(魚物語+黒澤)










「瀬川さんは優しい人ですから」彼女は眉を下げて、ゆるく笑った。続けて「だから困るんです」とも言った。

「道端で困った人がいれば、老若男女構わず手を差し伸べます。例えばそれが公では口にできないような仕事の人だったり、失恋の痛手に傷ついている人だったり。とにかく、誰でも構わないんです。彼は、目の前の人が困っていたら、迷いなく手をさしのべるんです」
「ヒーローみたいな奴だな」

 俺は、できるだけ嫌味なく言った。

「顔を分ける、あのヒーローみたいだ」
「そうやって育てられたらしいですよ」
「他人に顔を分けなさいって?」
「ヒーローになりなさい、って」

 彼女は紅茶を一口含み、飲み下す。それから、静かな声で男の経歴を語った。
 瀬川という男は、どうも両親の教育方針を素直に受け入れてきたらしい。あらゆる格闘技に次いで、禅修業までこなしたというのだから驚いた。けれど、どこの漫画だ、と笑い飛ばすには、彼女の表情があまりにまっすぐすぎた。
「希少な男だな」と、俺は呟いた。
「だから困るんです」彼女はもう一度くり返した。

「アイドル並に顔がいいわけでもないのに、彼の強さと優しさにやられて、寄ってくる女は数が知れません」
「お前もその一人なんだろう」
「黒澤さん」

 ジトリと、彼女がこちらを睨んだ。
 俺は、肩を竦めた。事実なのだから、叱られる謂れはない。その態度がますます気に入らなかったようで、彼女はツンと顔をそらした。まったく、面倒な親戚だ。

「悪かったよ、続きを聞かせてくれないか」
「悪い人には話しません」
「まあ、そうだな」

 俺は頷いた。先ほどから、ずっと感じていたことだ。

「泥棒に易々と、個人情報を教えるもんじゃない」

 彼女は、さっと顔色を変えた。警戒というよりは、むしろ悲しそうな表情を浮かべている。「黒澤さん」情けない声が、また俺を呼んだ。苦笑する他なかった。
「冗談だ」軽く両手を上げて、首をふる。

「お前の大事な奴に手を出すほど、今は困っちゃいない」
「いつか困るんですか?」
「鋭いな」
「だったら私の家にしてください、お願いします」

 彼女は俺の右手を取った。不安とか怯えだとか、あまりよくない色が目に浮かんでいる。よほど、瀬川が大切らしいなと思ったが、それは検討違いだったらしい。

「瀬川さんの家になんか入ったら、黒澤さん、間違いなく警察送りですよ」
「その通り。ぶた箱にぶちこんで差し上げます」

 どこからともなく、男の声が割り込んだ。内容は明らかに危険性を醸しているのに、威圧感のない、やわらかい音色だった。
 彼女は慌てて、俺は余裕ぶって、後ろをふり返った。
 一人の体格のいい男が、後ろ手を組んで微笑んでいた。ぎゅっと、彼女の手に力が入る。

「お久しぶりです、黒澤さん。彼女の相手してもらってたみたいで、すいませんでした」
「いや、構わない。ちょうど俺も暇だったから」
「そうですか」

 瀬川はちらりと視線を落として、俺たちの手を見る。

「相変わらず、仲がいいみたいで」

 一瞬の沈黙。最初は、何て言われたのかわかっていなかったのだろう。
 数秒経って、彼女は顔を赤くする。ぱっと、手も放した。それから、救いを求めるように、俺を見た。

「そんなんじゃありませんよ。ね!」

 なにが、ね、だ。おかげで、チリチリと迫る視線が痛い。ため息をついて「そうだな、偶然だ」と弁解してやる。なにが偶然なのか、自分でもよくわからない。もちろん瀬川も、納得がいっていないようだった。
 あまり使いたくないが、と俺は胸の内で呟いた。他人を冷やかすのは趣味じゃない。しかし現状を打破するにはこれが最善だ。自分に言い聞かせて、俺は、奥の手を告げた。

「心配しなくても、こいつは瀬川のことしか頭にない」

 そう言ってやると、二人はきょとんと目を丸くした。少しして、彼女は目をつり上げ、瀬川は嬉しそうに巨体を揺らす。

「黒澤さん!」

 とうとう、彼女が鋭い声を上げた。
 事実なのだから、しょうがないだろう。何より、場の空気は和んだ。万事解決だと言うのに。
 やっぱり、面倒な親戚だな。俺は、わざとらしく肩を竦めた。



(ゆらゆら/111210)


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