「握れねぇって…そりゃあ、…どういう……」
思い詰めたように瞳を揺らす総司を、俺はゆっくりと座らせる。
その真正面に腰を下ろしてから、俺は再び総司の言葉を待った。
「分かんな、…い…です。最近、…無理なんです。何か、吐き気がします」
総司は決壊した濁流のように、感情を溢れさせた。
「僕、怖くて……何か…嫌な気分になって、何か…何か、嫌なことを思い出しそうで……」
「お前……」
「もう最近じゃ、誰かが稽古してるのを見るのも嫌なんです」
そう言って長い睫毛を伏せる総司を、俺は幽霊でも見るかのように眺めていた。
「はは……おかしい、ですよね。こんなの…。信じて、もらえないでしょうけど。でも、嘘じゃないんです、……本当に、嫌なんです…」
何も言わない俺に不安を抱いたのか、総司は遠慮がちに視線を合わせてくる。
「お前、それ………」
総司の言葉に愕然として、二の句が告げない。
そうか……お前にとっちゃあの頃のことなんざ、二度と思い出したくもない記憶ってことなのか。
総司の無意識の内の拒絶に、俺は胸が痛むのを自覚せずにはいられなかった。
「………やっぱり、変ですか」
総司は自嘲気味に笑った。
何と言ってやるべきなのか、俺には分からない。
「………変、じゃねぇよ」
「嘘。変な奴だって思ってるくせに」
「お前は変じゃねぇよ」
「ふーん。さすが教師っていうか。生徒のこと貶したりしたら、クビになっちゃいますもんね」
「違ぇよ!そういうことじゃねぇ!」
泣きそうな顔をしてまでそんなことを言うような、どこまでも捻くれた総司に、思わず俺の方が泣きたくなった。
「あー……もう何て言やあいいか分かんねぇよ…」
昔の俺だったら、一も二もなく総司を抱き締めていた。
そうしてやるべき状況だし、昔の俺はその権利を持っていたからだ。
だが、今の俺は総司の恋人ではない。
抱き締めたりしたら、最悪警察沙汰になるかも知れない。
口で、俺が守ってやると言うことすらできない。
とどのつまり、今の俺が総司にしてやれることなど何もないということだ。
その情けなさと不甲斐なさに、俺はぎりりと奥歯を噛み締めた。
いや、あの頃だってそうだ。
どんなに威張りくさって恋人面をしていようが、俺は結局総司のことを救ってやれなかったわけだし、それどころか、一人ぼっちで死なせるという、一番やってはいけないことをしてしまったのだ。
…俺は、一体何をしてたんだ。
俺が総司の為にしてやったことが、何か一つでもあるか…?
考え出したらキリがなかった。
人を斬らせて、近藤さんと俺の茶番に散々付き合わせて、総司の青春も人生も、何もかもを奪い取って。
それで総司は幸せだったのかと問われれば、迷いなく頷ける自信はない。
そういう……血生臭い記憶を、総司が思い出したくないのは当然のことだろう。
きっと、総司は思い出さない方が幸せでいられるはずだ。
たとえ低堕落だろうが何だろうが、ごく普通の、ありふれた高校生として生活している方がいい。
あの頃ならまだしも、今は衆道などほとんど見かけなくなったし、新選組という大きな物を抱えていたあの頃は恋や結婚はむしろ邪魔な存在だったが、今は恋愛に対する考え方も、世間全体が緩くなっている。
総司の気持ちが俺に向かないのは、ごく当たり前のことだ。
俺が総司を愛したことも、総司が俺を愛したことも、俺だけが覚えていればそれでいいのかもしれない。
…だがまぁ、そんな簡単に諦められるほど、浅く惚れているわけじゃないのもまた事実なのだが。
「…まぁ、お前のそれ、ただのスランプだろ。やってもやっても出来ねぇ時なんざ、ぜってぇ誰にだってあるんだ。深く思い詰めねえで、気軽に構えてろよ」
俺はやっとのことで言葉を絞り出して言った。
が、俺の言葉に、総司は不貞腐れたように俯いてしまった。
「スランプって…………そんなんじゃありません」
予想外の反応に、俺は思わず目を見張る。
「僕は、これをそういう風に、さらっと流してしまいたくないんです。そんな…スランプみたいな…生半可なもんじゃないって、自分のことだから…分かるんです」
「総司…」
「そりゃあ今はまだ大人への過渡期だし、こういうことが起こったり、壁にぶち当たったりすることが当たり前なのかもしれませんけど。何か違うって、感じるんです」
総司自身漠然としすぎていて、その違和感が一体何なのか、はっきりとは分かっていないようだった。
が、総司はきっぱりとこう言った。
「だって、胸がこんなに苦しくなる……切なくて、訳もないのに涙が出ることまであるし。それって、ちょっと普通じゃないでしょ?」
でもね、と総司は続ける。
「僕、土方先生と打ち合うのだけは大好きなんです。土方先生のこと、他は何も好きじゃないですけど」
「………お前は一言多いんだよ」
「もしかしたら、土方先生と打ち合えば手が震えなくなるかもって思ったんですけど。やっぱりダメでしたね」
