(コビー)
何度目の出会いかは忘れた。けれど会うたび、彼女は必ずこう言った。
「次にあったら、今度こそあなたは私の物だから。よろしくね!」
白昼堂々。清々しいまでの宣言に、海軍のみならず町の住人までもが言葉をなくした。だって、私の物、だなんて。まるでプロポーズまがいの言葉に、戦闘中ということも忘れて僕は呆けて立ち尽くす。しかし海賊一同はすっかり慣れっこのようで、「また始まったよ」とけらけら笑う人ばかり。
まもなく、彼女の合図で彼らは見事にとんずらした。はっと我に返った海軍は慌てて後を追いかけるものの、港から離れた船は霧のように姿を消してしまう。悪魔の実の能力者か、特殊な武器の使い手か。どっちだったか。回転が鈍いいまの頭では、思い出すのも一苦労だ。
「今日もお熱いこったなあ、コビー」
「……からかうのは止めてください、ヘルメッポ少佐」
「だって事実じゃねえか。見ろよ、一等兵たちの動揺っぷり。初めてのやつも多いんだろうなあ」
にやにや笑って少佐が後ろを指さした。
見なくたってわかる。見聞色の覇気を使うまでもない。ひそやかに囁いてるつもりだろうが、五十以上の人数が喋れば、どよめき以外の何物でもない。
包み隠さずため息をついて、呆れた視線を後方へ向ける。囁き合っていた一等兵たちが、慌てて姿勢を立て直した。
ヘルメッポ少佐の横を抜けて、彼らのために右手をかざす。
「全軍、撤退して下さい」
・・・
彼女と初めて会ったのは、たしか大佐に昇進して間もない頃。
「海上にて、不定の海賊船同士が交戦中。我々は確保に向かいます。至急、応援を寄越されたし」
そんな要請を受けたから、近くに待機していた僕らが出動した。参上すれば、そこはまるで混戦というに他ならなくて。二組の海賊船に向かって、飛び込んでいく海兵たちはずいぶん眩しかった気がする。
その眩しい白の中に、大胆にも赤色が一つ、飛び込んだ。
「海軍って、ずいぶん礼儀知らずだよねえ。人の仕事の邪魔しないでよ」
わざとらしいくらい大きな舌打ちも、オマケに一つ。わかりやすい挑発だが、一等兵には十分だった。赤色を一瞬にして取り囲み、袋叩きすべく全員そろって飛びかかる。
勝負は一瞬でついた。海軍の船上に立っていたのは、赤色。つまり彼女だけだった。
「もう終わりか。呆気ない」
「いえ、まだですよ」
肩を竦める彼女の背後をとった。右腕をふり上げて、おろすが空振り。髪が数本かすっただけ。おやあ、と暢気な声が遠くからする。右に視線を滑らせれば、ブリッジでぷらぷらと揺れる二本足。
「その格好、あなた海軍のお偉いさん?」
「僕は海軍本部大佐、コビーです。あなたたちを捕らえに来ました」
「はあ、コビーさん。ご丁寧にどうも」
ずいぶんと暢気な応対に、つい気を削がれそうになる。手配書でも見たことがない顔だが、ここは言わずと知れた新世界。強者でなければ来れるはずがない。船長だろうと雑用係だろうと侮るなかれ、だ。
腕の構えを解かず、一歩、前に踏み出す。彼女は相変わらず足をぷらぷら。先ほどまでのやる気どころか、警戒心の欠片も見えない。ただじいっと、僕を見据えているらしかった。
せめてもと遠い喧騒で神経を保っていたら、不意に彼女が、にっこり笑った。
「うん、やめよう」
輪を作った指をくわえ、高らかに一音。響いた音に喧騒が一瞬反応した。次の瞬間、ますます騒がしくなったそちらに気をとられ、ふり返ってしまった。
「ねえコビーさん。私、これからもっと強くなるからさ」
いつの間にか、耳の側に辿り着いた声に目が丸くなる。反射的に向こうとしたが、それよりも早く頬に触れた、やわらかい感触。
「次にあったら、私のものになってね」
・・・
「あの時のお前、面白かったよなあ」
にたり。嫌らしい顔を隠さずに、ヘルメッポさんはカップを傾ける。休むために用意した席なのに、からかわれては意味がない。唇を尖らせて咎めても、彼は顔を崩さなかった。
「おかしな話だよな。捕まえるのは俺たちの仕事なのに、海賊の方から海軍を欲しがるとは」
「まあ、こちらもこちらで毎回見事に逃げられてますが」
「それも変な話なんだ! 自分のもの宣言しておきながら、自分から逃げてやがるし。意味がわからん」
「きっとただの戯れでしょう。あれを毎回真に受けていたら、こちらの身が持ちませんよ?」
「とか言いながら、ちょっぴり残念そうなのはどこの誰ですかね?」
ゴーグル越しに畳み掛けてくる視線に、かっと体が熱くなる。そんな顔、してただろうか。慌てて直に触ったところで、自分の変化なんてわかるはずもない。
落ち着いて考えよう。きっとこれも、本当はからかいの一貫に過ぎないのだ。だからさして問題視する必要も、ないだろう。けれど、ここまで返答に困っている自分には。なんて、理由をつけたらいいのやら。
「伝令、伝令! 西の海域に例の女海賊とその一味が現れた模様。ただちに現場へ急行してください!」
机にあった小さな電伝虫が騒ぎ出す。場合が場合なだけに、ヘルメッポさんのにやけはいっそう広がってしまう。「不謹慎ですよ!」思わず機嫌の悪さを露にしたら、彼は高らかに声を張り上げた。
「逃げられんのが寂しいなら、さっさとあいつを捕まえることだ。たまにはやり返してやんないと、男が廃るぜコビー大佐!」
それはつまり。僕はとっくに、彼女のものになっていたと言うわけですか。
(121220)