「…このことを僕が学校に言ったら、先生は職を失うかもしれませんね。おめでとうございます」
土方の家に付くなり、沖田は頬をさすりながら言った。
「お前だって同じだろ。俺が援交のことを学校に言ったら、その時点でお前はおしまいだ」
沖田を中へと促しながら、土方も負けじと言い返す。
「な……なんで、それ……」
案の定、沖田は土方の口から出た"援交"という言葉に愕然としたようだった。
靴を脱ぐのも忘れて、玄関先に呆然と突っ立っている。
「何で、も何もねぇよ。あの時間あんな場所にいたら、誰だって分かりたくなくても分かっちまうんだよ。おまけに随分と手慣れてる様子だったしな」
土方は沖田を部屋に通しながら自分の推理を説明してやった。
沖田はぎこちない足取りで、黙ったまま土方についてきた。
その顔は心なしか蒼白で、堅く結ばれた唇は白くなってしまっている。
否定しないところを見ると、やはり沖田があそこにいたのは、そういう目的でのことだったのだろう。
案の定という感じではあったが、それでもやはり、土方は少なからずショックを受けた。
「そんな…態度にまでケチつけないでくださいよ」
先ほどまでの勢いをすっかり無くした声で、沖田が呟くように言った。
「別にケチをつけてるわけじゃねぇよ………まぁ、適当に座ってろ」
スーツを脱いでハンガーにかけながら、土方は沖田を睥睨して言い返す。
土方の視界の隅に、沖田がそろそろとソファに腰を下ろしたのが映った。
土方は慣れた手付きでコーヒーを入れると、それを持って沖田の方へ歩いて行った。
「ミルクとかねぇから、ブラックで我慢してくれ」
沖田は黙って頷くと、コーヒーカップを受け取った。
やけに素直だ。
ネクタイを解きながら、微妙な距離を取って、土方は沖田の横に腰を下ろした。
「で、何で援交なんざしてやがるんだ?」
単刀直入な土方の質問に、沖田は少なからず驚いたようだった。
「何でって…そんなの別にどうだっていいじゃないですか。先生には関係ない」
「大ありだ。俺がお前の言う正義を振りかざした駄目な教師なんだとしても、俺はお前の行動に教師として責任を持たなきゃならねぇからな」
「………」
沖田はその視線をフローリングに落として俯きながら、土方の言葉を黙って聞いていた。
長い前髪が邪魔をして、その表情を読み取ることはできない。
「僕が理由を話したら、どうなるんですか」
不意に沖田が言った。
「理由を話したところで、僕に対する処分は変わらないんじゃないですか?」
その開き直ったような態度に、土方は小さく溜め息を吐いた。
「いいから話してみろ。こっちとしても理由によっては……」
「別に。ただ、気持ちよくなりたかったから。お金が欲しかったから。……それだけです」
「っお前なぁ、……」
「すいませんね。先生が考えてたような情状酌量の余地がある理由じゃなくて」
そう言う沖田の声色は、少しだけ寂しさを孕んでいるように聞こえた。
本人に反省の色が見られない以上、土方は怒るのも馬鹿らしくなって、ただ沖田を見つめていた。
「お前、金に困ってんのか?」
土方が聞くと、沖田は少しだけ顔を上げた。
「……そりゃあ…まぁ、学生の一人暮らしはキツいですよ」
「親御さんはどうしたんだよ」
「親はいないですよ。知りません?交通事故で死んだって話」
そういえば、家庭調査書に書いてあるのを読んだことがあったかもしれない。
悪いことを聞いてしまったと、土方が口を開きかけた途端、沖田が言った。
「いいですよ、謝らなくて」
「あ…いや…」
「どうせ先生のことだから、悪いことを聞いちゃったとでも思ったんでしょ?」
「まぁ、な」
「そういうのうざいんで。余計なお世話です」
それきり、沖田はまた口を噤んでしまった。
