いつも通り古典準備室に入ろうとして、僕は思わず足を止めた。
「せんせー、あたしのも食べてよ!」
「どお?おいしー?」
「……くっそ甘えな…」
「えーっ!ひっどー!」
中から、女の子たちのきゃーきゃー騒ぐ黄色い声が聞こえてきたからだ。
はぁ。
本当によくおモテになられますこと。
心の中で悪態をつきながら、僕はゆっくりと準備室のドアを開けた。
「失礼しまーす」
僕の声に、部屋の中にいた全員が振り返って僕を見る。
一、二、三、四……うわ、七人もいる。
よくもまぁこんな狭いところに七人も入ったよ。
僕はまた溜め息を吐いた。
「総司、か?」
女の子たちに囲まれて、ハーレムみたいになってる準備室のど真ん中で、机で辛うじて仕事をしていた土方先生が僕に言う。
何だか驚いてるみたいだけど、そんなに驚くようなこと?
「やだー、総司何しに来たの?」
「あたしたち今土方先生とお話中だから邪魔しに来たなら帰ってくんない?」
はぁ。
どうして女の子って群れるとこんなにも凶暴になるんだろう。
僕はイライラして少しだけ乱暴に答えてやった。
「邪魔するわけないでしょ。土方先生に振り向いてもらえないからって僕に当たるのはやめてよ」
土方先生に振り向いてもらえないのは他でもない、この僕。
振り向いてもらえないからって女の子たちに八つ当たりしてるのも、また僕。
自分で言って、自分で悲しくなった。
「なっ…なによー、その言い方」
「ていうかさ、邪魔しにきたんじゃないなら、総司一体何しに来たの?」
「ま、さ、か、総司もチョコ渡しに来たのー?!」
女の子たちは、勝手なことを言ってまたきゃあきゃあ騒ぎ出した。
黄色い声が、耳に付く。
五月蠅いし、不愉快だ。
でも、否定できないのが痛いところ。
僕はムスッとしながらも、開き直ることにした。
「残念ながら、その通りだよ。僕はチョコを渡しに来たの」
僕の言葉に、女の子たちだけでなく、土方先生までがぴきりと固まった。
「え……嘘、でしょ?」
「……但し、全部預かりものだけどね」
「えっ!?」
僕は机の方につかつかと歩み寄ると、鞄から預かっていたチョコを全部取り出した。
それを机の上に置こうとして、また顔がぴりっと引きつる。
そこには、既に山々とチョコが詰まれていたから。
中には食べた後の残骸もある。
きっと、ここにいる女の子たちや、他にも大勢の女の子が直接渡しに来たんだろう。
それを見て、何だか軽い眩暈を覚えた。
……今となっては、直接渡せない、なんて言って僕に頼んで来た女の子たちがやたら可愛く思えてくる。
「随分おモテになるんですね」
僕は嫌みたっぷりに言ってやった。
「…何だよ、やっかんでるのか?」
「まさか。僕は土方先生と違って、女たらしじゃないですから」
「てめぇは口が減らねえ奴だな」
「すいませんね。あ、でも口は減らなくてもお腹は減ったんで、このチョコ一個もらってもいいですか?」
「あっ!おい、ちょ!おま……」
言うや否や、僕は机に乗っていたチョコを無造作に一つ掴むと、土方先生の返事も待たずに口に入れた。
「ん……おいし……」
途端に一人の女の子が甲高い悲鳴をあげる。
「あ〜〜っ!それあたしの!ひどーい!!せっかく土方先生にあげようと思ったのにー!」
「いいじゃん、まだ残ってるし、全部食べちゃったわけじゃないんだから」
土方先生は唖然として僕を見てたけど、怒鳴ったりしないところを見ると、結局はどうでもよかったってことなんだろう。
「……で?このチョコは何だ?」
女の子を漸く宥めすかしたところで、土方先生が改まったように口を開いた。
見れば、さっき僕が机の上に並べたチョコを指差している。
「あぁ、だからこれ、僕が預かってきたんですよ。土方先生に渡して欲しいって言われて」
「預かった、だと?」
「え、総司そんなこと頼まれたのー?」
「うっわ…総司パシられてんじゃん」
女の子たちが何か煩いことを言っていたけど、僕は全部無視してやった。
ていうか、この人たちは何時まで居る気なんだろう。
土方先生へのチョコ戦争の行方は、最後まで見届けないと気が済まないってことなんだろうか。
「わざわざ届けに来てあげたんですから感謝してくださいよ?」
「てめぇはいちいち上からだな」
「当たり前じゃないですか。土方さんのバレンタイン事情なんて僕には全く関係ないのに、わざわざ巻き込まれてあげたんですからね。お礼や謝罪こそ言われても、文句を言われる筋合いはありませんよ」
「うっわぁ……総司も相変わらず言うねぇ」
また女の子たちが茶々を入れてきた。
……煩いから無視することにする。
「あぁ、悪かったな、ありがとよ」
土方先生は、心底面倒臭そうに言った。
ほら、やっぱり僕は、この人を困らせることしかできないんだ。
「…どうしたんですか?食べないんですか?食べないなら僕が貰っ…」
