そーっと。
抜き足差し足で後ろから近づいて。
あと一歩、というところで手を出して、後ろから目隠しをしようとして。
「だーれd「総司」
……………早っ!
答えるのが早すぎて面白くない!
「むぅ……」
僕の『だーれだ?』は失敗に終わった。
面白くないから、僕は古典準備室の古びたソファにでーん!と座ってやった。
スプリングがミシッと不吉な音を立てて、僕の身体がソファに沈み込む。
それから顔を上げると、こちらを睨む土方先生と目があった。
「「何の用だ」」
見事なハモリ。
僕は、眉間に皺を寄せる先生に向かって笑って見せた。
「…って言うと思った」
「何がしてぇんだよ、お前は」
「先生とお勉強しに来た」
「勉強だと?」
「うん。オトナな感じの」
少ししなを作って言ってみたら、土方先生にぶん、と何かを投げつけられた。
辛うじて避けて、ソファに落ちたそれを拾い上げると、それは土方先生の家の鍵。
「…なにこれ」
「先行ってろ」
「やだ。先生のこと待ってる」
「邪魔だ。帰れ」
「やだ!邪魔しないもん!」
「今の時点で邪魔なんだよ。終わる仕事も終わらなくなる」
「……ケチ」
「何とでも言え」
「うぅ…」
僕は鍵を無造作に掴むと、怒りに任せて土方先生に投げ返した。
「っ何すんだよ!」
鍵は先生の手を掠めて、パソコンのキーボードの上に落ちる。
それを取り上げながら、土方先生はまた僕を睨んできた。
「知らない!もう先生なんか知らない!」
僕は再びスプリングをミシッと言わせて立ち上がった。
「僕は寂しいだけなのに!先生のばかぁ!」
「そう……」
「大っ嫌い!」
自分が何故腹を立てているのか馬鹿らしくもなったが、それでも僕は寂しかったんだ。
僕は後ろも振り返らずに古典準備室を退散すると、ぷりぷりしながら学校を出た。
土方先生はいつもああだ。
いつだって仕事優先で、僕のことなんかちっとも構ってくれなくて、本当に僕のことが好きなの?って思っちゃう。
今となっては、恋人にしてくれたのが嘘のよう。
なんだか僕だけ好きみたいで、そんなのはアンフェアだ。
「…僕はこーんなに好きなのに」
ぽつりと呟いた言葉は、蹴った小石と共に夕焼けの道を転がっていった。
「ただいまぁ」
誰もいない家に帰ると、僕は無造作にスクールバッグを投げ捨てる。
そのままベッドにダイブして、制服も脱がずに寝っ転がった。
「あーあ……寂しいな」
なんで僕って、素直になれないんだろ。
さっきだって、別に腹を立てる必要は全くなかったんだ。
「先行ってろ」って言われた時に、素直に分かりましたと言って帰ってれば、今頃は土方先生の家でほっこりしていたかもしれないのに……。
「やだ。先生のこと待ってる」まではまだ可愛げがあったかもしれない。
でも「邪魔だ。帰れ」とまで言われているのにまだ帰らないのは、きっとただの図々しい子だ。
もしも僕がそんな駄々をこねられたら、間違いなく斬っている。
それから、「ケチ」っていうのもお門違いな言葉だよね。
寧ろ僕が家に行くことを当たり前のように許可してくれた土方先生は、すごく寛容で優しかったかもしれない。
うん、そうだよね。
生徒が先生の家に来るなんて言語道断だ、なんて言っていた時期もあったくらいなのに。
僕はさっき感謝するべきだったんだ。
「…ごめんなさい」
決して本人には言えない言葉をそっと呟いてみる。
僕があともう少し素直だったら、土方先生はもっと僕を好きになってくれるかもしれないのに。
何故か素直になれない。
照れくさかったり、悔しかったりっていうろくでもない感情が、ついつい邪魔をするんだよね。
土方先生、もう仕事は終わったかな。
今、どこで何してるんだろ。
考え出したら、無性に寂しくなった。
土方先生に、会いたい。
ちょっとでいいから構ってもらいたい。
総司って言って微笑みかけて、頭をぽんって叩いてくれるだけでいいのに。
あの土方先生の笑みは極上だから。
ついでに唇じゃなくてほっぺたでもいいからキスしてくれてー、ぎゅって抱き締めてくれるのも嬉しい。
土方先生の煙草の匂いは、慣れてしまえば恋しい以外の何物でもない。
煙草の匂いが恋しいなんて、僕どうかしてるのかも…。
季節の変わり目と言うのは得てして温度変化が激しいものだし、それが夏から秋となると、次第に寒くなっていく気温に、やたらともの寂しさを感じたりもする。
だから僕がこんなに女々しくなってるのも、きっとそういう理由からなんだろう。
僕はポケットから携帯を取り出すと、リダイヤルボタンをぽちっと押した。
「…何だよ」
すぐに出てくれた土方先生に胸がいっぱいになる。
「どうした、総司」
理不尽極まりないことをされて怒っているはずなのに、土方先生の声は酷く優しかった。
「……………さみしい、です」
僕はぽつりと呟いた。
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