「…僕は退学ですか」
そして暫くしてから、またろくでもないことを聞いてきた。
土方はコーヒーを飲みながら答える。
「いや、退学じゃねぇよ」
「何でですか?」
土方が言うと、沖田は意外だとでも言いたそうな目で、土方をじっと見てきた。
「俺に、学校に言うつもりがねぇからだ。このことは今夜限りで一切忘れてやる」
覚悟はしていたが、土方がそう言った途端に、沖田はあからさまに嫌そうな顔をした。
「だから、そういうのは嫌いだって言ってるじゃないですか。何で処分しないんですか」
「その必要がねぇからだ。処分したところでお前は反省なんざしねぇだろうし、退学になったらなったで、お前の生活が余計低堕落になるのは目に見えてるだろ。何のメリットもねぇよ」
沖田はぎりっと唇を噛んだ。
なかなかの正論で反論の余地がない、とでもいうところだろうか。
「…先生って、変ですよ」
「そりゃどうも」
土方が沖田を一瞥すると、沖田は感情の読み取れない顔で俯いていた。
その雰囲気があまりにも儚げで、今にも折れてしまいそうなか弱さを感じた。
「…まぁだが、処分をしねぇ替わりに、約束してほしいことがある」
土方が言うと、沖田は面倒臭そうに顔を上げた。
「何ですか」
「まず、金輪際援交はやめろ」
「無理です」
「ってめぇ…」
あまりにも早い返答に、土方はつい声を荒げる。
「お前分かってんだろ?援交は犯罪なんだよ!」
「でしょうね」
「なら一切やめろ」
「だから、無理ですってば」
「何でだよ!」
「お金が必要だから」
沖田の理由は、単純明快だった。
「なら、正攻法で稼げばいいだろ。何ならバイト先紹介してやっから」
「結構です。僕、あくせく働くのとか性に合わないんですよ。それに、今の"バイト"気に入ってるんで。だって、法外な額のお金貰えて、しかも気持ちよくなれるんですよ?寂しくないし、人肌ってあったかいし、」
「馬鹿野郎!そういう問題じゃねぇだろうが!」
「じゃあどういう問題なんですか?そもそも何で援交がいけないんですか?僕が嫌がってるなら別だけど、双方合意の上でしてることだし、それに…」
「お前、その辺にしとけよ」
土方は、怒りの満ちた声で言った。
「何で援交がいけないか、だと?」
沖田が口にした疑問を反復しながら、土方は沖田を睨み付けた。
「お前…」
その時不意に、土方の携帯が鳴り出した。
今話の腰を折られるのは、正直凄く間が悪い。
こんな時間に誰だろうと思いつつ、土方は重い腰を上げた。
「悪い、ちょっと…」
軽く断ったのだが、沖田は土方にはまるで無頓着だった。
じっと何かを考え込んでいるように見える。
土方は携帯を片手に、リビングを出た。
電話の相手は永倉だった。
これから飲みに来ないかという、何とも下らない話だ。
土方は一も二もなく断ると、足早に沖田の元へ戻った。
「悪かっ………」
土方がリビングに入った瞬間見えたのは、沖田が土方のコーヒーカップに何かを入れている姿だった。
まるでサスペンスドラマのようなその光景に、土方は絶句して立ち止まる。
沖田はすぐ土方に気が付いて、持っていた何かを慌ててポケットに隠した。
が、時既に遅し、だ。
「お前……一体何を…」
二の句が継げないとは、まさにこのことだ。
土方は沖田に近寄ることもできず、携帯を片手にその場に立ち尽くしていた。
沖田の行為は常識を逸脱しすぎている。
「…え、と……あの…これは……」
沖田がしどろもどろになって言った。
「これは、何だ」
土方は、声を低くして言った。
頭の片隅で、どうせ入れるならもっと上手くやれとズレたことを考えながら、ゆっくり沖田に近づいた。
「……が、ガムシロ、です」
「んなわけねぇだろうが!」