「食べる!食べるっつの!」
土方先生はイラついたようにチョコの一つを手に取った。
その動作を目で追いかけていて、あるところで僕の思考はフリーズした。
思考だけではない。
呼吸も、心臓も、血流も、何もかもが止まったかと思った。
……だって、机の上に、僕のチョコが乗っていたんだから。
やっぱり不格好だから渡さないでおこうと決めたばっかりなのに。
きっと、さっき鞄からチョコを出した時に一緒に掴み上げてしまったんだろう。
一生の不覚に、頭の中で危険を知らせるブザーが鳴り始める。
咄嗟にヤバい、マズい、回収しなきゃ!と思ったものの、如何せん女の子たちがいる所為で上手く立ち回れない。
土方先生と二人きりだったら、食べるのを手伝うとか何とか言って、それを取り戻すこともできただろう。
だけど、さっき一つ摘まんで怒られたばかりだし、女の子たちが目を光らせているからそれもできない。
こうなったら女の子たちに出て行ってもらうしかないけど、彼女たちに出て行く気配は全くない。
僕は困り果てて唇を噛んだ。
どうしよう。
僕が一人焦って汗だくになっている間にも、土方先生はどんどんチョコを食べていってしまう。
「先生、どれか美味しいのあった?」
「ん、分かんねぇ」
「はぁ?何それー」
「みんな同じ味がする。甘え」
「当たり前じゃん。チョコだもん」
「けど、俺は甘えもんは苦手なんだよ」
「いいじゃん、今日くらい」
「まぁ、そうなんだが……」
僕がハラハラして成り行きを見守っていると、遂に土方先生の手が、僕の小包へと伸びた。
「っ……!」
僕は慌てて土方先生を止めようとした。
「だめっ!それは……」
しかし、訝しむような土方先生と女の子たちの視線を受けて、直ぐに墓穴を掘ったことに気が付いた。
「あ…や……やっぱり何でもないです」
「…それは、何だよ」
「や、えっと…その……お、おこぼれに預かろうかと、密かに狙ってたから…」
プライドも何もあったもんじゃない。
だけど僕は、しどろもどろになりながら必死に弁明した。
「……総司サイテー」
「べ、別にいいでしょ!僕は甘いものが好きなの!」
言いながら、直ぐにその場から消えてしまいたいと思った。
だけど、チョコの結末を見届けないことには消えることすらできやしない。
そうこうしているうちに、土方先生がラッピングを破いてチョコを取り出してしまった。
(………うぅ……)
穴があったら入りたい。
「な、何それ…………」
俯いてこの状況に必死に耐えていると、不意に女の子の声が聞こえてきて、ハッとして顔を上げる。
「ぷっ…くく……あはははは!何そのチョコ!」
「えぇ?!ていうかそれほんとにチョコなの?」
「〜〜〜〜っ!!!」
僕は居たたまれなくなって再び俯いた。
土方先生の手の平に乗せられたチョコを見て、女の子たちが笑っていた。
先生は先生で何やら固まったまま動かないし、もう何この羞恥プレイ。
……だから、自信なかったのに。
僕の家にはハートや可愛い形の型なんてなかったから、仕方なく包丁で切りそろえるしかなかったんだ。
歪な形だって…そんなの知ってたけど。
でも、流石に傷付いた。
「ねー、見てよ総司!このチョコ形が歪すぎない?」
「は…はは……ほんとだ。超へんてこ」
声が震えそうになるのを必死に堪えた。
仕方ない、この子たちはこのチョコの作者が誰かを知らないんだ。
だからこういう心無いことを平気で言うんだ。
「こういうのもらっても、男って嬉しいものなの?」
「どうだろうね……僕は、嬉しくない、かな……っていうか、もっと頑張るべきっていうか、こんなの渡したら、嫌われても仕方ないと思う……っていうか…よくこんなの渡したと思う、よ……」
「やっぱりそう?うん、あたしもそう思う」
「そうだよー、ね?土方先生もそうでしょ?」
もう用はないし、早く帰ろう。
帰って、一人さめざめと泣いてやろう。
そんなことを思いながら必死に涙を我慢していた僕は、土方先生が「美味え」と呟いたことなどまるっきり聞いてすらいなかった。
「ていうか、総司これ誰のチョコ?」
「え?…………さ、さぁ、誰だったかな……沢山ありすぎて、どれが誰のだか忘れちゃったよ」
「そっかー。土方先生モテモテ!」
「うるせぇよ」
僕はとうとう耐えられなくなって、くるりと踵を返すとドアに向かって歩き出した。
「あれ?総司どうしたの?」
「僕もう帰る」
「おい、総司……」
「何ですか?」
「何で帰るんだよ」
「何でって……だってもう用は済んだし」
「だからって…」
「じゃ、さよなら」
「おい!総司!」
僕は勢いよく部屋を飛び出すと、そのまま廊下を走り去った。
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