(蝮で過去話)
日当たりのいい縁側の影で、私は呪言を唱えた。するりと右腕から現れる、大切な相棒――使い魔の蛇。指先で喉をくすぐってやると、気持ちよさげに目が細められた。
「あんたはこないに可愛えのにな。なんで、厭わし言われるんやろ」
私の言葉を理解して、蛇がしゅるりと舌を出した。わからない、とでも言いたいのだろう。円らな瞳を瞬かせ、頭を傾いだ。
「ほんま、なんでやろ」
私もつられて目を細める。その時、ガサリと庭先の植木が揺れた。
バッと腕を構えて、その茂みを睨み付ける。一秒待って、二秒経ち。ごろりと、子供が日向に転がった。
「……は?」
しばしの沈黙の後、しゅるりと蛇が庭に降りた。子供はうつ伏せになって、何やら唸っている。もしや、泣くのか。さああっと血の気が引くのを感じて、私も慌てて庭に降りた。
「うっ……うえ……」
「ああほら待ちおし! 立ってみい、な、姉ちゃんが傷見たるえ。せやからほれ、しゃんとしなはれ」
両脇を持って立たせてやろうとしたが、子供は言うことを聞かない。足腰に力を入れず、再び座り込んでしまう。甚平を着せられているものの、見たところ、女子のようだった。ぷるぷると小さな唇を震わせて、真っ赤な顔でぼろぼろと涙を溢している。
せめて砂を払ってやろうと体をはたいた。途端、我慢の糸が切れたのか、子供がわっと悲鳴を上げた。
「うあああああああん!」
「ええっ、ちょっ、堪忍、堪忍なあ! なんや、痛かったか? すまんな、姉ちゃんは別に苛めたんとちゃうんよ! な、ほら、泣き止んだってな……!」
おろおろと行き場のない手をさ迷わせる。謝罪して頭を撫でてみても、子供は泣き止むどころかますます声を荒げる。認めたくないが、こう言った子供の扱いは、自分よりの志摩の次男坊の方が長けている。こんな時に限って、どうしてあいつはいないのか。意味もなく腹が立ってしょうがない。
いっそのこと、諦めて誰かを呼んでこようかと考えた時。隣にいた蛇がしゅるりと彼女に向けて首を伸ばした。子供とはいえ、相手は女子。もしかすると、よけい泣き叫ぶのでは――私が慌てて制止するよりも早く、蛇が子供の頬を舐めた。
「うえ……?」
するとどうしたことか。ぴたりと、子供の涙が止まった。
ただ、もしやこれは嵐の前の静けさというやつかも知れない。得体の知れぬ緊張感に身体を強ばらせて、蛇と、彼女を見守る。
子供がぱちりと瞬くと、蛇もぱちりと瞬いた。子供が首を傾げれば、蛇も同じ方向に首を傾げる。
「……へび、さん……」
女子の呟きに、蛇がしゅるりと舌を出した。まるで返事をするように。
女子は、パッと顔を明るくした。
「へびさん!」
「……あんた、蛇、怖ないの?」
「わたしへびさんすきだよ。しゅらちゃんがね、いっぱいへびさんつれてるの」
「はあ……そうなん」
「このこ、おねーちゃんのつかいま?」
「え? ああ、そうや。私の使い魔やえ」
「へええすっごい! つかいまとなかよくなるのはむずかしいって、せんせーいってたよ」
「まあ、なあ」
にこにこにこ。先ほどの涙が嘘のように、子供は笑顔を絶やさない。「しゅらちゃん」やら「せんせー」やら、知らない名前ばかりを口にするが、この子は一体どこの子だ。祓魔師に関係する家の子と見てよさそうだが、さて、不法侵入者に値するのか。
子供は、私の疑問などお構い無しに蛇を構う。口をつついたり、頭を撫でたり。蛇も歯向かうことなく、されるがままになっていた。(……かいらしなあ)思わず、口元が緩んだ。
「なまえー! どこやー!」
急に、茂みの向こうから忌まわしい男の声がした。志摩の次男坊が、なんでここに。思わず眉間に皴を寄せたが、「あっ」と弾んだ声に目が丸くなる。見れば、少女は立ち上がっていた。
「いかなきゃ」
「え」
「これからね、じゅうにいちゃんとあいさつにいくんだって」
「あ、あいさつ? なんのや」
「わかんない」
女子がむうんと口を尖らせた。けれどそれも一瞬のことで、もう一度蛇の頭を撫でてから、くるりと暗がりの方へ走り出した。私は呼び止めることもなく、ただぼんやりとその背中を見つめる。「そうだ」ふいに、少女がふり向いた。
「また、へびさんとあそばせてね。おねーちゃん」
へにゃりと表情を崩して、少女は茂みに消えていった。草葉が擦れる音が、だんだん遠ざかっていく。
「……なんやったんやろ、あの子」
わからない、というように蛇がふしゅうと鳴いた。その鳴き声がどこか満足げだったのは、きっと気のせいではないだろう。
かわいいこ
(数時間後、志摩家が預かり受ける子との紹介つきで、再びあの子はやってきた)
(110728)