今の総司には、あの頃のような覇気がない。
まぁ、今は昔と違って環境も倫理観も何もかもが違うし、目標も意志も、護るべきものも何もない訳だから、当然と言えば当然なのだが。
そういうことを抜きにしても、総司は何だか気の抜けた炭酸みたいになっている。
人生にすら意欲がないというか、どこまでも怠惰でだらしがない。
授業は平気でサボる、勉強はしない、テストは真面目に解かない。
俺を除いて、他人の迷惑になるようなことは相変わらずしないものの、自分のことにはてんで無頓着だ。
これといった趣味もなく、飯をきちんと食ってるのかすら怪しいほど。
そんな総司が心配になって俺が無理やり勧めたのが、剣道部への入部だった。
何か打ち込むことでもできれば、総司の態度も変わるのでは…と考えたからだ。
いや、そんなものは建て前で、本当は俺が顧問だからすぐ近くに置いておけるというのと、そして何よりも、総司に一刻でも早く俺のことを思い出して欲しいが故の俺のエゴだった。
あの頃と同じように竹刀でも握れば、何かしら思い出してくれるんじゃないか。
別に辛いことを思い出してくれなくていい。
ただ、俺が総司にとってどういう存在だったのか、ちらりとでも頭に甦らせてくれればそれでいい。
そう思ったのだ。
その作戦が功を奏したのかはよく分からないが、とにかく総司は部活だけは真面目にやるようになった。
いわゆる天賦の才というのか、総司は元々並々ならぬ素質を持っていた。
あの頃ほど殺気も籠もっていないし、微差はあるものの、俺は総司が試合をする度にかつての総司の美しい太刀筋を甦らせ、今の総司に重ねることができた。
そして、そのたびに実感するのだ。
あぁ、こいつはやっぱり沖田総司なのだと。
ただやはり、もしあの頃の総司が今の総司を見たら、きっと真っ先に斬り捨てるのではないかというほど、今の総司には張り合いがなく、どこまでもふしだらなのだが。
そんなことを思いながら次の授業に向かうべく再び廊下を歩いていたら、タイムリーというかなんというか、またもやばったり総司に出くわした。
それも、女どもに囲まれている総司とだ。
「総司ー、今日学校終わったらみんなでカラオケ行こうよ」
「うーん…一君と平助も呼んでいい?」
「だめだめ。斎藤君は風紀委員の集まりだから」
「平助君は数学か何かの補習があるって言ってたよ」
「えー、男一人はキツい」
「いいじゃん、ね、総司ー」
「行こうよー」
総司は困ったように頭を掻いている。
俺は見かねて、ついもっともらしい正義を振りかざして声を掛けた。
「おいお前ら、新学期そうそう怠けたこと言ってんじゃねぇよ」
「げ、また土方先生か」
「げ、たぁご挨拶だな総司。大体な、お前今日は部活だろうが!さっき怒られたばっかで早速サボろうとしてんじゃねぇっ」
「……みんな逃げようっ!」
「あ、おい待てよ!!」
総司の奴は女どもを引き連れて、まさしく脱兎の如く逃げ出して行った。
「こらぁお前ら!廊下は走るんじゃねぇ!」
俺は総司の腕を掴み損ねたことに舌打ちしながら、仕方なくその場を後にする。
…剣道だけは、何があっても頑張っていたのに。
何故か総司は、新学期になってから急にサボりがちになった。
それは、主将になったのが嫌だからなのか。
それとも、他に何かしら理由があるのか。
俺にはさっぱり分からなかった。
*
放課後道場に顔を出してみて、そこに総司の姿があったのでホッとした。
ただ、皆が試合をしている中で、総司だけが道場の隅に座り込んで、ぼうっと皆の様子を見ていて、どことなく様子がおかしい。
「総司」
俺は黙って総司の隣に腰を下ろした。
「…………何ですか」
「どうしたよ、お前」
「はい?」
「何で稽古しねぇんだよ」
「……………」
総司は体育座りの膝に顎を乗せた。
「………サボらなかっただけ褒めてくださいよ」
「…………」
サボらないのが当然だと怒る気にもなれず、俺は深々と息を吐き出した。
そして、ゆっくり話を聞き出してやらなきゃならねぇなと覚悟を決めたところで、不意に数人の部員が駆け寄ってきた。
「土方先生!稽古つけてください!」
「え……」
総司がハッと顔を上げるのが、視界の端に映った。
「土方先生たまにしか来ないから!」
「ぜひぜひ、お願いします!」
本心を言えば総司と話していたかったのだが、部員たちの熱意を無碍にする訳にも、総司を贔屓する訳にもいかない。
俺は重い腰を上げて立ち上がった。
「…おし、てめぇらぼっこぼこにしてやるから覚悟しろよ」
「はいっ!!」
「…………」
総司はそれを、興味なさそうに眺めていた。
主将がこれじゃあ、そのうち下も付いてこなくなるだろうと俺は一抹の不安を覚える。
しかし元気な部員に背中を押されるようにして、俺は仕方なく竹刀を握ったのだった。
*
「総司、ちょっと」
稽古が終わって、最終下校の時間を知らせるチャイムを遠くに聞きながら、俺はそそくさと道場を出ようとしている総司を無理やり捕まえた。
「…何ですか?僕もう帰るんですけど」
不機嫌さを隠そうともせずに、総司が吐き捨てる。
「聞きてえことがある。少し残れ」
