではあったが、どうせ出かける予定だったし、沙樹には店でがまんしてもらうつもりだった。しかし、正臣のせいで一日の予定が狂ってしまったため、結局自宅でもんじゃ焼きを作ることになった。
 沙樹は家でキャベツを刻んでくれている。おいしいの作ってね、と彼女は笑顔で正臣を送り出してくれた。そんな彼女のためにも、早く気持ちを切り替えなければならない。
 正臣は冷房の効きすぎで肌寒い店内を歩き回り、必要な物をかごに入れていった。


「なんかお店のと違うね」
 沙樹がそう言ったのはもんじゃ焼きではなく、正臣が百円ショップで買ってきた竹製のはがしについてである。
「ホットプレートのときは鉄のはがしだと傷がつくってなんかに書いてあったからさ」
「ふーん」
 しばらく興味深げにはがしを見つめていた沙樹は、やがてそれを使ってもんじゃ焼きを食べ始めた。さすがに臨也と違って慣れている。彼のようにもんじゃをはがしにのせて口に運ぶようなことはしない。
「うん、おいしいよ」
 沙樹は笑顔で感想を述べた。彼女の明るい振る舞いに救われると同時に、正臣は罪悪感で胸が苦しくなった。しかし、それを彼女に悟られるようなことはあってはならない。そう思うのに、正臣はまたしても臨也のことを考えていた。
 彼ともんじゃ焼きを食べに行ったとき、彼はそれを店のあの雰囲気の中で食べるからおいしいのだろうと言っていた。確かに正臣は今、あのときの半分の食欲もわいてはいなかった。しかしそれは今のこの精神状態によるものなのだろう。わかっている。わかっていたが、沙樹との食事の最中に、臨也の言葉を証明させたはくなかった。
「何考えてるの?」
 座卓を挟んだ向こう側で、沙樹が変わらず笑顔できいてきた。
「何も考えてねえよ」
「そう? なんかぼーっとしてたよ」
「ちょっと運動しすぎたなーってさ」
「うわあ、サイテー」
 ひどい冗談に笑いながらも、きっと沙樹は気付いているのだろう。正臣は今、平静を装えている自信が皆無だった。胸の内はいまだもやもやしていて、気を抜くと作り笑いさえ忘れそうになった。それでも沙樹は、無理に笑わなくていいとも、事情を話せとも言ってこない。彼女だって文句を言いたいことの一つや二つあるだろうに、あくまで気付かないふりをしてくれる。そこに甘えてしまうかわりに、できるだけいつも通り振る舞うことが正臣の義務だと思った。
「よし、食うか」
 正臣は意気込むと、ちっとも食欲をそそられないもんじゃ焼きを無理やり口に入れた。


 十時過ぎに沙樹が帰ると言うので、正臣は彼女を送って行った。
「帰りたくないなあ」
 街灯に照らされてぼんやりと光る道を歩きながら、沙樹が言った。彼女がそんなことを言うのは珍しい。正臣は思わず隣をうかがった。
「なんてね、冗談だよ」
 にっこりと笑って、彼女は先の言葉をなかったことにする。
「もう一日泊まってくか?」
 前言を撤回された後だったが、正臣はきいてみた。沙樹は苦笑する。
「そうしたいのは山々なんだけど、明日朝からバイトなんだ。今帰らないと絶対行きたくなくなっちゃうから」
「そっか、だよな……」
 彼女には彼女の生活がある。正臣もそうであるように、沙樹だって常に時間が空いているわけではないし、今回のように予定が合うことの方が稀なのだ。それを正臣はいつも勝手な都合で一方的に連絡を断ったり、また突然思い至って呼び出したりしていた。つくづく身勝手な男だ。
 彼女ほどの女なら言い寄ってくる男は大勢いるだろう。それでも、彼女はまだ自分のことを好きだと言ってくれる。そんな彼女に愛しさが込み上げてきたが、今はそれよりも申し訳なさでいっぱいだった。本当に、こんな中途半端な気持ちのまま関係を続けていてもいいのだろうか。いっそ別れを切り出した方が彼女のためにも自分のためにもいいのではないか。己を苛む罪悪感からの逃避の手段を考えていたとき、不意に彼女に手を握られた。
「正臣」
 足を止めた彼女につられて、正臣も立ち止まる。
 街灯の下の沙樹の顔は白く、真夏の風一つない蒸し暑い夜の中にあって、そのなめらかな肌に一粒の汗も浮かべてはいなかった。
 虫の声が聞こえる住宅街で、彼女と正臣はしばし見つめあった。半そでのシャツやハーフパンツから伸びる手足に生温かい外気がまとわりつく。正臣はそれを不快に思ったが、視線の先の彼女は熱帯夜のうっとうしさなど微塵も感じさせない涼しげな顔をしていた。美しく整った顔の、澄んだ瞳がそう思わせるのかもしれない。その証拠に、触れあった手からは室内にいるときよりも確実に高い彼女の体温が伝わってきた。つないだ手はたちまち汗ばんでいく。
「好きだよ」
 ぽつりと、沙樹は言った。
「正臣が好き。正臣が何を思っていても、何を考えてても、私は正臣が好き」
 ゆっくりと、言い聞かせるように言葉を発しながら、彼女は微笑んだ。
「正臣に言われたからじゃないよ? 私は私の意思で、正臣を好きなの。ほかの誰の言葉でもない、これは私の本心。だから心配しないで」
 静かに距離を詰めて、彼女は正臣の体に腕をまわした。胸のあたりにある彼女の頭を、正臣はそっとなでた。愛しさと切なさで心臓がうずいた。しかし、先日電話越しに彼女がしてくれたように、すぐに同意の言葉を返すことはできなかった。
 俺も好きだよ。
 そう喉元まで出かかった言葉は結局声にならず、いつまでも正臣の頭の中で暗示のように鳴り響いていた。

20100817
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