翌日、正臣は昼前には臨也のマンションに到着していた。彼は相変わらず新宿に住んでいる。 料理などしない彼にはもったいない立派なキッチンに立って、正臣はスーパーで買ってきた麺をゆでながらスープを湯せんし、昨夜作ったチャーシューを切っていた。肉と一緒に煮た卵も持ってきたため、なかなかに豪華なつけ麺が完成した。 テーブルに運んで、臨也を呼ぶ。 「わ、すごい、チャーシューまでのってる。これ紀田君が作ったの?」 「ええまあ」 席に着いた臨也に麦茶を渡して、正臣も向かいに座った。 「いただきます」 臨也がスープにつけた麺をすする。 「つけ麺てさあ、麺は冷たいのにスープはあったかいんだね」 やはりよくわからないまま食べたいと言っていたらしい。 「でもおいしい。これチャーシューすごいね。正臣君って実は料理うまいよね。好きなの?」 「そうでもないですよ。たまにネットとかで誰かのブログにあったレシピ見て、へーこんなもんも作れんだって思って、うまくできたら嬉しいですけど、ほんとたまにしかやらないし。最近はチャーシューに凝ってましたけど」 「へえ、じゃあそのたまの一回にありつけた俺はラッキーってわけだ。なかなかいい気分だね」 ラッキーも何も、それは正臣が臨也のために作ったものだった。自覚してしまうと食欲が薄れたが、せっかく手間をかけたので食事に集中することにした。 食後、仕事部屋に移って臨也のデスクワークを少しだけ手伝った。作成した書類のチェックをしてもらっていると、臨也のデスクの端にのった、葉書サイズのしゃれたカードが目にとまった。手に取ってみるとファミリーセールの招待状のようだった。 「ああそれ、ジュエリーのセールなんだけど行く?」 書類から目を離して臨也は正臣を見た。 「お得意様かなんかですか?」 会場は原宿だった。地図も載っていて、なかなかいい場所だとわかる。 「ていうか、お父さんがジュエリーデザイナーですっていう子と知り合いでさ。毎年招待状もらうんだけど、いまいち気分がのらなくて」 「へえ、相変わらず手広くやってますね」 嫌みのつもりだったが、臨也は全く意に介した様子はなかった。 「正臣君興味あるなら一緒に行こうよ」 「ジュエリーのセールにっすか?」 「宝石だけじゃなくてシルバーの物とかもあるみたいだけど、どっちにしろ男性向けではないね」 「だったら臨也さんも誰か女の子でも連れて行ったらどうですか」 「沙樹ちゃんとか?」 正臣は眉をひそめた。 「怒りますよ」 「正臣君にはいつも怒られてるから今更べつに怖くないなー」 「臨也さん!」 思わず声を荒げると、臨也は苦笑した。 「冗談だよ。君が嫌みばっかり言うからちょっと仕返ししたくなっただけ。君たちを傷つけるつもりはないよ。だからそんな顔しないで」 いすから立ち上がった臨也に頭をなでられる。 「これはあげるから、沙樹ちゃんと二人で行っておいで」 「でも……」 「ん? 先方には事前に連絡しておくよ」 「じゃなくて、嫌なんすよ……折原臨也の代理とか、もし何かあってあんたに迷惑かけたら」 「ずいぶんかわいいこと言ってくれるね」 臨也が笑みを浮かべた。 「大丈夫だよ。そんな堅苦しいもんじゃないし、代理じゃなくて友人って言っておくから。俺も別の日に顔出すし」 再びいすに座って、臨也は続けた。 「だいたい七割から八割くらい引いてくれるし、手が出せないほど高価な物ばかりじゃないから、沙樹ちゃんに何か買ってあげなよ」 正臣はどんな顔をすればいいのかわからなかった。臨也の厚意は嬉しい。しかし、自分に向けられたこの優しい微笑を、本当に信じていいのだろうか。かつての恐怖がよみがえる。もう何年も前のことなのに、まるで昨日のことのようにありありと。 しかし、心のどこかで彼を信じたいと思っている自分がいることに、正臣は気付いていた。 この人を信じたい。この人の優しさを疑いたくない。そんな自分が一番怖かった。 その夜、正臣は沙樹に電話をかけた。 「もしもーし、どちら様?」 笑い混じりに問うてくる彼女に、正臣も苦笑した。 「正臣君でーす。沙樹ーマジごめん! 久しぶり!」 一瞬の沈黙ののち、沙樹のため息が聞こえた。 「ほんとにね。あんまり放っておかれたからもう正臣の声忘れちゃったよ。明日くらいには顔も忘れる予定だった」 「それは困る! 沙樹に忘れられたら俺は生きていけない! ってまあ冗談はこの辺にして、マジでごめんな?」 「ふうん。正臣は私に忘れられても平気なんだ」 「平気なわけないだろー? マジで死んじゃうよ」 「じゃあ忘れられないように努力してよね」 「ああ。ごめんな、沙樹」 「うん、いいよ。もう許してあげる」 正臣は安堵した。同時に、久しぶりにきいた彼女の声に顔が緩む。 「忙しかったの? また臨也さん?」 沙樹は正臣が臨也の仕事を手伝っていることを知っている。確かに忙しいときは何日も外部の人間と連絡をとらなくなるが、今回はそこまで切羽詰まっていたわけではなかった。のんきに外食をしたり、自分の部屋に帰ってこられているのだから、全然ましだ。それなのに、もう一週間以上もの間、正臣は沙樹に連絡をしなかった。今日、臨也の口から沙樹の名前を聞いていなければ、最低でも後三日は彼女の番号を呼び出さなかったかもしれない。 その理由を、正臣は考えないようにしていた。沙樹のことは好きだ。その気持ちを疑いたくない。彼女に電話どころかメールの一通も返さなかった理由を考えることは、彼女への愛情を疑うことになると思った。 「ああ、あの人、相変わらず人使い荒くてさ」 正臣は沙樹にも自分にも嘘をついた。 「それで、これでチャラになるとは思ってないけど、明日時間あるか? 会いたいんだけど」 ベッドに転がり、昼間、臨也からもらった招待状を眺める。 「いいよ。ランチくらいおごってよね。私も正臣に会いたかった」 沙樹の声をききながら、正臣は目を閉じた。 彼女のことが好きだ。改めて思い、口に出すと沙樹は笑った。 「私も好きだよ」 20100812 << |