(フカボシ)
彼女の口から無垢に飛び出した言葉は、私の頭に血をのぼらせた。
「オトヒメさまは、お元気ですか」
お元気、なわけ、ないだろう。熱を帯びた頭は正常に回転することなく。とっさに出たのは、右腕だった。
なけなしの理性が、最悪の事態は防いでくれた。ぱら、ぱら、寂しい音を立てて破片を散らすのは城の壁。もちろん、彼女の背後にあったもの。まあるくなった目が私を映して困惑している。
「母は、何年も前に亡くなりました」
「……え」
「人間に、殺されたんです」
更に見開いた目が、じわり、滲んだ。私をハッとさせるには十分な光景だった。めり込んでいた拳を静かに外し、彼女の髪を掠めて自分の脇へ。指をほどくことはない。ほどけばまた、何を起こすかわからないから。
兵士もみな静まり返って、父上様ですら言葉を発しない。沈黙が耳に痛い。思わず起こした行動が、ここまで自分を苦しめるとは。
「軽率でした」
心の声が漏れたかと思うほど、すんなり響いた音に顔を上げる。瞳いっぱいに涙をためて、それでもこぼすまいと堪える姿は、間違いなく人間である彼女のもの。
「ごめんなさい」
ひくついた声に、体が強ばる。かつての歴史から先入観を拭えず、抱いて、怯えて、軽蔑したのは私たち。母を殺したのは人間だ。けれど、彼女じゃない。
しかと心得ていたつもりでも、配慮が足りなかった感はいなめない。目の前でうなだれる小さな背中に手を伸ばすか否か考えあぐね、最終結論では大人しく脇で握りなおした。
「……失礼します」
耳にぎりぎり届いたか細い声。叫びそうになる唇を歯で御して、どうぞ、と一言返す。それだけで精一杯だった。
何も知らない相手に、罪の意識を押しつけた結果が、ここに散る涙だというのなら。私はそれをどう受け止めればいいのだろう。
(op/130104/ルフィたちがくる前のお話)