有無を言わさぬ俺の語気に負けたのか、やがて総司は小さく頷いた。
先ほど、帰り支度をしている部員たちから聞き出した。
最近の総司の様子のおかしさ。
部員たちも、少なからず変に思っていたらしい。
「沖田先輩ってめちゃくちゃ強いし、俺すっげぇ憧れてんすよ」
そう言う部員は沢山いた。
昔もそうだった。
身勝手だし、誰もついていかないだろうと思いきや、総司はいつも隊士からの人気が厚かった。
出動回数の多かった一番組を、しっかりと引っ張っていた。
「でも、最近の沖田先輩は何か変っていうか、」
いつも自分を取り繕い、他人に弱いところなんざ絶対に見せねぇ、あの総司が。
部員に気付かれるほど、変な振る舞いをしているらしい。
「俺、てっきり具合が悪いんじゃないかと思ってました」
「具合?」
俺は思わず聞き返していた。
胸をよぎるのはそう、あの忌々しい病の記憶だ。
咳を繰り返し、喀血し、次第に刀すら握れなくなっていった総司の姿が、今でも目蓋に焼き付いている。
「何か、竹刀を握れないって言ってたんです」
「は……?」
「あ、それ俺も聞いた!竹刀持つと、手が震えるんだって」
口々に自分の持っている情報を提供し始める部員たちを、俺は険しい顔で見つめることしかできなかった。
「……部員から聞いたぞ、最近のお前のこと」
俺は総司と道場の隅に並んで座って、なるべく優しい声で言ってやった。
こういう話をする時は、頭ごなしに怒鳴りつけても、総司は本音を吐き出したことがない。
「……だったら何なんですか」
「お前、最近まったく稽古してねぇらしいな」
「………………」
「何でだよ。何か理由があんのか?」
「………………別に」
「別にって……あのなぁ、黙ってたら何も分かんねえだろ?」
それきり黙り込んでしまった総司に、かける言葉すら見つからない。
俺は困りきってがしがしと頭をかいた。
と、その時。
「…先生、……僕と一本お願いできますか」
小さく聞こえてきた言葉に、俺は目を丸くする。
驚きすぎて、咄嗟に返事もできない。
「え…あ、あぁ…」
「駄目、ですか………?」
「い、いや、駄目じゃねぇよ。突然で吃驚しただけだ」
「じゃあ、お願いします」
「けど、制服のままじゃあ危ねぇから…」
着替えて来い、と言おうとすると。
不意に総司が、不適な笑みを浮かべた。
「いいです。本気で打ち込んだりしませんから。その代わり先生も、全部寸止めでお願いしますよ?……先生なら、できるでしょ?」
「………っ」
一気に不穏な空気を纏い始める総司に、俺はごくりと喉を鳴らした。
こういう挑戦的な光を宿した総司の目に、いつも高揚感を高められてきたのだ。
自然と覚悟が決まっていく。
竹刀を構えて、総司と向き合った。
道場に二人きり。
生徒はもう下校してしまって、教室棟からの喧騒すら聞こえてこない。
ぴんと張った空気が心地よい。
「たぁっ!」
先に動いたのは総司だった。
胴を狙うと見せかけて、空いた頭へ素早く打ち込んでくる総司の竹刀を、昔からの癖で咄嗟に払う。
そう、総司は昔からフェイントをかけるのが大得意だった。
しかも素早い。
例えフェイントだと気付いても、気付いた時には打ち込まれている。
だから俺がこの素早い打ち込みを避けられたのは、完全に慣れていたから、としか言いようがない。
「くっ………!」
体勢を崩したところに、今度は力任せで竹刀を振り下ろされる。
が、俺も圧されてばかりではいられない。
すぐに後ろに飛び退いて、低いところから打ち込もうと竹刀を構えた、まさにその時。
目にも留まらぬ速さで総司が突きを入れてきた。
……いや、入れようとした。
「っ!」
「お前……?!」
一瞬何が起こったのか分からなかった。
ただ、気付いたら総司の竹刀が床に転がっていた。
驚いて総司を見れば、手首を押さえて呆然としたように転がった竹刀を見つめている。
……俺は今、小手なんざ決めてねぇぞ?
俺は訳が分からずに、荒い息を整えて総司を見やる。
大丈夫か。そんな陳腐な言葉を言えるような空気感ではない。
「ハァ……ハァ…ハァ…………」
総司は悔しそうに唇を噛んだ。
それから緩慢な動きで竹刀に手を伸ばす。
―――その時俺は見てしまった。
総司の手が、尋常ではなく震えているのを。
「…っ」
総司は竹刀を持ち上げようとして、今一度取り落とした。
そしてもう一度掴もうとした手は、やはりぶるぶると震えている。
「おい、」
俺は見かねて総司を制した。
なんとか竹刀を掴もうとする総司の手を退けて、代わりに竹刀を拾ってやる。
起き上がって総司と目を合わせると、総司は今にも泣き出しそうな顔をして、唇を噛んでいた。
「……分かりました?………これが、真相です、」
「総司………」
俺は、竹刀を渡そうとした手を引っ込めた。
「僕……僕…………」
僕、僕と譫言のように繰り返しながら、総司はわなわな震える手首をずっと握り締めている。
竹刀を握れなくなったんです―――
そう搾るように呟いた総司の顔は、まるでこの世の終わりのように蒼白だった。
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