紀田正臣は鉄板を挟んで折原臨也と向かい合っていた。
 もんじゃ焼きが食べたい、と唐突に言ったのは臨也だ。正臣はそのリクエストをきいて、彼をもんじゃ焼きチェーン店に連れてきたのだが、いざ鉄板を目の前にしたところで、彼は言った。
「俺、もんじゃ焼きって食べたことないんだよね」
 ラミネートされたメニューを眺めながら、正臣君作れる? ときいてくる。
「じゃあなんで食べたいなんて言ったんすか?」
「食べたかったからに決まってるだろ? あ、これにしようよ、九十分食べ放題。飲み放題もつけよう。俺生ね」
「そんなに食えるんすか? 俺も生で」
 もんじゃ焼きの店に来ているのに、食べ放題のメニューにあった、焼きそばやたこ焼きにも心を惹かれてしまう。後で頼もう、と思いながら、先にもんじゃの味を決めることにした。
「臨也さん決まりましたー?」
 向かい側にいる男に視線を転じさせると、彼はすでにメニューを見ていなかった。
「まさか食べる気なくなったとか言いませんよね?」
 普段から飽きっぽい性格なのを知っているため、振り回されるのはごめんだと、こわごわ臨也をうかがう。
「は? そんなわけないじゃん。品書き眺めててもよくわかんないから君のおすすめを食べようと思って」
「えー……そういうのが一番プレッシャーなんですけど」
 口に合わないとか言われるのもなんか嫌だ。
「好き嫌いしないで文句言わずに食って下さいよ?」
 正臣は店員を呼んで定番の味をいくつか注文した。
「あと生二つ」
 すかさず臨也が付け足した。


 予想通りというか案の定というか、臨也の分は正臣が作ることになった。土手の中に生地を流し込む様子を、臨也はビールを飲みながら眺めていた。観察するようなその視線に少しだけ居心地が悪い。
「うまいもんだね」
 臨也が微笑んだ。
「こういうのにうまいとかないんで。はい、これてきとーにかき混ぜて下さい」
「ありがとう」
 土手の中の豚キムチもんじゃを慣れない手つきでかき混ぜる様子を見ながら、正臣はジョッキのビールを三分の一ほど減らして、誘惑に負けて早々に頼んでしまったたこ焼き作りに取り掛かった。鉄板の横にあるたこ焼き用の穴に油を塗って、生地を流し込み、たこやキャベツなどの具材を投入していく。並行して、カレーチーズ味のもんじゃをかき混ぜる。
「それもう食えますよ」
「あ、ほんと? じゃあお先」
 いただきまーす、と臨也ははがしでもんじゃを口に運んだ。初めて食べると言っていたくせに、そういう知識はあるらしい。
「あっつ!」
 もんじゃを口に入れたとたん、臨也は口元を押さえて涙目で正臣を見た。非難がましい視線を向けられて、正臣はピックでたこ焼きの生地をいじりながら嘆息した。
「鉄板ものなんだから当たり前でしょ。謝りませんよ、俺は」
「舌を火傷したよ。意地悪だなあ、紀田君は」
 熱をごまかすようにごくごくビールを飲む臨也を、正臣は微妙な気持ちでしばし見つめた。
「何? 同じ過ちは繰り返さないからもう大丈夫だよ」
 臨也は再びはがしにのせたもんじゃを、今度は慎重に冷ましてから口に入れた。
「うん。うまい。これはあれだね、店の雰囲気とかもあるんだろうね。家で作ってもあんまり食べたいとは思わなさそうだ」
「こっちのも食えるんでどうぞ」
 正臣はたこ焼きをひっくり返しながら、カレーチーズ味のもんじゃをすすめた。
「うん。ていうか正臣君、食べてないじゃん」
「俺は今たこ焼きをひっくり返すのに忙しいんすよ」
「それ楽しそうだね。ちょっとやらせてよ」
「いいですけど……」
 できるのか? と思いつつも、正臣は臨也にピックを渡した。一応手順を説明する。
「周りの生地と切り離して、こう一気にぐるっとひっくり返すんです」
「ん、こう?」
「もっとこう、ひっかける感じで思いっきり……臨也さん全然ひっくり返ってないっすよ」
「思ったより難しいな。結構簡単そうに見えたのに。あ、なんかぐちゃぐちゃになっちゃった」
「ちょ、もっと丁寧にやって下さいよ!」
「あーもう駄目だ。紀田君パス!」
「ひでえ……俺の傑作が見るも無残に……」
 臨也に荒らされた生地を丁寧にまとめて中に押し込みながら、正臣はどうにかたこ焼きの形を整えた。その間も臨也はのんきにもんじゃを食べていて、作業中の正臣に、はがしにのせたもんじゃを突きつけたりした。
「はい、あーん」
 正臣は一瞬臨也の顔を見たのち、促されるがまま口を開けた。特に人目は気にならなかった。
「うまいだろ?」
 なぜか臨也が誇らしげに言う。
「作ったの俺ですからね」
「ははっ、かわいくないねー」
「たこ焼きできましたよ」
 どうにかきれいに丸くなってくれたたこ焼きを、勝手に臨也の皿にのせる。正臣もようやくひと段落したので食事を始めた。
 それからはひたすら食って飲んだ。食べ放題など頼んだ割に、途中から鉄板の上のものを消化するのは正臣一人になっていた。臨也はひたすら酒を飲んでいる。
「やっぱいいねえ、若い子ががつがつ食べてる光景ってのは」
 顔色一つ変えずに何杯目かのビールを飲み干した臨也がオヤジ臭いことを言った。
「おっさんですね、臨也さん」
「君らからしたら年上はみんなおっさんなんだろ?」
「そんなことはないですけど、今の発言はおっさん臭かったです」
「ふーん。あ、そろそろラストオーダーくるよ」
 臨也は腕時計に視線を落とした。
「しめはお好み焼きでいきましょう。豚玉と海鮮、あとコーラ頼んどいてください。ちょっとトイレ行ってきます」