近藤先生とは違って、尊敬する師匠ではなく、何故か一緒に戦う戦友のような気分になるのだと、そう総司は言った。
「たまに夢にまで見ますよ。正直、土方先生っていうのが癪に障ってたまらないですけど、夢の中の僕があんまりにも楽しそうだから、これはもう認めざるを得ないっていうか、何というか…」
昔と何も変わらない様子でぽつぽつと話す総司の話に、俺はじんわりと心が温まる。
そうか。
嫌な思い出ばかりじゃなかったか。
夢に見たのは、恐らく昔の俺たちのことだろう。
思い出したくないことばかりで、総司は記憶が甦ることに恐れを抱いているようだが、それでも少しずつ思い出そうとはしているようだ。
まぁ、本人の意志とは関係なく、勝手に進行していることかもしれないが。
物心ついた時から記憶があるのが当たり前だった俺には、分かってやりたくてもやれないことだ。
それでも楽しい思い出も一応はあったみてぇで、俺は心底ホッとした。
…しかもその思い出に、俺も関わっているとはな。
たとえ総司の心が俺に向いていなくとも、それはなかなか心地の良いことだった。
たったこれだけのことで、俺の胸はここまで高鳴るのだ。
今更総司を手放すなど到底できないだろうと、改めて実感させられる。
総司が幸せならそれでいいなどという考えは俺にはない。
そんな生半可な愛し方はしていないのだ。
「そう、か……」
「ちょっと…!何で土方先生がそんな傷ついたような顔をしてるんですか」
突然総司が素っ頓狂な声を出す。
「あ………?」
俺は思わず顔に手をやった。
「…してたか?」
「思いっきりしてましたよ。もう、びっくりするじゃないですか」
「あぁ、そうか…悪いな」
本気で驚いている総司に本心を説明してやる術など、俺は持ち合わせていない。
誤魔化して、心の中に秘めておくことしか俺にはできない。
「…もう……僕は土方先生のそんな顔が見たいわけじゃありませんから…」
その言葉に驚いてちらりと総司を盗み見ると、総司は微かに頬を赤くしてそっぽを向いていた。
…おいおい、やめてくれよ。
いくら何でも勘違いしちまうぞ。
じゃあどんな顔が見てえんだよと聞いたら、果たして総司は答えてくれるのだろうか――。
俺は自分の邪念を振り払うように、慌ててやけに明るい声で言った。
「よし……総司、飯でも食って帰るか」
「へ?」
「腹、減ってんだろ?」
こうして総司と出かけるのは、何も初めてではない。
斎藤や藤堂も含め、たまに俺は部員たちを飯に連れて行ってやっていた。
……まぁ、二人きりというのは初めてなような気がしなくもないが。
「い、いいですよそんなの!急にどうしたんですか?気持ち悪い。ちょっと褒めたからって、調子に乗らないでください!」
「気持ち悪いってな………」
相変わらずグサッと刺さる総司の言い方に閉口しながらも、俺は立ち上がった。
つられるように立ち上がる総司から仄かに香る嗅ぎ慣れた総司の匂いに、心臓がびくんと跳ね上がる。
「何がいい。何でも奢ってやるぞ」
「えー…いいんですか、本当に」
昔から、我が儘放題なようで、そのくせこっちが押すとすぐに引いてしまう総司には手を焼いてきた。
いかに甘やかすか。
それが専ら俺の課題だったように思う。
「そうですねー……じゃあ、土方先生が行きたいとこに連れてってください」
そして相変わらず欲のない総司に、俺は苦笑するしかない。
「いいのか?それで」
「はい。また先生をからかう材料になるかもしれませんし」
「おい」
「それに、先生の好みとか知りたいですしね」
「お前……」
とんだ殺し文句を呟いて、総司はようやくにぱっと歯を見せて笑った。
からかう、とか聞き捨てならねぇことも聞こえてきたが、今は追及する気も起きない。
総司は確か、甘いもんが好きだったな。
どこか美味いデザートがある店にでも、連れて行ってやるとするか…。
早速脳内プランを立てながら、俺は総司を引き連れて道場を後にした。
この、愛しい奴を思い切り甘やかすために。
そして願わくば、その心を手に入れることができるように。
何度生まれ変わっても
(…お前に記憶があろうがなかろうが、総司、やっぱり俺はお前が好きだ。)
2012.04.14
リクエスト小説のつもりで書いていたのですが、あまりにも納得いかなくてボツにしました。
もう少し土方さんへの総司の思いを書きたかったのにな!
土方さんやたら女々しいし…
総司、土方さんのこと好きなんですけどね。ちゃんと。
じゃなかったら悩みなんて話さないし試合もしないしからかったりもしません。
だけど言わないし言えないし、言動の節々にちょっと表れるくらいなのです。
転生ネタは好きすぎて力みすぎていつも失敗します(泣)
当のリクエスト小説の方はもう少々お待ちください(;_; )
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