沖田が何をするつもりだったのかは知らないが、あんな風にこそこそと入れたものがただのガムシロップなどであるはずがない。
少なからず、身体に影響を及ぼすはずだ。
土方は思わず声を荒げた。
「沖田、正直に言え」
正直に言ったら、例え中身が何であろうと許してやるからと、土方は酷く冷静に言った。
それが逆に沖田の恐怖心を煽ったらしい。
沖田は唇まで青くして、何も言わずに土方を仰ぎ見てきた。
「言えよ、おい」
土方は思わず沖田の胸倉を掴んだ。
沖田は苦しそうな声を上げ、眉根を寄せる。
そして視線を土方から逸らした。
「……ごめんなさい」
「俺は別に、謝罪なんざ求めてねぇんだよ」
謝って済ませようという魂胆ならお門違いも良いところだ。
土方はそう沖田に言った。
「ほんとに何でもないですから………あ、これ捨てちゃいますね」
焦ったようにそう言ってコーヒーカップを取ろうとする沖田の手を、土方は力強く掴んだ。
「っ痛……」
「捨てなきゃならねぇようなもんなんだな?」
土方はじっと沖田を睨んだ。
沖田は唇を噛んで、土方の視線にじっと耐えている。
「…言わねぇつもりか」
土方が言うと、沖田は口を開いたり閉じたりした。
言うべき言葉が見つからないのだろう。
「……なら、飲め」
土方の言葉に、沖田はハッと目を見開いた。
「何だよ、単純な話だろ?」
「………っ…」
沖田は明らかに狼狽して、視線をさ迷わせている。
流石に毒ではないだろうし、恐らく睡眠薬の類だろうと、土方は思っていた。
それなら沖田だって飲むのは困るだろうし、いい加減自供するだろう。
そう考え、ちょっとした脅しのつもりで言ったことだった。
しかし、そんな考えは甘かったと、土方はすぐに後悔することとなる。
「……飲めばいいんですか」
不意に沖田の口から出た言葉に、土方は眉間の皺を深くした。
「飲めば、許してくれるんですか」
沖田を見ると、開き直ったようなその目線が突き刺さってきた。
「なら飲みますよ」
「いや、ちょっと待っ……」
「何ですか?飲めばいいんでしょ、飲めば」
「おい、沖田……!!」
土方が必死に阻止したにも関わらず、沖田は土方の腕を力強く振り払うと、迷わずコーヒーカップに手を伸ばした。
そして、土方と揉み合ったことで中身を床に零しながらも、コーヒーカップの残りを一気に煽る。
「…てっめぇ………」
息を詰めたのは土方の方だった。
沖田は寧ろ涼しげな顔をして、どこまでも開き直っている。
「一体何を飲みやがった!!」
「あっは……そんなおっかない顔しちゃって…飲めって言ったのは先生の方ですよ?」
それどころか、沖田は顔に微笑まで浮かべていた。
コーヒーに入れられたものが何だったのか一向に分からず、土方は益々悶々として沖田を睨み付けた。
その視線を受け流して、沖田は緩慢な動きでソファに腰を下ろした。
「…言い出したのは先生なんだし、責任は取ってくれますよね?」
「あぁ?」
心なしか、沖田の顔が赤くなっている。
「あー……やっぱり即効性ってだけある…」
話が見えずに、土方は混乱する一方だった。
その時、土方はふと思い出す。
確かあの時、沖田は何かをポケットにしまっていた…。
土方は素早い動きでソファに座る沖田を押さえ込むと、驚く沖田には構わずポケットを弄った。
「ちょっと!何して……」
出てきたものに驚いて、土方は動きを止める。
「何だよ、これ…………」
信じられない思いで顔を上げると、完全に顔を火照らせ、苦しそうな息をしている沖田と目が合った。
すると沖田は、溜め息混じりにこう言った。
「見れば分かる、でしょ……媚薬、ですよ」
土方は頭の中で警鐘が鳴り響くのを聞いた。
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