 少し酔ったかもしれない。手を洗いながら覗き込んだ鏡に映る顔は赤かった。目のふちの粘膜まで赤く染まっている。意識はしっかりしていたが妙に疲れてしまって、正臣は溜息をついた。
 何をやっているんだろう、と思わなくもない。自分はいまだ、折原臨也から逃れられずにいる。どうして素直に彼の言うことをきいて、彼のそばにいるのかわからなかった。表面上は、軽口をたたいたり、今日のように連れだって食事に出かけたりして、うまくやっている。そんな風に自分の気持ちをひた隠し、彼と行動をともにする理由がわからない。そもそも、抱えた気持ちがどういったものなのかがわからない。数年前からずっとそこにあるそれが、年月とともに変化していないなどとなぜ言えよう? 正臣はその変化に自分で気づくのも、ましてや臨也に気付かれるのもごめんだった。
「大丈夫?」
 席に戻ると臨也に尋ねられた。
「何がですか?」
 正臣はコーラを一口飲んだ。
「さっきまで赤かったのに、なんか白い顔してるからさ」
「酔いがさめただけですよ。まだ食いますよ、俺は」
 意気込んで言うと、臨也は笑った。いつものうさんくさい笑みでも、人をばかにしたような笑い方でもない。珍しく目元がほころんでいる。
 彼の笑顔を見て、正臣はぎくりとした。先ほど気付かないふりをと思ったばかりなのに、早くも挫折しそうだった。
 嫌だ。やめてくれ。そんな顔をするな。
 正臣は自分が泣きそうになっていることに気付いたが、折よくお好み焼きの具材が運ばれてきたため、それを焼くことで気を紛らわせた。
 向かい側で臨也が先ほどとは違う笑みを浮かべているとも知らずに。


「君さあ、俺のこと好きなの?」
 帰り道、夜の街を歩きながらやはり唐突に、臨也が言った。街灯とネオンに照らされた彼の顔を、正臣は見ることができなかった。
「臨也さんやっぱり酔ってるんじゃないっすか? その冗談、俺が帝人に言ったら完全スルーされるくらいつまんないっすよ」
 笑顔がひきつっているような気がした。それでも正臣は笑っているふりをやめられなかったし、隣を歩く臨也を見ることもできなかった。
「ふうん。まあ、君がそう言うんだったらいいけど、最近の君から向けられる視線にはただならぬものを感じてね」
「あー殺意とかこもってますからね」
「それに時々思いつめたような顔をしてるし」
「自意識過剰っすねーあんたどんだけ自分大好きなんですか?」
「そうやって否定しながらも君はさっきから俺を見ないし」
 正臣は思わず足を止めた。道の端を歩いていたので、通行人の邪魔にはならなかった。
「見ましたよ。これで満足ですか?」
 睨みつけるようにして、臨也を見る。彼は笑っていた。
「立ち止まっちゃうくらいギクッとした? それとも怒ったのかな?」
「後者ですね」
 正臣は再び歩き出した。臨也の隣を。もうほとんど彼と身長も変わらない。子供のころは、彼より五センチ背が低いだけであんなにいらだたしかったというのに。
 それから臨也は別れ際まで何もしゃべらなかった。珍しいし不気味だったが、正臣にとってはありがたかった。

20100810
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