部活も終わりに近づいた日暮れのテニスコートは、なんだかいつもより閑散としている気がした。気がしたじゃなくて実際閑散としている。理由は簡単。今日は2年と3年だけしかこのコート内にいないからだ。そんな、人もまばらのコートでマネージャーの私は同じく2年生の球拾いを手伝っていた。
「だーっ!!!ボール拾いなんて1年の仕事だろ!!なんで俺がしなきゃいけねぇんだよーー!!」
癇癪を起こしているこの男は桃城武。今日は1年生が学校行事で部活に不参加なため、いくらボヤいても仕方ないのだが恐らく脳と口が直結している彼に何を言っても無駄だ。
「桃ちゃーん、口よりお手手動かそうよー。マネージャーなのに手伝ってあげてるんだぞー?」
「あー、やってらんねぇな!やってらんねぇよ!」
「無視かよ!」
「あ、そういや、お前不二先輩と噂になってるみたいだけどよ、実際どうなんだ?」
私の発言は完全無視で唐突に爆弾発言をする桃城に私はボールを拾う手が止まった。不二先輩と、噂に……?え、私が??私としては嬉しい。嬉しいのは山々だが、もしその噂が不二先輩の耳に入って迷惑をかけてしまっては合わせる顔がない。
「不二先輩と私が付き合ってるわけ__」
「桃、夢野さん、球拾いは終わったのかな?」
「「ふ、不二先輩!?」」
慌てて否定しようと声を上げた刹那、涼しげな先輩の声が私の鼓膜を震わせる。予想だにしない声の主を背後に感じ、桃城と声を合わせて彼の名前を呼んでしまった。
まずい、今の話をもしかして聞かれてしまったのだろうか。焦っている私とは裏腹に、桃城は「今終わりましたー!」とへらへら笑いさっさとカゴを持って逃げてしまった。逃げ足だけは無駄に早い彼を内心恨めしく思いつつ、思いを寄せる先輩と2人きりになった私は嬉しい半面、気まずさを感じて半笑いしか出てこない。
少しの沈黙が二人の間を流れたが、それを破ったのは先輩だった。
「……君は、僕と噂になるのが嫌かい?」
感情の読み取れない細められた瞳はきっと私の心まで見透かしている。そう思ってしまう程に彼の考えていることは表情から読み取れない。
やっぱり聞いてたんですね、先輩……。
「そ、そそそそんな……め、滅相もございませんッ!!」
我ながら動揺しすぎて分かりやすくどもってしまったことに羞恥心を覚える。そんな私をどう思ったのか不二先輩の切れ長の瞳が私の姿を写し出した。開かれたビー玉のような瞳は相変わらず澄んでいてその美しさに吸い込まれそうな気さえしてくる。
「そう」
「あ、でも……不二先輩にご迷惑をおかけしてないかなー……なんて……」
「全然?僕としては君と噂になって嬉しいくらいだけど」
そう告げた先輩は花が綻ぶようにふわりと笑ってみせる。その笑顔に隠された言葉が本心なのか冗談なのか私には検討もつかない。
「えぇっとー……」
返答に困っているとそれを知ってか知らずか、先輩は更に私の頭を悩ませるような言葉を投げかけてきた。
「そういえば、僕も夢野さんに関する噂、聞いちゃったんだよね」
「え!?ど、どんな噂ですか……?」
何も噂になるようなまずいことはしてないハズ……でも心当たりがない分尚更先輩の口から聞くのは怖い。意を決して先輩の言葉を待てば、先輩の唇は意地悪な弧を描く。
「君は1つ上の先輩に好きな人がいるんだって?」
「!?」
絶句した。そんな噂になるほど私は不二先輩をストーキングしてただろうか。いや、でもまだ本人には気づかれていない……と、思いたい。告白もせずに玉砕するなんてつらすぎる。でも、不二先輩は何故私にわざわざそんなこと……。と、私が脳内でひとり会議を行っていると、徐に先輩は私の髪に優しく触れた。
「……それが、僕だと嬉しいんだけど」
なんですと?足りない頭で必死に考えても、どうしても不二先輩から告白されたような錯覚に陥り、お花畑思考になってしまう。考えに考えた結果、私はほぼ告白とも取れるようなことを返すしか出来なかった。
「………………不二先輩、のことです」
「ふふ、じゃあ僕と付き合ってくれるんだね?」
悩み抜いて出した結論に間髪入れずに新しい問題を投げかけてくる先輩はSだ。それもきっとドS。でも、先輩のことをずっと好きだった私にとってその告白は夢に見るほど願っていたことで、嘘でも冗談でもいいから先輩の口から聞きたいと渇望していた言葉だ。
つまり、私には断るなんて選択肢、持ち合わせていなかった。
「よ、よろしくお願いします……?」
「こちらこそよろしくね」
戸惑いながらの精一杯の返答も先輩はいつもの笑顔でさらりと返す。あ、噂が本当になっちゃったねと笑う先輩はやっぱりいつもと全然変わらなくて今本当に告白されて私たちは恋人になったのだろうかと疑問にすら思うほどだ。
「じゃあ、そろそろ部活も終わるし一緒に帰ろうか……奈々子」
「は!?え!?」
突然の名前呼びに私の思考は停止した。そんな急に恋人っぽいことをされたら心臓が持ちません。……いや、恋人なんですけども。先程から絶えずバクバクとうるさい程高鳴っている心臓は他でもない彼のせいで、彼は私を早死させる気なのかもしれないとさえ思ってしまう。
「僕のこともこれからは名前で呼んでくれるよね?」
ほら、もう私は死んでしまいそうだ。この笑顔を前にすれば拒否権なんてあるはずない。
「し、しゅ……周助……」
「よくできました」
名前すら満足に呼べない自分の口を不甲斐なく思うが、幼子をあやす様に私の手を撫でる彼の掌はとても優しい。
「あ、そうそうまだ言ってなかったね。……好きだよ、奈々子」
「ぅえ!?」
そして油断をすればすぐに私を殺しにかかってくるんだ。でも、そんな気持ちとは裏腹にこれ以上ないほど酸素を身体に送り出す心臓は痛いくらい動いてる。
「奈々子は?言ってくれないの?」
「だ、大好きです……」
きっとこの人には一生かかっても敵わない。満足げに微笑む彼を見れば、そう結論づける他なかった。
END