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  第拾弐話


光陰矢の如しという言葉があるように、時間というものは驚くほど速く過ぎ去ってしまう。

私は昨晩の余韻に浸りながらもそもそとベッドから這い出ると、大きく腕を伸ばして背伸びをした。
トリップをしてから初めての朝。今日からもまた気を引き締めて、私が殺部さんと入れ替わったという事実がバレてしまわないように男らしく振る舞わないとな。
そう決意を固めると私はクローゼットから新しい制服とインナーを取り出し服を着替えた。

そういえば衣服で思い出したのだが、この館には大浴場と別に各部屋に簡易的なバスルームが付いている。その為私はお風呂でドキドキ☆ハプニング!というフラグをへし折ったのだが、まだ問題は残っていた。

そう、下着問題である。

一応Bホルダー……所謂サラシといわれるものは昨晩手洗いして部屋干しをしていたのでそれを付けているが、下着に関しては仕方がなかったので殺部さんが用意しておいてくれた新品の物を着けている。唯一の救いだったのはボクサーパンツをチョイスしてくれていたという点だろうか。
とはいえ、下手に女物の下着を購入したとしても此処では二口女であるあやこさんが洗濯をしてくれるようなので、私が女であるという事がバレてしまう……。

……慣れるしか、ないか。

そうだスポーツ用レディースインナーだと思えばいい。
でもサラシはもう少し欲しいところだ。

きっちりと制服に身を包んだ私は最後に獄卒の誇りでもある軍帽を被ると、ゆっくりと扉を開けた。と、同時に硬直した。
指一本分あるかないかぐらいの隙間から見える深海のような青い瞳。その瞳がじっと此方を見ていた。
余りにも扉に近すぎて顔の殆どが影に隠れてしまっていて、本当に瞳だけが鮮明に見えていた。怖い、怖すぎるよ斬島。

思わず開けた扉を閉めたくなったが、それをぐっと堪えて私も負けじと斬島を見つめる。
お互いに無言でにらみ合い、時間だけが二人の間を流れる。数秒しか経っていないはずなのに何時間もにらみ合っているような気分だ。


「今日は午前中まで任務がある。午後からは特に用事はない」


突然斬島の今日の予定を聞かされ私は戸惑いながらも斬島から目を逸らさずに次の言葉を待つ。


「午後から買い物に行こう」
『……今日か』
「今日だ」


はっきりと、意志の強い瞳で斬島は言う。
確かに私は後日買い物に行こうと言った。だがその後日がまさか次の日だとは誰も思うまい。
早すぎないだろうか、と異議を申し立てようと口を開きかけるがそれが言葉を発するよりも先に隣から出て来た佐疫が「おはよう」と天使のような微笑みをオプションに付けて此方にやって来る。


「二人共見つめ合ってどうしたの?早く行かないと朝食が逃げちゃうよ?」
「今日の午後に買い物に行こうと話していた。あと佐疫、朝食は逃げないぞ」
「あ、今日買い物に行くんだ!俺も早めに終わらせて来るよ」


にこにこと微笑む佐疫も斬島の突拍子もない提案にツッコミを入れる事なく受け入れてしまう。え、本当に今日行くの?待って待って、私お金とか持ってないんですがどうすればいいの?
まさか一文無しですとは流石に言えないので黙って二人のやり取りを見ていると、どうやら本当に今日の午後に買い物へ行くことになった。そうだ、今日は見に行くだけ行って、後日改めて買うと言い訳して一人ウィンドウショッピングを楽しめばいいんだ。
そうと決まればなんだか気鬱だった買い物が楽しみに思えて来る。原作でだって街中がどんな風だったかは明かされていなかったし、そう考えれば私は全獄都好きの期待を背負っているではないか。
これはもう全力で楽しむしかなかろうなのだ!


「じゃあ、俺と斬島が帰って来たらすぐに行こうね」
『……分かった』
「では食堂に行こう」


ご飯が食べたいと顔に書かれた斬島を見て佐疫がくすくすと笑いそれに賛同する。
何気ない会話、何気ないしぐさ。
きっとこの一場面も彼等にとってはごく一般的な日常の一部なのだろう。
ぼんやりと二人を見つめていれば、動く気配のない私に気づいた二人が手を差し出す。


「ほら、殺部も行こう?」
「キリカさんの飯は旨いぞ」


何気ない、その行動も彼等にとっては自分の意志での行動の結果。
なのにどうしてだろう。


『……あぁ、今行く』


私には彼等との間に一枚の硝子が存在しているような、彼等と同じ時を過ごしている気がしないんだ。




 

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